緊急見舞 2001年秋

2001.10.16.〜10.17./10.24.〜10.25.

 郷里の町では秋にお祭りがあり、宇和島に比べてやや小さいものの牛鬼も出る。しかし、普通の日曜日に行われるため、子どもが大きくなるとお祭りを見るためだけに帰るのは難しくなってくる。日曜の最終便に乗るためにはお祭りが盛り上がり始めた頃に帰らなくてはならず、余裕を持って見るには月曜日も学校を休ませなくてはならないのだ。ここらで一回帰っておくかと思い、お祭りの一週間前の土曜日に電話をしてみた。

 電話には叔母が出た。「(親父は)いますか?」と聞いたところ、言いにくそうに「入院している」と言う。どんな病気でと聞くとあまり良くないとのこと。火曜日に手術を行うとのことだった。入院先を聞いてみると「がんセンター」だと言う。

 とりあえず電話を切ったが、今ひとつ状況が理解しきれない。親父・・・癌・・・死ぬのだろうか。悶々と日曜日を過ごす。電話であれこれ聞くよりは体を動かした方がいいかと思い、月曜日に行動に出る。休暇を取り、資金繰りをして航空券の手配。

photo:羽田空港 そして10月16日(火曜日)、昼過ぎの便で松山に向かう。過去何度も利用している松山行きだが、3月の祖母の葬儀の時と同様重苦しい気分での搭乗。あのときはまだ叔父や叔母と一緒になって少しは気が紛れたが、今回は一人でそうも行かない。

 雲の上でもいろいろなことを考える。そろそろ手術も始まっている時間だ。このまま目が覚めずに・・・なんてこともあり得るのかなどと考える。女房のお父さんの大往生(数回手術し、壮絶な“戦死”だった)や、若くして死んでしまった弟のこと、その一年後に亡くなった母の事などをを思い出す。

 松山空港に到着。いつもならウキウキ気分のこの空港も今回ばかりはそうともいかない。今回は郷里の町には行かず松山市内だけの予定なのでレンタカーは予約していない。バスとタクシーのどちらにしようかしばし迷ったが、ここで千数百円ケチってもどうにもならないのでタクシーで急行することにする。「がんセンターまで」と言うと運転手もとたんに曇った顔になり、深刻な表情のまま運んでくれた。飛行機を降りてがんセンターに向かう客の心情を察してくれたのかもしれない。もちろん、期待していたよりも近い目的地だったのでがっかりしたのもあるだろう。

 松山は雨。病院について中をウロウロし、病室を見つける。叔母とも会いびっくりされる。手術はすでに終わっていた。病室で寝ている父親は、きっと麻酔が効いているのだろう・・・今まで見たこともないような、急に15歳ほど老けてしまったような心細さであった。待合室や中庭で時間をつぶしながら目覚めるのを待つ。

 待合室で待っているうちにどうやら今日の手術が検査手術であることが分かってきた。いきなり入院・手術と聞いてかなり焦ったのは事実だが検査などとは一言も聞いていない。ビックリするとともにかなり拍子抜けする。しかしがんの疑いがあることには変わりがないようだ。

 やがて親父も目が覚めたようで多少話しをする。緊急事態ではなさそうということが分かってとりあえず安心する。面会時間いっぱいまでいて、また明日来ると言って病院を出た。叔母は家に戻るようで少し早めに帰った。

 さてどうしようか。とりあえず100円ショップやオモチャ屋を探しながら銀天街をブラブラ歩いてみる。雨も降っていて心細いので今日はホテルに泊まるかと思い電話を掛け、3件目位で空室が見つかる。とりあえずチェックインして再び街に出る。

 松山の街は良く訪れているが、通過途中にちょっと寄るのがほとんどで、泊まるのは学生時代以来12年半ぶりになる。その時に見つけて友人達と感激した思い出のレストラン野咲に行ってみるが、残念ながら定休日。他に良さそうなところはないかとブラブラする。焼鳥か博多ラーメンが食べたいなあと思っていると、ちょうど焼鳥と博多ラーメンが並んでいるのを発見。一瞬悩んだがせっかくなので両方入ってみることにしてまずは焼鳥へ。削り節と黒胡椒が掛かっている冷や奴が美味しかった。ラーメンもなかなか。どうやら一風堂の系列らしい。

 その後、ネットで知り合ったクルマ・バイク仲間のJJさんと隊長が出てきてくれて、しばし相手をしてもらう。見知らぬ街で落ち込んでいる状態だったので非常にうれしかった。


photo: 翌日。面会時間は午後から。昨日の情報収集でとりあえずそんなに緊急事態ではなさそうということが分かったのでリラックスして時間をつぶす。まずは市駅に行って市内電車乗り場へ。

photo: しばらく待っていると坊ちゃん列車がやってきた。最近復活した“マッチ箱のような列車”である。機関車は蒸気機関車に見えるが実はディーゼルらしい。録音した音を流しているのだろうか、シュッシュシュッシュと走ってくる。

photo: 客を降ろすと機関車と客車は切り離され、機関車だけが前に進む。

photo: バックして、渡り線の真ん中で停車する。

 機関車は自ら搭載しているジャッキでジャッキアップ。機関士が下りて押したり引っ張ったりしながら回す。

photo: これに備えて渡り線中央には金属板が埋め込まれていた。

photo: 方向転換完了。慎重に場所合わせをしてジャッキを下ろす。

 最初見るとびっくりするが、近くでみているとディーゼルエンジンの音はするし、これはこういう乗り物なのだなとすぐになじむことが出来た。しかし、本物の蒸気機関車を知らない子ども達がこれを見るとどう思うのだろう。

photo: 坊ちゃん列車を復活させると聞いたときに最初に思ったことは「転車台はどうするんだろう」だった。道後温泉駅あたりならなんとか作れそうな気もするが、市駅前への設置は無理そうだし・・・隣の南堀端あたりがデルタ線のようになっているからそこでやるのかななどと思っていたが、まさかこんな機構が仕組まれるとはね。

photo: 転回を終えた機関車が反対側の線路に移動すると、今度は客車が人力で押される。

photo: 一生懸命押している。

photo: そうこうしている間に次の電車が到着。客を降ろしはじめる。

photo: 機関車がバックして迎えに行くのかと思ったら、やはり人力で押す。

photo: 連結したらバック。これは機関車の力でやる。

photo: ここが松山市駅の坊ちゃん列車乗り場になる。普通の電車を何本かやりすごしてから出発していく。

photo: 坊ちゃん列車に合わせたのだろう、レトロ調に改修されていた。

photo: まだまだ面会時間までは時間がある。出来たばかりの観覧車「くるりん」に乗ってみた。下を見ると先ほど坊ちゃん列車を見ていた市駅の電車乗り場が見える。市駅前は重厚な建物ばかりだと思っていたが、上から見てびっくりした。

photo: 横を見ると松山城が・・・城山と同じぐらいまで上がるようだ。

 大型スーパーマーケットで探したいモノがあったのでぐるっとあたりを見回して店を探し電車に乗って行ってみたり、思い出の食堂で食事をしたりしてようやく午後になる。病院へ行ってみる。。どうやら検査入院・検査手術というのは本当で、がんの疑いは晴れないもののすぐにどうこうと言うわけではなさそうなことが分かってきた。

photo: 一応安心して松山を後にする。ずっと雨だった。

photo: 少し安心したので機内でビールを飲む。やがて東京に到着。東京も雨だった。

(写真中のPCはローカルに保存したファイルを表示しています。機内でネットをやっているのではありません)


photo: 翌週。まだ不安が残っているので大阪出張をちょっとだけ早めに切り上げ、関西空港に向かう。

photo: 関西空港の利用は初めて。列車はガラガラ。夕焼けに浮かぶ観覧車を眺めながら、一瞬旅行のような気分になる。今晩は経費節約のためホテルに泊まらないつもりだ。うまく寝床が見つかるだろうか。

photo: 関西空港に到着。隣の線に停車していたラピートを見て遠くにいることを実感する。ホームの雰囲気はどことなく銀河鉄道999に出てきた駅に似ているような気がする・・・人も少ないし。

 駅と空港の間の道路も日本とは思えないような独特な雰囲気。後に何回か通うようになって見慣れたが、このときはビックリした。

photo: 早々にチェックイン。空港内のあちこちで時間をつぶしながら出発を待つ。

photo: A320に搭乗。19時頃出発の松山行き最終便。エアバスに乗るのは初めて。機内モニターの無い飛行機は相当久しぶり(15年ぶりかそれ以上)である。

photo: やがて離陸。大阪湾から瀬戸内海を通って松山まで。好天の中、それほど高くない高度で本四3ルートを全部上から眺めながらの飛行。ほどなく、閉店間際という言葉がぴったりの夜の松山空港に到着。

photo: バスに乗って市駅まで。夜景を味わってみたくてまたまたくるりんに乗ってみる。

 男一人で夜の観覧車ってのは勇気が要るが、ライトアップされた松山城を真横から見るのはなかなかのものである。

photo: 先週と同じ焼鳥屋へ。覚えていてくれたようで話しも弾む。ついでに隣にいたなぞの酔っぱらい社会人とも話しが弾む。

 かなりしつこく「テレビ局の人か」と尋ねられたがいったい何だったんだろう。面白かったからまあいいんだが。

photo:   22時過ぎに焼き鳥屋を出て、隣の博多ラーメンで締めてから市駅に向かう。カプセルホテルか健康ランドのどちらにしようか迷ったが、なんとなく大きな風呂に入ってゆっくりしたくて健康ランドに決めてみる。

 しかし、甘かった。23時頃に市駅に行ってみると、もう電車もバスもとっくに終わっている。松山の夜は早い。しかたなくブラブラ歩く。こんな状況でもなければ一生歩くこともなかったような道をのんびりと歩く。これはこれで悪くない。

photo: ある程度歩いて程良く疲れたところでタクシーを拾う。

 運転手にがんセンターの話しをすると

「大きな病院じゃ。毎日誰か死による」

と教えてくれる。親父が入院していると言うと

「死なん人もおる」

 いい運転手だ。


photo: 朝になった。まずは電車に乗る。

photo: 昨夜歩いているうちに見かけた治療院が気になったので行ってみる。マッサージと鍼。たっぷり治療してもらい昼になってしまった。慌てて出発。幸いすぐ近くに大きな病院があり、タクシー乗り場があった。大急ぎで三津浜まで。

photo: 少々遅刻して到着。JJさんと食事。醤油うどん、美味。

photo: 駅まで歩き、電車に乗る。途中の駅で乗り換え。市内電車と郊外電車がいっぺんに見えるので見ていて楽しい。

photo: 反対側の風景。

 この後近くの電停から歩いて病院へ。もうすっかり回復していてただの雑談ばかり。いったいなんだったんだろう・・・

photo: ホッとして病院を出る。市駅で空港に向かうバスを探したが、なぜかリムジンバスは出ていない。空港からは市駅行きはあるんだけど、空港行きはJR松山駅から出発するらしい・・・なぜなんだろう。普通の市内バスでの空港行きは出ているが、時間が心配だったのでとりあえず市内電車でJR松山駅まで行ってみる。

 JR松山駅近くでは珍しい電車同士の平面交差がある。市内電車が踏切で止まって、郊外電車の通過を待つのだ。

photo: 坊ちゃん列車とすれ違いつつJR松山駅に到着。運良くリムジンバスが来ればそれに乗り、来なければそこからタクシーでという作戦。幸いすぐにバスが来たので乗車。

photo: ほんのちょっと時間があったのでビールとじゃこ天で乾杯。じゃこ天は四国の形をしている。アルバイトの高校生が泡だらけになりながら奮闘してビールを注いでくれた。「大丈夫?」と聞くと「はい、大丈夫です。沢山飲んでください」・・・可愛かったのでもう一杯飲む。

photo: 機内で日没の時間となる。

 一時はどうなることかと思ったが、終わってみたらただの松山市内徘徊旅行だったような気もする。初日に極度の緊張があったせいか、反動が出てしまったようだ。


Written on 2003.12.6.-2004.5.23.

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