12月の雨の日。雨が三日も続いていてイライラするがこの歌をうたってしっくりくると思うと少し嬉しいような気もする。要は気の持ちようナリ。
いつも表示している新聞のWebサイトに「役所大統領も絶賛 ×××の光ファイバーは家族にうれしいサービス満載」ってPR行が出ていて、「ん? アメリカの公的機関が光ファイバーでなにか始めたか」なんて思ってクリックしてみたら、「役所」というのはCMに出ている俳優の名字だった。
4年余り動かしてきた掲示板を休止した。一応休止の言葉として
この度、思うところがあってBBSを休止することにしました。
MS-DOS・2400bpsでパソコン通信の頃からメールやBBSの可能性に注目して
遊びや仕事に使ってきましたが、ここ数年は掲示板の使われ方が変わってきて
いるように感じます。登録メンバーによる実名やID表示が前提だった頃とは大き
く変わり、無記名での書き込みが当たり前となった昨今、当サイトのような規模
と内容ではBBSは不要・・・という考えに至りました。
また新しい目的や興味深いCGIが見つかったときには再開するかもしれません。
1999年10月に設置して以来、全くトラブル無しに運営出来たことを深く感謝
します。
なお、BBS以外はこれまで通り動かしますので今後ともよろしくお願いします。
と書いてみた。
特に仕事でそうなのだが、メールを打ったりBBSに書き込むのが面倒になってきている。携帯にメールが来ても返事打つのが面倒で「オッケー」なんて電話して切るって人は最近増えていないだろうか。無記名で書き殴られる真偽入り乱れた雑多な情報を読み、真実を推理するっていう作業が多い昨今、公開BBSで名前・立場を名乗って意見を晒すのは非常にしんどい作業になってきている。技術やノウハウを持つサイトが設置しているQ&Aか、仲間内のミーティングなら意味もあるのだろうが、「いついつ遊びに行こうよ」なんてことを衆人環視の状況でやるのも良くないような気がする(特に防犯上)。
BBSで知り合った方もいたので非常に悩んだが、BBSが無ければたぶんメールが来ていたんだろうし、いいことにさせてもらおうと思った。永久にやめるというわけではなく、必要に応じて、また他になにか思いついたら始めるかもしれない。
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夕方、注文部品を取りにとあるメーカーの東京営業所に行った。名前を名乗ると別のドアから女性が出てきて「え、Tさん?」とビックリしている。どこかで見たような人だ。「K町のマンションに住んでました?」と聞かれて「はい」と答えると「Sです」・・・ここで思い出した。同じフロアの目の前の部屋に住んでいた人だった。こんなところで会うとは思っていなくてまったく記憶が繋がらなかった。聞けばこの会社に勤めているそうで、ご主人も同じ会社らしい(今はアフガニスタンに出張中とのこと)。今ではK町からT町に引越したらしい。もう5、6年前になるが、オレが副会長を1年間やり、次の年にSさんが会長を1年間やった。あのマンションは自治会役員やると引越したくなるんだよな(笑)。
家に帰るとまた別の注文していた品物が届いたので試しに使ってみる。今まで直ぐ近くにあったのに知らなかった世界をまた一つ知ってしまったナリ。今まで知らずにいたことが怖いナリ。
職場のメールサーバーが突然金切音を出し始めたので、祈りつつ夜まで待って緊急作業。裏技ディスク交換で無事復旧。止まる前に作業が終わったのでなんとか助かる。
昨日は緊急作業の後、自分のクルマは置いて業者さんの車で話しをしながら帰ったので、今日は久しぶりに電車で出勤。バスの時間がうまく合わず15分ほど歩いてからタクシーに乗る。たまには良い運動になる。
夏の旅行記がようやく完成してアップ完了。寒くて延々と走っている写真ばかりだった。次回はもう一ひねりしたい。
午後はサッカーのクリスマスイベント。ギリギリで駆けつけてじっと観戦。毎度の事ながら土曜日にこれをやっていると次の日曜日はオートバイに乗りたくなる。
7時前に家を出て第一子といつもの河原へ。今回は趣向を変えて早朝から練習してみる。野外料理などもしないでただ走る。昨日から昨夜にかけての雨でコースはドロドロ、久しぶりにマッド感覚を味わって楽しかった。
平地オンリーだった第一子がようやく高低差のあるセクションにチャレンジし始める。途中勢い余って電子レンジに引っかかって大転倒という危ないシーンもあったが、今日一日でだいぶうまくなったようである。
10時30分頃に上がって、空いている道を一気に走って地元に戻り、自治会の餅つき大会に出席。餅の前に走るか後に走るかで悩んだが、先に走って正解だったようだ。
朝起きると第一子が「首が痛い」という。電子レンジ転倒のせいと思われる。首に湿布を貼って学校へ。
俺は転ばなかったし大丈夫だなあと思っていたら、昼頃からキツくなってきた。たった2時間走っただけなのにこの痛みはなぜ? と思うが答えは分かっている。年だからである。翌朝大丈夫だからと安心していてはいけない年齢なのだった。
勤務先のグループ会社の給与計算PCが動かなくなった。先日も似たようなことがあり行ってみるとFDDに非システムディスクが入っていただけだった。今回も軽い故障だといいなあと思いながら行ってみると・・・どうやら重症の様子。フタを開けて音を聞いてみると「カッコンカッコン」と鳴っている。
データバックアップは一応あるものの、取ってからしばらく作業したとのことなので出来れば最新データを抜き出したい。何度か再起動をかけても相変わらずディスクは認識されず。最後の手段ということでディスクを外し、手のひらで挟んでディスクの円周方向に何度か振る。再びセットして起動すると・・・起動画面が出た。
すかさずデータバックアップ。最後の力を使い果たしたのか、その後ディスクは二度と認識されることは無かった。ありがとうディスク。
昨日夜に業者さんに預けたPCを引き取りに直行する。新品のディスクをトリプルブート用に設定してもらった。会社に着いてすぐにアプリケーションの再インストールにかかるがなぜかCDドライブがうまく動かない。認識はされているし「取り出し」では出てくるのだが・・・諦めて予備機から移植。2時間程で無事昨日朝の状態まで復旧した。ボーナス前の大事な時期なのでかなり緊張したナリ。
緊張しまくった復旧作業の反動で、気が抜けてしまいフラフラ。ついでに首や背中や腰もユルユルになってくれると有り難いんだけどこちらはガチガチのまんま。5年ぐらい休まないと楽にならないんだろうなあ。
久々に楽しそうな注文が入ったので気合いを入れてデータベースを作ってみる。久しぶりにデータベースが楽しいよママー!
KTM販売店に注文していたスプロケットを取りに行く。予想(覚悟)していた金額の約半分。安くなったもんナリ。安いのは嬉しいけど大丈夫なの?って思うぐらいに安い。もう時代が違うんだなあ。
2号車を車検に出し、博多ラーメンを食べて帰宅。久しぶりに食べた地元の店は前よりも美味くなっているように思え、嬉しかった。
朝練に行きたかったが第三子の水ぼうそうで家族中疲弊しているので中止。一生の趣味だからニ、三週間乗れなくたって別に構わないやと強がってみるが、こういうときに限って天気が良い。
昼から横浜に行き自転車トライアルのデモを見る。元世界チャンプのデモだから技のレベルは高い(はず・・・初めて見るので分からないが)。子供には良い刺激になった模様。
休暇を取って運転免許の更新。前回は3年前。次回は5年後。軽い違反が一回だけってことで一般講習(約1時間)だったんだけど、教官(?)の話し方には「お前らは優良運転者ではない」って感じがにじみ出ていたような気がする。見せられたビデオもつい軽い調子で飲酒運転をし死亡事故を起こしてしまい、家を手放したり勤務先を解雇になったりと悲惨な物語だった。テレビでもよく見る俳優を使って作っていた力作で、見ていてちょっと話が都合良く出来過ぎているかなという気がしたが、現実はもっと汚い言葉で罵り合い更にドロドロと悲惨なのかもしれない。
神奈川県で作ったという冊子の表紙がPW50で練習する子供の写真だったのが唯一の明るい話題だった。
Googleのロゴに複葉機がついているのを見て、ライト兄弟の初飛行から明日で100年であることに気付いた。最近飛行機趣味が加速しつつあるので感慨深いのであるが、愛媛県を郷里に持ち八幡浜を通る者(通るだけで全然関係ないんだけど)の私としてはライト兄弟と聞くとすぐに二宮忠八のことを思い浮かべる。ライト兄弟よりも早く模型飛行器での実験に成功したが、周囲の理解が足りずに開発が進まず、ライト兄弟に先を越されてしまった。
昔から八幡浜の新町銀座や松山空港に行く度に古い模型が置いてあったりぶら下がっているのを見ていたので当たり前のように知っているつもりだったが、今回二宮忠八関係のサイトをたどってみると、知らないことも多くビックリした。ライト兄弟の飛行成功の報を聞いて自分の飛行器を壊したことや、その後飛行神社を作ったというのは知っていたが、神官の資格まで取っていたとか、忠八の意見を採り入れなかった軍の中将が後に謝罪したなどということまでは知らなかった。世界初にはならなかったが、そう悪いことばかりでもなかったのかもしれない。
更に調べていくうちに玉虫型飛行器のラジコンが飛ぶ動画をみつけた。非常に感慨深かったぞなもし。
そういえば昔NHKで坊ちゃんをやったときに飛行機のエピソードがあったなあ。今にして思えば坊ちゃんと二宮忠八を強引にくっつけてドラマ(?)にしたんだなあ。あれは?な内容だった。
近所のオトモダチのオトーサンから、「なぜT家(うち)は呼び方がトーサン、カーサンなのか」という質問が奥様経由であった。アタマに「お」が着かないことが不思議らしい。言われてみればそうだなあ。第一子が言葉を発し始めた頃、「トーサン・カーサン」だったのがそのまま定着したんだと思う。今日第一子に書かせた反省文でも、表記は「父さん、母さん」だった。
女房に勧められてたまにビール酵母を飲んでいるが調子がいいような気がする。ウコンも飲んでみたがこちらはあまり違いが分からず。
福岡の巨匠は行きつけの飲み屋に焼酎とウコンをキープしている。ワシも見習って、身体に気をつけて飲み続けたいものナリ。
久留米から取り寄せたラーメンを食す。今冬二回目の久留米ラーメン。しみじみと味わう。
これを毎日食べられる土地をうらやましく思うと同時に、そこに住んでいたら今頃ラーメンが食べられない体になっていただろう自分を想像し、体が震えたナリ。要は馬鹿。
午前中は家族が歯医者に行った。午後はバイク整備少々と買い物など。家族が5人もいると毎週誰かしら歯医者に行ったり病院に行ったりしている。家族用のバイクや自転車がたくさんあると必ずどれか一台は整備が必要になって・・・
走りに行きたかったが年末のスケジュールも考えて自粛。鎌倉方面に行って写真撮影と買い出し。その後川崎まで走って更に買い出し。
官製はがきって言葉、まだ使われてるなあ。
河原に行って遊ぼうとしたら張り込んでいた刑事さんとお話しになった。先日ここに勝手に住んでいた浮浪者が殺された事件のことだった。犯人とかクルマの写真を見せられて「覚えてますか」って言われたけど覚えているような覚えていないような。家に帰って写真を見てみたら・・・うわー、犯人と被害者の車らしきモノが後ろにバッチリ写ってるじゃん。刑事さん曰くそうとう悪い奴だったそうで、他のバイクとはトラブルも起こしていたらしい。っつーことはうちもトラブッたり殺されてたりしてたかも知れないんだな。怖いんだな。
今年は急に第二子がサンタクロースは居ない等と言い出したので、開き直って堂々と何が欲しいか聞いて一緒に探して一緒に買った。もうハラハラドキドキして枕元に忍び寄らなくてもいいのかと思うとホッとするが、月並みだけれど一抹の寂しさも感じるナリ。
居るはずのないモノを居ないと言うのが大人なら、居るはずのないモノを居ると思うのも大人だろうと思うナリ。彼は今年“オトナ”になった。数年〜十数年後、再びサンタクロースの存在に気付くでアロー。
去年同様今年もクリスマスにクルマ屋サンに行き、PCの設定その他を手伝いつつ、オイル交換をしてもらう。今日で納車から12年。ただいま17万5千kmを少々超えたところ、やっとアタリが出てきたという感じで絶好調。
カレンダーのつながりもよろしく今日で仕事納め。前の仕事は29日まで超忙しく、29日夜に忘年会、30日に大掃除、4日から再び超忙しいというパターンだったので、今の環境に移ったときには(休みについてだけは)かなり嬉しかった。せっかく年末の休みも長いし、今年は年末の妙な作業も無さそうなので、明日一日で年末の用事を片付けて明後日から旅に出ることにする。
サンタの話で思い出すのはやはり膨大な影響を受けた某サイトの日記の話。「糞サンタはもう来ない」って書き出しで、一番欲しいモノを誰にも言わず内緒にしておいて、それがプレゼントされたらサンタが実在する・・・という検証を企てた娘さんの話をしていた。「そういうことらしい」と寂しそうに締めてあったな。その日記ももう閉鎖されて読めなくなってしまった。
片づけをしたり子供を歯医者に連れていったり、あとは散髪に行ったりと用事が多い。5日間でやろうと思っていたことを3日分位に削ってそれを1日でやろうとしているから、まあ当然と言えば当然。合間に年賀状を印刷したり、宛名データベースを作ったりしているから尚忙しい。
忙しい忙しいと思っているだけで結局なにも捗っていない、しかも疲れているというあまり良くないパターン。これではいかんと未明に起き出して年賀状をやっつける。今年から当家でもついに宛名を印刷することにした。普段ほとんど字を書かないので宛名や住所をよく間違えてしまい、ハガキがもったいないのである。
途中枚数が足りなくなってコンビニに買いに行ったりして、結局準備が整ったのが昼。ノロノロと出発して西に向かう。大阪でお好み焼きを食べるべく頑張ってみたが事故渋滞で間に合わず。大津SAで食事をして更に西へ。
途中二度ほど仮眠したが、寒さと狭さで熟睡できず。今回は車内では仮眠だけのプランなのでベッドの2階部分は持ってこなかった。トイレまで歩くと寒くて引き締まった空気でぱっちり目が覚める。クルマも走っている方が暖かいので結局ほぼ一晩中走っていた。中国道は路肩に雪が残り、たまに白線を越えて走行帯まで積もっているという状況。途中のSAではまるでスキー場のような積もり方。子供たちは大喜びだった。第三子はこれだけ積もった雪を見るのは初めてかもしれない。
順調に走って朝を迎える。昼までに福岡に着けばいいと考えていたので下関で高速道路を下り、関門トンネルで九州入り。そのまま門司の街並みを感じたりスペースシャトルを眺めたりしながら走行。高速道路とはまるで違う風景の移り変わりを見ていると、疲れがどんどんとれていくような気がする。
無事昼前に福岡入りしてまずはラーメン「D」店へ。昼に来るのは初めて。スープの熟成度(?)が足りないような気がしたが、東京や横浜で食べる博多ラーメンとはやはりちがう。家族も美味しそうに食べている。替玉が小ぶりだったので数回繰り返す。スープといい替玉のサイズといい、夜向きの店なのかもしれない。
午後は近所の公園で遊んだりキャナルシティで友人達と待ち合わせて買い物をしたり。夜も懐かしのお店で食事をし、ホテルに帰る前に第一子と第二子を連れて寄り道しておむすびを食べる。今回の福岡行きの最大の目的はおむすびで、二番目がラーメン。二人とも喜んでいた模様。親父人生38年で得た幸せを10歳と8歳の息子に分ける。「中洲の夜を体験」と考えるとちょっと早いが、鳥料理とおむすびなら良かろう。
家族が寝た後は友人と合流して更にいつもの店で焼酎。初めて〜三回目位まではここで飲んでいると「家から相当離れたところ」にいる感じが頭から離れなかったが、今ではまったくそのようなこともない。
朝食はホテルのバイキング。前回泊まったときはバイキング形式そのものに子どもたちが感激しているのを見るのが楽しかったが、今回はすでに学習してしまっているらしく感激は無し。フライドポテトを何度も山盛りでおかわりしていた。午前中は以前出張中に立ち寄った複合商業施設に行き、オカーサンは洋服、親父と息子はおもちゃを探す。
昼はかなり悩んだが思い切ってラーメン店「G」へ。ここは家族連れで行って和めるような雰囲気ではなく、味よりも独特な雰囲気を楽しむような店のような気がして、いままで家族への紹介は避けていた。あらかじめ車内で注意点などを説明しておき、コイン駐車場に駐車。第三子を交代で見ながら二波に別れて行こうかと思っていたが、ちょうど寝てしまったようなのでそのまま連れていき、抱きながら食べることに。歩いて一分もかからないところに二店あるが通称「GG」と呼ばれている(らしい)本店の方に向かう。観光客が多いようで少々並んでいたが、ちょっと待っただけで4つ並びの席も空いて無事着席。「ふつうを2杯とカタ2杯」と頼んだら「4杯2カタ」と声が飛び、間もなくラーメンがやってきた。ドバッと汁がこぼれてズボンにモロに掛かったが今日なら許せる。
口に合わずに怒られるかと思ったら、意外にも女房・子供とも「美味しい」と喜んでいる。昨日の「D」店よりもあっさりしていて美味しいという。ホッとすると同時に、今まで苦労してここを避けていたのは何だったんだろうと思ってしまった。替玉と替肉も一回ずつして全員大満足。次回は昼ここで食べて夜に伝説の「H」だな。
午後は二手に分かれ、女房はキャナルシティ、我々は駅前の超大型カメラ店へと向かった。カメラ店の玩具コーナーには幼児の遊び場も作られていて、第三子も十分遊べた模様。上の二人に交代で見てもらいながら親父もジーンズを買うことが出来、有意義な数時間だった。差し迫る年末、旅行と年末買い出しを兼ねての福岡徘徊。
夕食はキャナルシティ内の有名選挙型ラーメン店の前にあるうどん店。なかなか美味しかったナリ。ただ、「エビスビールあります」のポスターにつられて頼んでみたら缶のエビスビールが出てきたのはちょっと残念だった。
9時40分頃にチェックアウト。10時の開店と同時に女房のジーンズを直してもらい、その後少々名残を惜しんであちこち徘徊してから出発。出張中に何度か利用した都市高速の入り口を通り、楽しかった福岡の町を後にする。順調に大分に移動。今回もフェリーの時刻を調べずに来ていた。込み具合や出航時刻などまったく見当がつかないため、やや不安になりながらフェリー乗り場に行ってみると出航5分前。前には一台いるだけ。慌てて乗船手続きをし、出航一分前に乗り込む。すでに他の車は固定され、うちとさっきの車が駆け込みだった。無事明るいうちに田舎に到着。疲れているのに無理して起きて格闘技を見て寝る。今年は歌番組は見なかった。