帰省 '99夏1999.8.12.〜16.
夏休みがやってきた。今年も田舎に帰るのだ。 一昨年・昨年とトランポで帰った。昨年はモンキーを持っていって海岸線をちょっとだけ流した。ちょうど同じ時に従兄弟一家がステップワゴンで来ていた。ゆったりした後席にエアコンの吹出口。すべてがうらやましい。こちらが勝るのは見晴らしの良さとバイクが積めること位かも(ホントは他にもあるとは思うけど)。 で、今年はもうちょっと速くて涼しいクルマを・・・ということで、VW Golf Wagon2.0(通称ゴルゴン)を用意した。トレーニングとして大阪往復(2回)・名古屋往復・新潟往復をこなし、運転席はベント機能付きのRECAROに交換した。 ところが一週間前あたりから非常に忙しくなり、荷造り等の準備がまったく出来なかった。当日夜9時過ぎに帰宅して、ようやくその辺にあるものをカバンに詰めはじめる、という始末。デジカメとかノートPCを入れっぱなしにしてある通勤カバンに服を詰め込むだけだからいつもの出張と大して変わらない。強いて言えば海パンが入っていることが違いかな。 他にもいろいろ用事を済ましているうちに、出発は日付が変わって12時過ぎ。横浜町田ICから東名に入ったのは1時だった。 去年も似たような感じで出発し、混雑しているが80〜90km/hでまったりと流れる東名・名神を進み、朝食は淡路島でとり、愛媛県に入ったときはまだ午前中だった。今年も同じかもうすこし早く行けるだろう・・・午前中にしまなみ海道へ・・・と目論んでいたが、ちょっと甘かった。仕事明けで疲れ気味のまま出発してしまったこともあり、また出発が遅かったこともあって、名古屋あたりでもう夜が明けてしまったのだ。 京都を越えた辺り(だったかな?)の、「右ルート」「左ルート」と分かれているところから渋滞の表示。乗用車は追い越し車線からそのまま右ルートに入ることが多いので左ルートの方が空いているかも・・・と思ったらこれが大正解。右ルートの大渋滞を眺めながら、合流寸前までスイスイ行けた。
その後も一般道で事故通行止などに遭い、ようやく山陽道にたどり着く。素直に渋滞にハマっても同じだったかもしれない。が、神戸の街を流すことも出来たし、パン屋も見つけることが出来たのでよかったことにしよう。
中学生の頃だったか、フェリーで大三島に来た。その時すでに大三島橋は開通していたと思う。それから十数年、ようやくすべての橋がつながって、クルマで行き来できるようになった。瀬戸大橋が本州と四国を結ぶ高速道路に過ぎないのに比べて、いくつもの島を結んでいる、という点が大きな違いだ。橋には高速道部分の外側に一般道の部分があり、歩行者や自転車・スクーターなども行き来している。 瀬戸大橋で与島が“サービスエリア島”になっているのに比べれば、島の人々にも直接役に立っている素敵な道、と思えたのだが、ICは港の反対側であることが多かったり、また従来のフェリーは減便や廃止などが避けられないだろうから、クルマを持っていない人には相当の影響が出てしまうだろう。本州や他の島の大きな病院に救急車で行けるようになるから、いままででは間に合わなかったような重病や大けがでも助かるようになるかも。 どちらか片方の意見だけを押し通したり他方を切り捨てるのではなく、様々な見方を元に考えていきたいものだ。 そうこう思っているうちに、最後の橋を通過。カーナビではこの橋はまだ無いことになっていて、海の上を進んでいる。更に地図にないトンネルを進んで、何とか21時前に到着した。
海でのんびりしすぎたのと、話しの成り行きで寄ることになったトイザらスでけっこう時間がかかってしまい、温泉はまた今度ということになった。10年ほど前に友人と旅行したときに発見した安くてうまいレストラン「野咲」で夕食をとる。おいしいカレーにコドモ大感激。支払いのときの金額にオヤ大感激。女房が雑貨屋さんに引き寄せられている間に明屋書店や坊ちゃん書房、ゲーセンなどで時間をつぶし、このまま松山に泊まるのではないか、という気になる。女房は雑貨屋で気に入ったグラスがあったようで、大きな紙袋をぶら下げてきた。こんなふうに時間を使ったり買い物ができるのもクルマでの旅行だからか。愛媛のあちこちにあるレディ薬局で栄養ドリンクを買い込んで、松山インターに入ったのが20時だった。
西宮近くまでは順調に来たが、この先はやはり渋滞している。休憩も兼ねて一般道に下り、甲子園球場近くのコンビニで買い物をする。確実に半分戻っている、と体感。
今回の走行距離は往路941km、復路965km、現地でうろうろしたのを含めて合計2,019km。途中で何人ものツーリング中のライダーとすれ違った。
|