エイプリルフールなんだけど、つまらない作り話なんかとてもかなわない衝撃的な事実があったもんでどうでもよくなってしまった。また色々と考え、そして力が抜けてしまったナリ。
3月31日と4月1日、たった1日でこんなに違うんだなあと久々に思った。昔塾の講師をしていて、3月に卒業生を送り出し、4月に生徒も先生も新しい顔ぶれになったときの気分を思い出す。
帰宅途中、首都高速を走り抜けてバイパスに合流すると前方にベントラがいる。色を見て瞬時に知り合いだと気付き、ステッカーを見て確信する。全開で追いついて挨拶。嬉しい一瞬。
先週に引き続き少し離れた海へ。少々であるが整備されて公園のようになってしまうらしく、工事が始まっていた。少々残念であるがいままでの荒れ方(廃車の放置など)からみれば仕方ないのか。
KTM400SC(1997)のステップをワイドステップ(ラリー)に変更してみた。2サイクル用のステップは使用できず。ほとんど寸法は一緒なのに取り付け部の肉厚の違いでだめだったりする。残念。
2サイクルのステップと比べて妙に長さが長いような気がするのだが、現物に当てて比べてみるとほとんど一緒。ラリーステップはノーマルに溶接で継ぎ足したような構造、2サイクル用ワイドはワイドとして新たに作ったような形になっているが、そこからくる見た目の問題なのかもしれない。
オレの1989EGS(たしか1月製造)には、まるで博物館のバイクについているような古めかしいステップがついていた。友人の同じ1989EGS(おそらく1989年後半製造)は今で言うノーマルステップだったから、あの辺が境目だったのだろう。運良くKTMのステップについて3世代経験出来ることとなった。
1989EGSの古めかしいステップだが、日高で北海道のライダーに勧められてヤスリで削ったことがある。あれは効いたナリ。それを活かす腕は当時も今も無いけどな〜。今だったらヤスリじゃなくて、ピンがどうのこうの・・・なんだろうな。
1日に久しぶりにお目に掛かって嬉しかったのも束の間、乗り換えを決意された模様。仕事でお使いの車だし仕方ないナリ。古いクルマを大切にするのも大事だけど、仕事なら環境やニーズに合わせてどんどん変化していくこともまた重要なはずナリ。
サンテグジュペリの墜落地点が分かったというニュースを見る。『星の王子さま』という題名は思いつくが読んだことはなかった。童話・名作を読めと言われる年頃ではなかなか取っつきにくい題名であったこともある。大学の一般教養で天文学を学んでいるとき、「題名に『星』がつく本を一冊読みなさい」という課題が出て、「ただし『星の王子さま』は駄目ですよ」と教官が言っていたのを思い出す。その時も別に読みたいとは思わなかった。
飛行機乗りで行方不明になったということは何となく知っていたが、それ以上のことは知らなかった。ニュースを見てどんな飛行機に乗っていたんだろうと思い調べてみると、なんとP38ベースの偵察機だったらしい。リンドバーグのスピリット・オブ・セントルイス号の様なイメージを勝手に持っていたが、まさかP38の様な飛行機だったとは。
P-38は双胴機で、同じ頃の他の飛行機とはまったく違う形をしている。絵が上手でSF好きな小学生が描く夢の戦闘機のような形である。小学生時代、これのプラモデルを見たときはビックリした。零戦や雷電も好きだったけど、P38はまったく別のジャンルの飛行機という印象だった。出来上がったプラモデルを見て、母親が「この飛行機に機銃掃射を受けた。パイロットと目が合った」と恐がったことも印象深い。
仕事が終わって約一時間のドライブ中、夜空を見ながらそんなことを思っていた。家に帰ると皆寝ている。冷蔵庫からビールを取り出し、ドラえもんでも読むかと子供の本棚を見てみると、そこに『星の王子さま』があった。おじいちゃんからのプレゼントの中に入っていたようだ。あの頃は読むのに抵抗があった題名も、今ではなんの抵抗もなく手に取ることが出来る。
静かな夜にビールを飲みながら数十分間の読書。きれいで、優しい言葉で、簡単な口調で語られる世の中の一番大事なことの数々。あの頃読まずに今初めて読んだのは私にとって正解だったと思う。そして、今このお話を読むきっかけが与えられたのも偶然ではないような気がする。
夜。駐車場まで歩いていると着陸寸前の飛行機が頭上を通り抜けていく。16Lなのか・・・と思いつつ車に乗り込む。念力を使って情報を収集してみると、どうやらこのときビジュアルアプローチだった模様。後に22に変更になり、やがて通常(?)のVOR/DMEに変わった。幕張メッセやディズニーランド上空を通り、着陸寸前に急旋回して着陸すると言えば「あれか」と思う人もいるだろう。機内の画面を見ていてもなかなか滑走路が映らずやや不安になったり、逆にワクワクしたりすることもある(俺だけか?)。誘導装置を使っても難しいであろうが、ビジュアルアプローチとなるといろいろ大変だろうと思う。けれども一か八かの世界ではなく、訓練を重ねてシミュレーションも行って、限りなく100%に近い確率で行う仕事なのだろう。
前に松山に行ったとき、空港の着陸誘導設備(たぶんILS)交換作業期間にあたっていた。私が乗っていた便は一度ゴーアラウンドして二度目に着陸。前日は相当数の便が着陸できずに戻ったらしい。それを聞いた当時は「そんな状況でも着陸できる上手い(ベテラン?)操縦士もいるんだなあ」などと思っていたが、後にネットでパイロットの方々の日記を読むようになり、全くの間違いであることが分かった。空港上空までやってきて、滑走路を視認できた便は着陸し、視認出来なかった便は規定通り着陸せずに引き返した・・・ただそれだけのことのようだ。雲の切れ目とのタイミング、あとは機種による条件の違いなどがいくつか組み合わさった結果なんだろう。
今日は出勤だがさすがにいつもより早く帰れる。まだ明るいけど若干夕方の光りが混ざってきた頃、駐車場まで歩いていると上空を飛行機が通り過ぎてゆく。今日も着陸は16Lのようだ。いつもは闇の中で巨体と光る窓と照らされる垂直尾翼を見ているだけなんだけど、今日はせっかく明るいので何機か写真を撮ってみた。
必ず同じコースを通るわけではないので、真上を通ったり向こうの方だったり。機体の大きさもいろいろあって難しい。更に三年前のコンパクトデジカメなのでレスポンスも悪く、いつシャッターが切れるのかが今ひとつ分かりづらく、少し早めにシャッターボタンを押して「まだまだ」と「早く早く」を繰り返し念じているような状況。
レスポンスが悪いとはいっても前のモデルよりは相当いいし、携帯性などは非常に優れているので今でも気に入っているのだが、そろそろこれ一台だけでは限界っぽい。
オフロードバイク雑誌『バックオフ』が企画したフリーライドミーティングに参加するべく早朝から川越へ。オフロードコースの走行って「速い人がいて怖そう」とか「スタックしたときに他の人に迷惑が・・・」などと不安になることが多い(ある程度乗れる人だったらすぐ慣れるんだけど)ので、コース貸し切りで身内だけ(今回は身内っていうには範囲が広いが)で行う走行会はコースデビューには最高。
そこでうちの第一子もコースデビューとなったわけであるが、「初〜中級者コースとはいえアップダウンや逆バンクっぽいところもあるから最初の1〜2周はゆっくり教えながら・・・」などと思いながら準備しているうちにもうさっさと走りに行ってしまった。無事周回出来ているようなのでそのまま放置。拍子抜けナリ。
昼前に外出、その後777-200で福岡へ移動。福岡ではわずかに余裕があったので電車を乗り継ぎラーメン店N亭に行ってみる。ここはオフロードライディング関係のサイトで知った店である。メモを片手にブラブラ歩き、やがて無事到着。前にこの辺はクルマで通った事があるが、まさかこんなところに名店があるとは・・・やはり事前の情報収集は欠かせない。お店の前には見たことがあるステッカーが何枚も・・・あの人もこの人も来たのか(笑)。
夕方のため店内は程良く空いていて、でもようやく昼飯にありつけた・・・というような常連さんが店主と楽しそうに話していた。それでも私が注文をするとすぐにピシッと返事をしてくれて気分がいい。地元密着型と聞いていたので出張姿丸出しで大丈夫かなと思っていたが、全く問題なかった。
味の方は・・・ちょっと薄いかなと思ったが丁寧に作ってあって美味しい。近くを通ったら是非また食べたいが、近くを通ることなんてそうそうないなあ。
その後バスに乗って中心部近くまで行き、少し歩いてホテル入り。夜は駅前のオヤジ度120%居酒屋(ただし美味)でオヤジ度80%のOLと飲む。
数年に一度あるか無いかというような激しい夜。凄かったナリ。
博多駅から地下通路を歩いて祇園へ。中洲にあった思い出(?)の店が祇園に移転したので行ってみる。前の雰囲気も少々残っていて一安心。
その後やや時間があったので天神に行き、地元のラーメン通に紹介された屋台Oに行ってみる。そういえば天神はクルマで通ったり夜中にオカマバーを探して徘徊したことはあったが、普通に地下街を歩いたのは初めて。広いし落ちついた雰囲気で素晴らしいが、真夏の昼間もこんな感じなのだろうか。
屋台Oはすぐに見つかった。ラーメンと替玉で今回の福岡詣での締めとする。どれも美味しくて、どれもイマイチのような気もして、何と比べているのかがだんだん分からなくなってきてしまった。「○年前に初めて食べて美味しいと思った本場の豚骨ラーメン」が一番で、それが成長した味(しかも具体的にではなくて半ば妄想的に・・・)を探して「ここは今ひとつ」だの「ここは味が落ちた」だのと思ってしまっているのかもしれない。博多ラーメンはここが一番などと考えず、今日はここ、明日はあそこと体調や気分に合わせて選ぶのがいいのかなと考えつつ、最終便の767-300で東京へ。今回はお土産のラーメンは買わず。
昨日、わりと日本中に電話を掛ける知人から「IP電話を使いたい」と電話があった。今年に入って急に独立する必要が生じて開店、そろそろ落ち着いてきたところ。電話の移設やADSL・プロバイダ(@nifty)の申し込みなどをお手伝いしていたのだが、IP電話については申し込みはしてあったものの時間切れで「次回やりましょう」となっていたのだった。
独立前の様子も少々知っていたので、IP電話を申し込んでおけば相当便利であろうとは当初から予想していて、ある程度は説明もしていたのだが、見たこともさわったことも無いもののため聞いていてもよく分からなかったらしい。説明している私も、掛かってきたことはあっても実はまだ掛けたことはない。電話代が二万円以上掛かってしまったそうで、通話相手(遠隔地の同業者)からIP電話を勧められたとのこと。使い始めるタイミングとしてはベストだろう。
仕事が終わってからお店に行き、まずはモデムと電話機との配線をチェックする。この辺は私ではなく別の人がやってくれていたため、じっくり見るのは初めてである。電話機のコードがスプリッタに直につながっているのを確認。次にモデムのマニュアルを読む。市販(自前)の電話線を一本追加してスプリッタ→モデム→電話機と配線する必要があるらしい。なんとなく電話線が必要になりそうな気がして一本持ってきていたので、それを追加して配線し直す。この状態で117に電話してチェック。問題なく聞こえて一安心。
更にWEBからユーザー専用の画面を開いて設定を見てみる。IP電話の申し込みは済んでいるが使用開始になっていないらしい。あちこち探してみたところ、どうやら番号(050)を申し込んで二、三日で使えるようになるとのこと。早速申し込んでみると電話番号が三つ表示される。050-****-**00という番号がなんとなく良さそうに見えたので本人に確認してから申し込む。すると16日以降に使用可能と表示されている。今日から使えるらしい。
その後表示される各種設定などをメモするが、モデムの設定はボタンを一つ押せば自動で行われるため、手で入力することはなかった。最後に所在地の市外局番を入力して終了。試しに携帯電話に掛けてみるとちゃんと050-****-**00という番号が表示される。音質も良好だったがこれは電話局からかなり近いためだと思う。
メールを使うことで電話代を節約・・・というのが今までのパターンだったが、IP電話の値段(無料〜8.4円/3分)だとメールよりも便利かもしれない。一般家庭や今回のような個人事業主など、電話局の近くて電話回線が一本だけしかない場合は即導入の価値有りと思う・・・が、ISDNを入れて電話番号とFAX番号を分けている場合も多いと思われるのでその場合また違った状況になるのかもしれない。一人暮らしで電話代(基本料)がもったいないからと携帯だけしか持たない人も多いが、そういう人にも安く電話が掛けられる時代になって恋愛のパターンも変わる(少し前に戻る)のかもしれない。
帰りにたまに食べる九州ラーメンのチェーン店があったので寄ってみる。いつもは「むこうに近い味」と思って嬉しく食べているのだが、今日はまったく感動無し。昨日までの出張でN亭やOのラーメンを食べて悩んでいたのだが、ここのラーメンとの違いははっきりと分かった。かといってここのラーメンが不味いとも思わない。もうこれは文化の違いなのだろうと思う。文化の比較は有意義であるが、優劣をつけてはいけないというのが私の持論である。
昨日IP電話を設定した知人から「都内と携帯以外に電話が掛けられない」という連絡あり。@niftyに聞いてみたところ初期の設定がうまくいっていないのではないかということ。ネットでいろいろ調べてみたが今ひとつピンとこない。市外局番は正しく入れているし・・・
その辺の設定画面を開いた上でもう一回サポートに電話して何が悪いのか聞いてみて欲しいと伝え、いったん電話を切る。結局、電話機の「コミスタ」という機能のせいで、それをオフにすることで無事掛けられるようになったらしい。コミスタというものを良く知らないが、α-LCRのようなもので電話番号の前に別の番号をつけてしまうのだろう。昨日の設定は間違っていなかったようで一安心である。
電話機の設定のチェックって携帯とか117に掛けてOKにしてしまうことが多いが、IP電話の場合は市外局番にも掛けてみたほうが良さそうだ。
江ノ島に行き砂浜で遊ぶ。やや寒いので早めに切り上げ、今度は駐車場にクルマを置いて江ノ電に乗り鎌倉高校前まで。その後二駅分ほど海辺を歩き、また江ノ電で戻る。楽しい海辺。楽しい休日。
遠隔操作ではどうにもおさまらないトラブルが発生したので朝イチで大阪へ。9時40分頃には現地到着。もう一心不乱にほとんどわき目もふらずに作業しまくってさっさと16時頃に出発。
自分が小学4年生の時の今日起きた出来事を思い出す。あのときの自分、あのときの父親。
今息子はあの時の自分よりも大きな年齢になり、父親はあの時の祖父と同じ年齢になった。
M菱自動車が大変なことになってしまった模様。例によって難しいことは私にはよく分からないが、M菱に限らず「提携・合併しないと生き残れない」という話しばかりが先行して、具体的な中身は今ひとつよく見えていないような気がする。「北米市場」とか「増強」とか、「小型車」とか「戦略車」だのなんだのといろいろなキーワードがあって、それと聞くと高度なプランっぽく思える。けれども具体的な車名を想像して、「アメリカで○○を○十万台売る」とか「世界中で○○を売る」とか「○○を今の倍売る」と考えるとほとんど全部無理っぽい気がするのだが気のせいだろうか。
昔、Jeepにあこがれていて、いつかは乗りたいと思っていた。Jeep生産終了だったか終了間際だったかの雑誌インタビューで、Jeepへの要望をすべて採り入れるとPAJEROになってしまう。だからPAJEROに乗って欲しい・・・というような内容があった。読んだ当時は確かにそうだなあと思っていたが、すでにその当時PAJEROは豪華になりすぎていた。自衛隊向けにはPAJEROベースでJeepが進化したようなクルマもあるみたいだし、メルセデスはGクラスとMクラスの両方を売っている。
ご近所のお友達M家のPCの調子が悪いということで修理にお邪魔する。画面が小さくなってしまったとのことで画面設定かなと思っていたが、16色しか選べなくなっている。幸いインターネット環境があったのでメーカーのサイトにアクセスしてドライバをダウンロードしセットアップし無事復旧。一応C:ドライブの内容をチェックし、「*.chk」が出来ていないかも見ておいた。あとはc:ドライブの空き容量が少なくなっていたので一時ファイルなどをd:に移してメンテ終了。
缶ビールを6本頂いたので夜早速飲む。久しぶりに飲むビールはやはり発泡酒より美味しい。あれこれ試行錯誤しながら30分ほどで直ったけど、世の中にはあれ以下の不具合で廃棄されたり買い換えられてしまうPCもきっと多いのだろう。
夕食はわざわざ来てくれた伊豆家と一緒。二家族合わせて10人だとファミレスには入りにくいので簡単料理で簡単宴会。
午前中は掃除と片付け。昼近くから河原へ。子供二人を走らせるのに手一杯でLC4は降ろしもせず。残念だけど仕方ないナリ。
縁あってBフレッツが開通。CATVもあるのでブロードバンドが二本。素晴らしい環境ナリ。どっちか一本にまとめたい気もするが用途が違うので仕方がない。
まとめるメリットとデメリットを一応頭の中で思い浮かべてみる途中、これを頭のなかで思い浮かべることが出来るのはある意味特殊技能なのかと思ったが、実際にもっと凄い人を何人も知っているので即却下。知ったかぶりするよりは控えめにしておきたいナリ。
イタリア人エンデューロライダー(元世界チャンピオン)にメールを出したいという話しがあり、先日お手伝いにいった。翻訳サイトなどを使用しつつ英文のメールを作成し、翻訳サイトで翻訳された英語だけじゃ味気ないのでイタリア語の挨拶なども添えてみて、写真を撮って添付して送付。どうなったかなと心配していたら「返事が来た」とメールがあった。
自分自身とそのイタリア人エンデューロライダーとはまったく面識無しで、ビデオや雑誌のわずかなスペースでちょっと見たことがある程度だったが、自分に返事が来たのと同じぐらいに嬉しかったナリ。
馬鹿らしい毎日だけど明日から楽しい連休だ。だから頑張れる。
そろそろ、今日は昔は「天皇誕生日」だった・・・という記憶も薄れてきている。っていうか、「ゴールデンウィーク」っていう言葉ばかり思い浮かべていて個別に何の日なのかはほとんど意識してないなあ。
昭和〜平成の移り変わりの時、天皇誕生日が変わって連休が一日減るのかなと心配していたら「みどりの日」として新しい祭日となり、天皇誕生日は別の日に移動した。昭和生まれの私は昭和天皇のことは(テレビなどを通して)良く覚えている。祭日の名前が「みどりの日」に変わっても、元が天皇誕生日だったことや、海外訪問などの姿をテレビで見た記憶などはたぶん一生忘れないだろう。
この調子で行くと約4500年後には一年中祭日となる。実際には同じ誕生日になる場合もあるのでもう少し先か。もし長生きできたらその時どんな世の中になっているのか見てみたいものだ。
カレンダー見ているときは「まあ一日くらいいいか」と思って・・・月末にどうしてもやらなきゃいけない仕事もあるんで・・・休暇届けを出さなかったけど、面倒くさいなこの一日は。