朝、思いついて愛媛に帰る

1998.10.31.-11.1.

 ちょっとした用事があって、そのうち愛媛の実家に帰らなくてはいけないなあと思っていたのだが、その用事の前に済まさなくてはならないことがいろいろあって足踏みさせられ、見通しが立たなくなっていた。ようやく明るい兆しが見えたのが10月30日の金曜日。夜の8時ごろになんとか話がまとまってきた。するととたんに忙しくなり、今後土日はほとんどつぶれるかもしれない、と言われる。「じゃあ、明日愛媛に行くか」などと冗談を言いながら酔っ払って寝てしまった。

 土曜日の朝、子供の幼稚園の支度を手伝いながら、女房に「できれば今日行かないか?」と相談してみる。大変は大変だけど、今日明日で行かないといつ行けるかわからないから・・・ということで話がまとまり、とりあえず子供を幼稚園に送っていった。帰ってすぐにインターネットで羽田=松山便の時刻と空席状況を調べる。子供が帰ってから羽田に行って、3時ごろの飛行機に乗れればいいなあと思っていたらちょうど15:00発の便に空席があった。翌日の帰りの便は全部空いている。そのままインターネットで予約することもできるのだろうが、あれこれ登録したりするのが面倒なので、電話で予約する。航空券は無事手配できた。今日の今日なので割引はなし。大人二人と子供二人で相当な金額になってしまった。

 あとはレンタカーの手配だ。過疎化とマイカーの普及のダブルパンチでバスの便数が非常に減っているので、空港からレンタカーで行くのが一番便利だ。考えようによってはコストも一番低い。出発の2日前だったら電話で航空券といっしょに予約できるサービスもあるのだが、さすがに当日では無理のようだ。やはりインターネットで各社の松山空港営業所の電話番号を調べ、直接電話してみる。まずはANAのマイレージサービスと提携しているということでニッポンレンタカーに電話してみたが、今日は満車とのこと。次はどこにしようか・・・先月法事で帰ったときにつかったトヨタレンタリースは営業所にたくさん車があったなあと思いだし、電話してみるとターセルの4ドア車が手配できるとのこと。飛行機到着の10分後から、翌日の出発の40分前まで予約した。

 まだ10時ちょっと過ぎだ。特に持ち物もないし、明日の分の着替えだけ持っていけばいいのであとはやることも無い。羽田まではクルマで行くので、13時ごろにでればいいだろう・・・ということで、泥だらけのクルマを洗いにガソリンスタンドに行く。羽田空港の駐車場に行くのに、泥だらけのままでは行きたくなかった。洗車がおわり、幼稚園に向かうとほんの数分で子供が出てきた。

「おじいちゃんちに行こう、飛行機に乗って」

というと、最初は理解できなかったようだが、そのうち冗談ではないとわかってくれたようだ。 photo

 羽田空港で航空券を買おうとして、クレジットカードと予約番号を書いたノートを持って自動券売機に向かう。しかし「このカードは使えません」と表示が出て戻ってきてしまう。とめられてしまうほど使い込んではいないので、きっとこのカード会社ではだめなのだろうと思い近くにいた女性の係員に聞いてみた。するとやはりこの機械では私が使っているカード会社のカードは使えないとのことで、奥で手続きしてきますとのことだった。係員は予約番号と人数を確認すると、ほんの一瞬間を置いて「6回の回数券をお求めになりますか」と聞いてきた。「その方が安いんですか」と聞くと、15%引きとのこと。1枚で子供2人が使えるので、今回の旅行でちょうど使い切ることができるらしい。あとで確かめてみたら、2万700円も安くなっていた。あのまま機械にクレジットカードが受け付けられていたら、ごく普通に標準運賃で購入していたところだろう。運と、この係員さんに感謝した。

 松山には予定より10分ほど送れて到着し、レンタカーに乗って出発したのは17時ちょうど。トヨタレンタリースもANAのマイレージサービスと提携すると機内誌に書いてあったが、残念ながら11月1日(明日)からだった。ここのところずっと56号線ばかり使っていたので、たまにはと思い海沿いの378号に進む。長浜を過ぎてしばらく行き、トンネルを通っているときに急に子供が話し出した。

「このトンネルのところでおじいちゃんとおしっこした」

 たしかにそうだった。3年ほど前、弟の四九日で帰ったとき、この道を通ったことがある。車を止めて3代で立小便をした。それ以来この道は通っていないし、そんな話もしていないのに、この6歳の子は3歳のときのそんな出来事を覚えていた。

 人気の無い山道を進む。女房と子供は「さみしいね」「こわいね」を連発している。一人でバイクで旅行するのと比べたら家族もいるしカーラジオもついているしでにぎやかなものなのだが、「そうだねぇ」などといいながら進んでいく。峠を越え、しだいに家が増え始め、やがて集落にたどり着く。久しぶりに信号が見える。ようやくいつも通っている道に出た。考えてみると先月も先先月もこの道を通っている。「なつかしい」というより、「いつもの道に出た」という感じだった。

 近くの焼肉屋で食事をしてから実家に行った。いつもなら「緊張してきた」とつぶやく女房も今回はさして緊張していないようだ。実家についたのは20時ちょっと過ぎ。つい先日までは一日がかりの大仕事だったのだが、今回は半日もかからなかった・・・


 用事は無事にすみ、翌日は朝6時から近くの港で魚つり。子供が中心になって、おじいちゃんが手伝っている。わずか1時間ほどの間に7、80匹釣れたようだ。家に戻って早速その魚を何匹かさばいてもらって朝食。さっきまで泳いでいたアジのたたきに、さっきまで植わっていたネギを刻んで・・・というのは魚があまり得意でない私もおかわりするほどの味である。

 しばらく休んでから、土産を探しに道の駅「きらら館」へ。適当に土産を買い、不思議な水槽にいる鯛にえさをやったり、となりにある伊方原発のPR施設「ビジターズハウス」で時間をつぶす。昼時になって、二つ隣の三崎町にいってみようかということで三崎町に。漁協がやっているすし屋が安くてうまい、とのことで行ってみる。「漁師物語り」という、町からだいぶ離れたところにある施設なのだが、新鮮な魚の香りが充満していて、しかし生臭い感じはまったくしない。海を見ながら食べられるカウンターがあったり、ゆっくり座れる座敷があったり、味噌汁を頼んだらでっかい海老が入っていたりと、その土地とそこで採れるものを十分に生かしたサイコーの施設だった。

 帰りの飛行機は18:10発のANAの最終便である。少し余裕をもって、14時ちょっと前に実家を出発した。行きと同じように、海沿いの378号を通って松山に向かう。途中で女房が「ジャコ天を食べながらビール飲みたいなあ」というので、双海町にある道の駅で小休止。ここがけっこういい雰囲気で、きれいな(人工っぽかったけど)砂浜で子供たちはしばらく遊んでいた。

 空港には17時20分ごろに到着。早めに出発ロビーに入って待っていたがなかなか搭乗が始まらない。出発時刻をちょっと過ぎてから、ようやく搭乗が始まった。しかし、まだなにか作業が続いているようだ。スチュワーデスから「出発前の作業が続いておりますのでもうしばらくお待ちください。リクライニングやテーブルを使っていただいて結構です」というアナウンスが入る。「珍しいな」と思っていると、こんどは男性の声でアナウンスがあった。

「機長の○○でございます。この飛行機は出発前の作業で不具合が見つかり、どうしても直らず、飛行できない状態になってしまいました。よってこの便は、欠航とさせていただき、みなさんは日航の便や関空経由での東京行きに振り替えさせていただきます」

 思ったよりもみな怒りを見せずに、早々と席を立ち荷物を取り出して前に進もうとする。うちは子供もいるので最後に出よう思い、ずっと座っていた。子供は「飛行機こわれちゃった」と喜んで?いる。なかなかドアが開かないらしく、みんなずっと立って待っている。またアナウンスがあり、出発便が多くロビーがいっぱいで席を用意できないとのこと。しばらく機内で待つことになるらしく、空席に座っていてくださいとのことだ。JALだと20:00頃出発で21:30頃だったな・・・関空経由だともっと時間かかるかも・・・「よかったね。もう2回飛行機乗れるかもよ」とか「飛んでから壊れるよりいいよね」などと軽口を叩いて待っていた。

 1時間近くたったころ、並んでいた人たちが急に後ろに戻り始めた。なんだ?と思っているとすぐに機長のアナウンスがあった。

「機長の○○でございます。いったんこの飛行機は不具合により欠航とお伝えしましたが、その後作業したところ、問題のあった点は解決し、問題なしとなりましたので、再び東京に向けて出発いたします」

 ホントに直ったのかなあ・何が壊れていたのかなあ。大丈夫なのかなあ。不安ではあったけどまあ飛ぶっていうんだから大丈夫だろう。欠航ときまりながらあきらめずに作業を続けてくれた整備士でもいたのだろうか・・・

 それから30分ちかくかかって、本来なら羽田についている時刻にようやく動きはじめた。窓の外を見ると地上スタッフが大きく手を振っている。いつもならやらせにも見える少々クサい光景だが、今日は別だ。「ありがとう整備士さん」という感激もあるし、「ホントに直っているのかなあ。あのさようならが本当のさようならになったら・・・」という不安もまじる。しかし、少々揺れたものの無事に到着した。挽回しようと全開で飛ばしたのだろうか、30分ほど取り戻して定刻の1時間遅れだった。降りるときにスチュワーデスさんが子供に「ごめんねー遅くなって。たくさん乗っちゃったね」と言ってくれた。

 荷物を受け取ってクルマに乗ったのが21:00過ぎ。寝てしまった子供とお土産でふくらんだかばんを抱えながら、「クルマで来てよかった」と思った。


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 次の日、下の子供が起きてすぐに言った。

「ひこうき、とばなかった」

 彼は欠航騒ぎのときに寝てしまい、起きたときはもう羽田だったのだ。



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