初めての一気走り

1987.3

 今となってはもう昔のこととなってしまったが、当時大学生だった私は、ほぼ毎日アルバイトをしていた。金を稼ぐことは第一の目標ではなかったが、そこで得た収入は大部分をバイクにつぎ込んでいた。

 名車XLR250R(RFの次の、リアが18インチになったタイプ)が出たばかりの頃だった。新車には手が届かず、RFの中古はまだほとんど無く、XL250Rの中古を何とか10万円台で手に入れようと思い探していた。するとXLX250Rの中古が見つかった。予算オーバーだったが、XLと比べるとシートは青いしタンクの上まで伸びていて格好が良い。

 買ってしまった。

 後でわかったことだが、XLXはかなり個性的な・・・悪く言えば、問題を抱えた・・・バイクだった。掛かりが悪い。専門書によると悪路でのトラクションが今ひとつらしい。ただ、音はとても良かった。舗装路を走るのは快適だった。アクセルをあまり開けず、プライマリのキャブだけで走るようにすれば燃費も非常に良かった。私はとても気に入っていた。

 2月だったか3月だったか、友人がXT125でロングツーリングに行き、帰ってきた。聞くと初日に一気に広島まで走ったという。その後九州まで行ったらしい。125CCだから高速道路は走っていない。九州には興味は無かったが、広島といえば愛媛のすぐそば。故郷?愛媛に、自分のアシで行ってみたくなった。アルバイトは普段は休みを取ることはほとんど出来ないが、春休みだけは丸々休むことができる。出発することにした。

 なぜか、荷物を少なくしようと思った。安物の雨具と、眠くなったときにどこかで寝ようと思って安物の寝袋をリアシートに括り付けた。後はウエストバッグにカメラなど。着替えは一枚も持たなかった。地図も全国地図を数ページ破っただけ。国道1号で大阪まで行ける、その後国道2号でずっと先まで行ける、という友人の言葉が頼りだ。フェリーは海沿いを走れば見つかるだろう。

 夕方6時半ごろに出発した。延々と一般道を走る。箱根あたりで雨が降り出し、静岡で暴風雨となった。安物の雨具はまったく役に立たない。聞いたことの無いコンビニでビニール雨具を買うが、すでにすっかり濡れているのでさほど意味が無かった。トンネルに入るとほっとするが、ほんの数十秒で終わってしまう。この地獄はいつまで続くんだろうと思った。

 雨に体力を奪われモーローとしてしゃがみこんだり、エンストして再始動にてこずったりしているうちに、名古屋あたりでもう明るくなってきてしまった。夜明けとともに雨は上がってくれた。国道1号を離れ、鈴鹿経由で大阪に向かうが、なかなか距離が稼げない。早く大阪を越えないといけないと思い、高速道路に乗る決心をした(当時の私にとって、高速道路に乗るのは勇気が要ることだった)。どこを通ったか良く覚えていないが、大津から名神に乗った。第二神明あたりでは、びしょびしょになった服がどんどん乾いて行くのが気持ち良かった。

 地図を持っていないので、道路表示だけが頼りだ。名古屋・大阪・神戸・岡山・広島と、ただ書いてあるとおりに進んで行く。途中何度か居眠り運転をしてしまった。高架のバイパスを走っていたのにいつの間にか下りていることに気付いたときは怖かった。でも走りつづけた。

 「福山港」と表示が出ていたので、国道を離れ港に行ってみる。フェリー乗り場は見つかったが、ここから乗ると四国では高松に着いてしまい、だいぶ戻ることになる。「できれば進む感じでいく船がいいなあ」と地図を見ていると、もうちょっと先の三原から今治まで航路があるようだ。「国道フェリー」という名前だからきっと夜中でも運行しているだろう、だめでもその先広島まで行けばいいと思い、国道に戻って西に進む。まだ瀬戸大橋などは開通していなかった。

 三原港に着くと、ちょうど船が出るところだった。駆け込んでトラックの隙間にバイクを固定する。船室ではうどんを食べた。懐かしい関西のうどんだ。

 今治に着いたのは夜の10時頃だった。そこからさらに100キロ以上先の目的地に向かう。八幡浜よりもうちょっと先にある、祖母の家に着いたのは1時半頃だった。所要時間は30時間、メーターの距離計は900キロを越えていた。

 田舎で何日か過ごした後、また一気に走って横浜に戻った。帰りは徳島から大鳴門橋・淡路島を通り、甲子園フェリーで本州に渡った。行きよりも距離も短く、雨も降らなかったので楽だった・・・寒かったが。


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