久しぶりに海外の方からメールが来た。今度はスウェーデン。ショップカスタムらしいKTM-LC4の写真が添付されていて、「これが何年式か分かったら教えて欲しい」とのこと。こういうので悩むのって日本人だけかと思っていたが、案外万国共通なのカモ。
昼休みと17時以降でLC4のハンドルを交換した。レンサルのハンドル(ENDURO HI)をつけながら「レンタルバーパッド」と口ずさんでしまうのは1990年の日高エンデューロの前夜祭の思い出が強烈だから。昼も夕方も汗だくになりながら作業して、一応出来たということでエンジンをかけて8の字を書こうとするが・・・左ターンで失速してしまう。ハンドルの高さが変わり、クラッチの遊びが変わってしまったようだ。調整しても直進時と左折時で遊びが変わってしまうので、ライトカウルを外してクラッチワイヤーの取り回しを変更。
そういえば左のタイトターンで転びそうになることはたまにあった。ひょっとしたらこの症状はハンドル交換前から出ていたのかもしれない。遊びが変わる量がこれほどではなかったので気付きにくかったのだと思う。
ハンドルが高くなったのと合わせて非常に乗りやすく、楽しくなった。今までの分が取り返せるだろうか。
例によって一番忙しい日。なぜか楽しいことの前にはこの日が来ることが多い。徹夜状態のまま翌日の12時間レースに突入。
長男を連れて2時に出発。会場には5時頃着。朝7時から夜7時までの長いレースである。
子供は単純に遠くに出掛けること、しかも夜中の出発を喜んでいる。こいつは夜中に走るのが非常に好きなようで、何年か前に愛媛に帰省したとき、途中のSAで仮眠していたら「つまらない」って泣いていた。
前日大雨だったのでぐちゃぐちゃ。スタート後の混乱は若手に任せて、二番手を担当した。ハンドル交換、特にクラッチ調整が利いたのか非常に調子がよろしい。長いレースなのだからと特に飛ばすこともなく、スタックしないように慎重にアクセルを開けることに専念して数周をこなす。開けすぎて転倒したMX車を何台も抜いたような気がする。
走っている時はまだ楽だが、転倒・エンストなどでもがくと一気に苦しくなる。ピットに戻って交代。しばらく休んで時計を見るとまだ朝の8時半・・・まだ早朝じゃんか。
その後睡眠不足からくる頭痛などにも悩まされたが、なんとか完走。最後の数周は気温も下がり、エンデューロハイも迎えたようで楽しい走りとなった。ゴールしてしばらくすると夜空に花火が浮かぶ。感慨深い花火であった。
土曜日がレースというのは、準備は大変だが後片付けに余裕が持てていい。
旅行に備えてハム君(フェレット)を友人に預かってもらう。しばしの別れじゃ。
四国に向けて出発・・・だが今回は乳児もいるので無理をせずに途中大阪で泊まるのだ。昼に名古屋で櫃まぶし。初めて食べてから10年、ようやく家族でこの店に来ることができた。うなぎと聞いて最初は引いていた子どもたちも喜んで食べていた。
そして大阪へ。以前よくお世話になっていたお好み焼き屋さんで夕食。考えてみたら家族でお好み焼き屋さんに入ったのは初めてだ。
博多へ移動。早くて6時間、ゆっくり行って8時間程と言われていたので早朝からタイムアタックをかける。合言葉は「昼食は博多ラーメン」。我が家には珍しく4時台に起きて準備、5時過ぎにチェックアウト、コンビニで買い出しをしてから6時には阪神高速に乗るという優秀なスタートであった。
無事朝のラッシュ前に都市圏を脱出し、あとは順調に博多までドライブ。何とか遅めの昼食という時間帯に到着したが、お目当ての店は昼はやっていないようで、別の店にたどり着くまでに結構かかってしまった。リサーチ不足であった。昼食べようってのは昨日急に思いついたからなあ。
ラーメンを食べた後は道に迷いつつ女房の友人宅へ。長距離を走った後に東京の知り合いの家にお邪魔したわけで、遠くなんだか近くなんだか分からない不思議な気分になった。
夕方、勤め先の営業所に顔を出し挨拶すると夕食に誘われた。嬉しかった。
ホテルのバイキング朝食が子どもたちに大受けだった。そういえばドリンクバーでもけっこう喜んでいるからなあ。
朝食後、午前中をキャナルシティ内で過ごす。ぶらぶらしていると楽しい・・・が、来る度に店がちょこちょこと変わっている。大丈夫なんだろうか。
昼からは再び高速道路に乗って大分は佐賀関を目指す。久しぶりに四国に船で渡る。瀬戸大橋が出来る前のツーリングを思い出す。たまにはいいものだ。
休息日。わずか一日しかないが例によって買い物に行ったり釣りをしたり。田舎にいると買い物が楽しい。
小学生の子供2人はもう3泊して飛行機で帰ることになった。我々大人と乳児は予定通り今日出発。
JJさんに招待されて花火見物。花火が球に見えたのは生まれて初めて。灰が顔(唇)に当たるほどの近距離。こんなにきれいで迫力のある花火は初めて。
昨夜はやはり眠くなってしまい、ベッドのおかげもあって途中のSAでぐっすり寝てしまった。「明るくなってきたよ」と起こされてあわてて走り始めたのが5時。まだ徳島だった。
で、なんとか頑張って14:30に到着。大きな渋滞にも遭わず、スムーズな旅行であった。
日航機事故から17年。過去の雑誌記事を見ていたら、記事の中に「(笑)」が何個か書かれているのを発見。「(笑)」ってネット関係から使われるようになったのかと思っていたが、当時はパソコン通信はまだ無かったかほとんど普及していなかったはず。週刊誌の座談会形式から発生したものだったのか。
羽田空港まで子どもたちを迎えに行く。予定より少し遅れて無事到着。小学生二人の飛行機旅行が終わった。
子供だけで飛行機に乗るのは第一子は去年経験済み。第二子は「オレはいやだ」と言っていたが、兄ちゃんと二人なので大丈夫だったらしい。「こんどはオレ一人で」と言っている。
会社は夏休みに突入。私は工事立合で出社。渋滞もなくてスムーズだし、電話もかかってこないし、他の用事も少ないし、なかなかいい調子だ。来年もこれが出来るといいなあ・・・工事はいやだけど。
夏の旅行が結構うまくいったもんで、嬉しくなってキャンピングカーの装備を勉強中。もう一工夫でもっともっと楽しくなりそうな気がする。
お友達家族と焼肉屋に行くという当家初のパターン。子供は出発前から大騒ぎ。
「ほかのきゃくをおっぱらえ〜」
「そのにくとジュースで、のめやうたえや〜」
おい、一年生よ。どこで覚えたんだ、そんな言い回し。
横浜の現金輸送車襲撃事件で、ジュラルミンケースが発見された場所はよく使っているコインパーキングだった。朝のテレビ見て妙に興奮してしまった。しかし、怖い事件じゃのお。
沼津で行われたオフ会に参加。当初前夜出発の意気込みでいたが、結局いつも通りの出発となってしまった。
昼飯の買い出しで沼津IC近くのコンビニへ。「温泉も美味しそうな料理屋さんもあるのになんでコンビニ弁当なの」と家族から不満が出る。確かに。で、せっかく来たのだからと伊豆まささんに美味しい魚料理の店を聞いてみると・・・一緒に行くことになった(幸)。
残念ながらお店が込んでいて席は離れてしまったが、美味しい魚を食べて、きれいな花火も見ることができた。
「エビフライが食べたい」とお子さまランチを頼み、ほとんど食べずにオレのブリ塩を半分食った息子(第二子)よ。中洲に続いてまたやってくれたな。
町内会の盆踊りに行く。お年寄りから子供まで、たくさん集まっている。会長の挨拶で「子供さんが元気な町は、非常に活気がある町です」というようなことを言っていた。
最近駅の方はちょっと荒み気味のようだが、この辺はまだまだ大丈夫そうだなあ。
久しぶりにオークションの入札で食い下がってみたが、断念。写真だけ保存して終了。やっぱり資金力だなあ、こういうのは。生活をこれ以上犠牲にしては続けられないしなあ。
小さい頃買い物についていって、ミニカーを欲しがるオレに母親は「ミニカーにおしょうゆ掛けて食べる?」と言っていたが、その時の母親の気持ちが(別の角度からだけど)よく分かるような気がする。
久しぶりの日帰り大阪出張。朝一の某交通機関で一気に大阪に飛び、最終の某交通機関で帰ってくる。帰りに関空経由で帰ってくるのは初めてだったので、ネットで慎重にシミュレーション。19時ちょい過ぎまでは飲めることを確認しておいた。
仕事の方はほぼ順調に終わり、18時には出ることができた。予定通り19時過ぎまでいつものお好み焼き屋さんで過ごし、電車で関空に向かう。以前、大阪出張からそのまま松山に向かったときはJRの「はるか」で行ったが、今回は「ラピート」に乗ってみることにする。
20分ちょっと待って待望のラピートが到着。異様な雰囲気のする車両は凄いが、走る路線は普通の路線。たまに停まる駅は普通の駅で、コンクリートブロックの塀も見えるしホームに置いてあるほうきやバケツも目に入る。周りの客はどんどん降りていく。「はるか」はたしかほとんど停まらずに走り、関西空港に駆け込んでいくから、さあこれから飛行機で遠いところに行くよ行くよ・・・という雰囲気になるのが早かった。ラピートだと乗るときにワクワクし、途中停車駅で「あれっ」と思い、橋を渡る頃にようやくまた旅行気分が戻ってくる。まあ、関空利用者だけでは大赤字になってしまうだろうが・・・
前回は気付かなかったスタバも今回は無事発見し、本日のコーヒーをグランデで飲む。小さな紙コップに入ったサンドイッチをサービスしてくれてラッキー。ちょうどよいサイズだった。
飛行機はA320。一つ前の便もぎりぎり間に合ったようだが、これに乗りたくてわざわざ選んでみた。後部の中央席だったが行ってみると最後部の二列のシート。しかも隣の客は現れず。つまらないことだがささやかな幸せが続いた帰路であった。
電話工事の立合で出社。100芯のケーブルを配管に通すのを手伝い、その後しばらく自分の仕事をしていた。何時間かたって盤を見てみると、さっきまでボサボサだったケーブルがスキッ!ビシッ!とまとまって美しく配置されている。職人の技を見せていただいたナリ。