法事。その後カニ料理をごちそうになる。どこを食べて良いのかわからずしばらく苦戦したが、美味しかったです。
電話工事の立合で出社。予定を大幅にオーバーして未明まで頑張るがトラブって未了。ワシは慣れているけど電話屋さんは大変そうだった。
電話屋さんは今日も作業しているようだが、ワシは今日は休ませてもらった。今日は無理じゃ。
明日は母親の命日で法事がある。会社を夕方出て、そのまま飛行機に乗って帰省・・・のつもりで家を出発。会社につくと「愛媛に電話してください」のメモが・・・何だ?
早速電話してみると、なんと叔父が倒れたとのこと。親父の兄弟で一番若い人なんだが・・・心筋梗塞らしい。すぐに行こうかと思ったが親父が来るかもしれないとのことでとりあえず会社で仕事をしながら待つ。クレジット決済してあった航空券をキャンセルしたら手数料が数千円も取られてしまった。金欠なので少しでも安くと思っていたのが裏目に。当日現金で払うことにしておけばよかった。せめてこの数千円分だけでもマイルがつかないものか。
結局親父は最終便で来ることになり、病院の面会時間には間に合わないことになった。頃合いを見計らって(やや遅れ気味で)羽田空港へ・・・しかし今日は208Dで来てしまっている。立体駐車場には入れないのである。遠路やってきた親父を平面駐車場まで歩かせるのもなんなので、すこし離れたところで徐行しながら待つ作戦を採る・・・がやはり羽田空港の混雑と警備は激しい。一ヶ所に停めておけるのはわずか2分程。構内を何周もしてしまった。
なかなか出てこないので不安になる。到着予定時刻を十数分過ぎ、そろそろ手荷物を受け取って出てきてもよさそうなものだ。iモードで発着案内を見るとたしかにもう到着している。家に電話し、もし電話が掛かってきたら「クルマを停められないので外の道路を回っている」と言うように指示。親父は携帯電話が普及する直前にリタイヤしているので、携帯に直接電話してこないで家に電話をするのではないかと思った。
到着予定時刻から30分経ち、さすがにやばいので某所に駐車して走って迎えに行く。途中で家から電話があり、外を歩くように伝えたとのこと。今まで中を探していたのか・・・すぐに会えて、そのままそこで待っていてもらいクルマを取りに戻る。こんなことなら最初から平面駐車場に入れておけばよかったナリ。
次に羽田空港を改修するときは、P1、P2は一階だけでいいから2.6〜2.7m位まで入れるようにして欲しい。
今日・明日と法事出席のために休暇を取っていたが、法事は中止。休暇はそのままにして親父と一緒に叔父の見舞いに行く。湾岸線を延々と走り、穴川まで。幕張まではたまに行くから慣れているが、そこから先がえらく遠く感じた。
意識は戻らず。面会を申し込むと「どのような間柄の方ですか」と聞かれ、「兄と甥だ」と言うと先生から直接説明があるとのことだった。やや不安を感じる。心筋梗塞ではなく心筋炎という病気らしい。病院に入ったときにはまだ意識はあったが、翌早朝に心停止があり、脳への影響も心配されているとのこと。まずは心臓の回復を待つことになるらしい。不摂生がどうのこうのとかではなく、ウイルスによって心臓の機能が低下してしまう病気なんだそうだ。薬などはなく、回復力に掛けるしかないらしい。
もっと早く病院に連れてくればよかったと嘆く叔母。そのへんの病院で見てもらっても風邪薬出されて「様子みましょう」位にしかならないだろうから、さいしょからこういう専門の病院にはいれてよかったんじゃない、と言ってみる。これが本当にそうなのか気休めなのかは分からないが、それぐらいしか言えない。
このまま泊まり込んで看病・・・になるのかと思っていたら親父が「おい、帰るぞ」と言い帰ることに。長旅で疲れているのもあるし、もともとこういうところやこういう状況が苦手なことを思い出す。また明日と言って、横浜に帰った。
再び千葉へ。今日は親戚も集まり、やや賑やかな雰囲気になる。叔父・叔母たちは昏睡状態の弟を見て大分ショックを受けている模様。
集中治療室で二回目の説明を受ける。心臓はやや持ち直しているものの、脳と腎臓のダメージが深刻らしい。心臓が治っても長期戦になるだろうとのこと。はっきりとは言われなかったがこれが植物状態・回復する見込みが低い中での長期療養生活であろうことを感じる。腎臓がほとんど動いていないようで、尿がほとんど止まってしまっているらしい。最後の望みをかけて利尿剤をたくさん使っているとのことで、これで尿が出てくれることを祈るばかりである。
「もらい事故のようなものなのでしょうか」と質問してみた。深刻な顔つきで言葉を選びながら「そうですね」との返事。風邪と非常に症状が似ているので、見逃すことも多いらしい。そして、通常はもっと進行が早いのだそうだが、叔父の場合は具合が悪くなってから心停止までの間が数日あり、亜急性ということになるらしい。血液検査を受けていれば数値に出るから分かるとのこと。やはり病院につれていけばよかったと嘆く叔母。「子供じゃないんだし、家で休むのを選んだのは叔父さんなんだから」と言ってみたものの、生き死にが決まってしまうとまでは叔父も考えていなかったのであろう。
今日こそは泊まりになるかと思ったらまたも「なにも出来ないから帰ろう」との命令。近所のファミリーレストランで食事をしてから帰る。深夜、ネットで心筋炎についていろいろ調べてみる。かかって亡くなった子供が多いことにびっくりする。子供に多い病気ということではなく、おそらく子供を突然奪われた悲しみからネット上に記録を残す人が多いのだろう。医者に行っても風邪だろうと言われ、家に戻ったらその日のうちに・・・などという話しがたくさんネットに載っていた。心筋炎でお子さんを亡くされた方のサークルもあるようだ。かなり悲観的な状況に置かれていることに改めて気付く。
「三連休ずっといないのも子供によくないから、今日はいてやれ」とのことで親父だけが千葉に行った。途中電話が入り、「おしっこがでたらしいから大丈夫だ」と説明を受ける。病院の近くの動物公園に行って子どもたちを遊ばせて、あとで少しだけ顔を出そうかなと思っていたのだがそこまでしなくてもいいということで止めることに。
夜になって帰ってきた親父に話しを聞いてみると、叔母たちが「昨日より尿が増えている」と喜んでいたが、昨日とまったく同じ量にしか見えなかった・・・とのこと。どちらの気持ちもよく分かる。
すこし早めに出て美味しい弁当でも買って徹夜組に差し入れようと、とりあえず湾岸線を走る。幕張で降りて一般道を進むがおいしそうな弁当屋はみつからず。千葉駅に着いたのでクルマをコインパークに入れて地下へ。開店直後のお店で弁当を2つ買ってクルマに戻る。
地下道を歩きエレベーターに乗ったところで家から電話が入る。あと数時間とのこと。これは弁当どころではなくなったなと思いながらクルマに急ぐ。幸い道もすぐにわかり、20分程で病院に到着。
一昨日来たときには待合室にはまだ「意識が戻るのを待つ」雰囲気があったが、今日はそんなものはどこにもなかった。脳と腎臓はほとんど働いていない模様。しばらくすると集中治療室に呼ばれた。部屋の雰囲気が明るく変わっているような印象を受ける。看護婦さんたちの配慮だろうか。
「あと1時間位だと思いますので見守ってあげて下さい」
と先生から声がかかる。私はいったん部屋を出て、親戚に電話連絡。待合室に戻るとさっき電話のところで見かけた女性がキョロキョロしている。声を掛けてみると遠い親戚だった。見舞いに来ていきなりこのシチュエーションでは大変だなと思いつつ、「かなりシビアな状況だけど大丈夫ですか」と確認してから集中治療室へ案内する。
正午を過ぎた。脈がだんだん少なくなってくる。補助ポンプがサポートしきれないぐらいに弱くなっているとのこと。それまでほとんど動かなかった叔父が、目を開けて苦しんでいる。意識はもうないと説明は受けているものの、見ていて辛かった。
12時43分頃、臨終。家族の死に三度ほど直面しているので少しは慣れている(それも困ったことだが)が、病院で人が亡くなるのを看取ったのは初めてであった。しばらくはそのまま部屋にいたが、処置が始まり口から管が抜かれた。口が管の形になって開いたままで戻らないのが痛々しい。このあともっと激しい処置がなされるはずで、まだ泣き続けている叔母には見せない方がよいと思い待合室に戻る。
その後は電話連絡、霊安室への移動、落ちつく間もなく葬儀社との打ち合わせとハードな作業が続き、すべてが終わったのは夜7時頃であった。連休最終日で高速道路は渋滞。アクアラインに逃げようとするが途中が事故で通行止め。家に戻り、結局渡せなかった弁当の中で傷んでなさそうな部分だけ、親父と二人で食べた。
親父が千葉に打ち合わせ方々様子を見てくると言うので、出勤途中に羽田空港で下ろす。羽田からは高速バスで千葉まで。幸いバスはすぐ来たようで、午前中なので混雑もなく、渋滞も大したことがなかったようで喜んでいた。羽田空港を中継点にした移動は、ツボにはまるとなかなか面白い。
通夜。早めに行き準備を手伝う・・・つもりだったが手伝うことはほとんどなく、見守るばかりであった。納棺前にはオプションで入浴サービスのようなことをやってもらっていた。美容師のような女性二人が洗髪をし、身体を洗う。大変な仕事だと思った。見守る叔父・叔母たちも辛そう。皆年下の人が亡くなったことにショックを受けている。
祭壇は喪主である叔母の意向を葬儀社の人がうまく花屋さんに伝えてくれたようで、静かに悲しみを表す花祭壇になった。自分の時もこれにしたいと思うような祭壇だった。
夜1時頃式場を出発。すぐ近くにあったドンキホーテをちょっとのぞいてから京葉道路経由で帰宅。明るい雰囲気の所に行って少しだけホッとした。
葬儀。子どもたちも学校を休ませて一緒に行く。エレクトーン演奏のビートルズですこし心が明るくなったような気がした。弟の時にも思ったが、音楽の力は凄い。
マイクロバスが満員なので子連れ二家族は208Dで行く。火葬場の真ん前にユニクロ。生け垣のこちらと向こうでギャップが激しい。お坊さんのクルマがかなりいじったゴルフ3(GTIだったかVR6だったか・・・ABTのホイール付)だったのが印象に残った。
繰上初七日も無事終わり、帰途につく。この一週間、かなり疲れているので渋滞にハマるのは勘弁ということで、アクアラインを選択。郊外の空いた高速道路からいきなり海上に出て、トンネルを通過した後にいつもの工業地帯に突入する。一般論ではアクアライン不要論をとなえていた親父も、渋滞なしで走れることには感心していた模様。
なにかの参考になるかもしれないので、聞いた話しを簡単にまとめておこうと思う。
これを読んだ方は「心筋炎」という病気があるということだけでも覚えておいていただきたい。私たちの経験がお役に立つことのないよう、また万一なってしまったときにはお役に立って危機を脱出できるようお祈りする。
子供の運動会。昨日までの雰囲気から180度転換である。親父は孫の運動会を見ることなく、飛行機で帰っていった。いつもなら羽田まで送るのだが今回は運動会のためそれもなし。近所の駅まで送った。
お友達から電話があって工具を貸しに行く。そのまま子供用自転車セットアップ大会になる。終わってから二家族で食事。その後更に私だけ突発ラーメンOFF。激しい土曜日でした。