羽田空港第二ターミナルがオープン。湾岸環八出口から第一ターミナルや京浜島方面に抜けられるようになった。なんで今まで出来なかったナリか。
夜は宅急便で取り寄せた久留米ラーメンお歳暮セット。いつも通りの味なんだけどあまり感動なし。先週食べた太宰府のHラーメンお持ち帰りセットが美味すぎたせいに違いないナリ。
クソ忙しい日だったがルンルン気分で楽しめたナリ。
ヘヴィーなエクセルファイルが壊れたのでここ数日復旧作業にいそしんでいたわけであるが、本日無事復旧。激しい疲労と心地よい満足感。放心状態が二時間ぐらい続いた。
夜は友人が久しぶりに東京に来ているので会食。懐かしい仲間が5人集まる。ものすごく久しぶりに会ったのに数分後には「馬鹿じゃねえの」「死ねよ」などの声が飛び交っていた(というか一人から発せられていた)。変わらねーな。また会おうな。
子供が入っているサッカー教室のクリスマスイベント。第一子はこれが最終回となる。長かったような短かったような。
サッカー仲間の三家族で久留米ラーメンの共同購入を年一〜二回やっていて、先日お歳暮セットが届いた。みな「美味しかった」と喜んで言ってくれるのだが、一緒には喜べず「美味しかったですか」と妙な相槌を打ってしまった。体がすっかり豚骨に慣れきってしまったのか、数日前に食べたHラーメンのおみやげセット(これがあることが奇跡に近い気がする)を食べて、太宰府でしか食べられないあの味を深く細かく思い出してしまったせいなのか。
久しぶりに出かけもせずバイクにも乗らず、年末の準備を着々と進める。トイレの換気扇を掃除したりして気分は松井一代。このまま順調に片づけば、また年末におむすび食べられるだろうか。
先週横浜にサッカーを見に行ったとき、ラーメン博物館の前を通りかかったら横浜市民は入場無料とのことだったので寄ってみた。昼間は入場10分待ち、夕方は入場はすぐだったがどの店舗も60分程の行列だった。で、ラーメンは食べずに子供に綿菓子食べさせたり1Fの展示をじっくり見て帰ってきた。
いままでは会社の帰りに出張で来た人を送るついでに寄ったりしていたので、まさかこれほど込むとは思っていなかった。60分待ちという看板が用意されているのは見ていたけど人気店だけの話かと思っていた。まさか全部の店があれだけ並ぶとは思わなかった。
出張で東京・横浜に来るとき、帰りにラー博に誘われたら「今度旅行で来るからいい」などと言わずに平日夕方に行った方がいいと思う。ほとんどの店は並ばずに入れる。それでも超人気店は並ばなくてはならないようだが・・・
修理に出していた400SCが戻ってきた。まだ乗るのは先だけど、嬉しいもんナリ。ピュアなエンデューロレーサーをずっと持ちつづけたいな。
夜、第三京浜を走っていたらバイクが立ち往生していたので戻って声をかけてみる。すぐには解決しそうにないトラブルだったので載せて第三京浜を脱出、ついでに行きつけのバイク屋さんとその人の家の近所までドライブ。積める喜び、運ぶ幸せ。ベンちゃんもうすぐ13周年。
私が嫌いな某無料プロバイダ(正確に言うと嫌いなのはプロバイダ部分で、そのプロバイダを買い取った会社については別に何とも思っていなかった)が、某球技に続いて某県某動物ギャンブルにも参入を表明していたようであるが、結局実現せず某県ギャンブルは終了するようだ。本当に参入する気だったのかな。実は格安経費で全国に広告を打っただけだったなんてことだったらガッカリだな。そうでないことを祈るばかりである。
と思っていたら高知では話がまとまったようだ。馬主でもあるようだからきっと馬に対する情熱は深いものがあるのだろう。野球に対する情熱も残っているようだったら少年野球大会とか教室とかを開いたらどうだろう。遠くにすんでいるおじいちゃん・おばあちゃんがネットを見ながら孫を応援なんていいじゃん。きっと売却騒ぎは何年か続くだろうし。
ベンちゃんを車検に出すべく準備。タイヤがかなり減っているのを思い出し、残り3本を交換。7月にホイールバランスを取り直してもらったとき、右後輪がゆがみ始めているとの指摘があったのでこれをスペアタイヤとし、スペアについていた13年物のタイヤを廃棄・交換して右後輪に装着。予算と時間の関係でBSになったが、スペアはミシュランなんでビバンダムのステッカーはまだはがさなくてもいいことにしておこう。
その後車内に残っていた荷物をどさっと下ろして修理工場へ。代車はVENTO。GOLF3とまったく同じ室内なので変な緊張もなく帰ってきた。
久しぶりに電車・バスで出社し、バスで駅まで出て、飲んでから電車で帰る。オレけっこう普通の生活出来るじゃん。
昼間社用車に乗る機会があった。社用車とは言っても前役員車だからけっこう良いクルマで、いいグレードのやつだと思う。昔は「いつかは○○」なんて言われていたな。往復一時間弱、人を送って来ただけなんだけどサスもイスもフニャフニャで気持ち悪かった。あまりの乗り心地の良さに耐えられず、サスの調整ボタンがあったんでスポーツモードにしようと思ったらすでになっていた。王様の運動ごっこなんてこんなもんか・・・
寒い雨の日曜日。大掃除は延期となり突然観光モードに入る。水族館か買い物かということで選んだのは羽田空港。飛行機見物もできるし、買い物も出来そうだし飛行機グッズもなにかあるかもと思って第二ターミナルに行ってみる。
P4にクルマを止めて歩く。建物までの距離は一番遠いバス乗り場と同じぐらい。雨さえ降らなければ、P3の1Fに止めるのと同じような感じだと思う。立体駐車場に止められないベントラにはうれしい話だ。
建物の中は・・・新しい雰囲気だがなにか違和感を感じる。今日はまだセキュリティチェックの手前までしか見ていないが、飛行機に乗ったり降りたりすることの効率を追求した建物とは正直思えなかった。かといってお買い物場所として何度も来たいという程のこともなく・・・まあ今回は見物客が多く、飛行機の乗り降りの人が少なかったようなので本来の姿とは違うのかもしれない。が、出発ロビーの売店が狭い印象だったのは残念だった。飛行機グッズを売っているおもちゃ売り場が無かったのも非常に残念。今度乗客として来たときにどんな印象になるかが楽しみだ。
代車で裏道をスイスイと走り快適に出勤。今まで無駄にした時間は何だったんだろうと思う。けどそのうちバレバレになって、地元自治会から進入禁止にしてほしいなんて要望が出たりするんだろうなあ。SFに出てくるような渋滞のない道路・混雑していない電車なんていつか実現するんだろうか。
社用の携帯電話請求書の内容分析。毎日外を飛び回る営業マン(約15人)よりも、ほとんど外出しない営業事務の携帯電話のパケット代の方が高かった。謎ナリ。
非IP電話導入の打ち合わせ。最終的にIP電話に移行するってことはおそらく間違いないとは思うのだが、現状のIP電話はどうも家庭用、会社ではせいぜい社内連絡用という感じしかしないんだな。新しもの好きな業界トレンド誌ではIP電話普及の展望とIP電話全面切り替え決定例が載る。よその会社からやってきて実務は出来ず新聞雑誌を読むことだけが仕事の偉い爺ィがそれのタイトルだけを読みその気になってしまう。変えてはみたけど使い物にならず、普通の電話とIP電話と設備が二重になってかえってコストアップしてしまったなんてところもあるんじゃないだろうか。
個人商店などでは代表番号を「050-」表記に変更してしまったところもある(登記上は知らんがサイト上ではたまに見かける)ようだが、大手企業ではまだそんなところは無いんじゃないかな。全部の電話がIP電話になるということだが全部が全部「050-」になるというイメージがどうしてもつかめない。ある時点で残り全部を同番移行・各家庭には無料でアダプター配布なんてことになるのかなという気がする。
緊急出張で大阪へ。日帰りなので作業時間を少しでも多くとりたいと思い、いつもよりも一便早い9時発を予約していた。7時に家を出て電車で行けばいいのだが、ひょっとすると車検に出しているベンちゃんの出来上がりが今日かもしれず、日帰りだと駐車場代も大したことないしと思いクルマで出発。ばたばたしてしまい7時30分になってしまったが今週から使い始めた裏道を通れば間に合う。
そろそろ街道に出るぞというところで財布を忘れたことに気付きUターン。玄関に落ちていた。これで数分ロス。バイパスから首都高に入るまではほぼ順調であったが、JR線を越えたあたり・いつもは込まないところで渋滞発生。どうやら前方で事故が起きた模様。ノロノロ進むこと約15分、やっと事故現場を越えたと思ったらそれは渋滞の中で起きた二次追突事故だった。更に数分ノロノロ。財布を忘れなければなあと思ったが、ひょっとすると事故に巻き込まれていたかもしれないと思い、無駄なタラレバを考えるのはやめておく。ようやく事故現場にさしかかる。ワゴン車がMCCスマートのようになっていてゾッとする。中の人は無事だったのだろうか。
その後湾岸線を急ぐ。毎朝通るこの道ではたまにものすごく強引な抜き方をされることがあり、「スピード好きなんだなあ」などと思うことが多かったが、きっと彼らは飛行機の時間に間に合わなくて焦っていたんだろうなと思い直した。世の中分かった気になっていたがまだまだ分かっていないことの方が多いようだ。
高速を降りて第二ターミナルの前を通過したのがちょうど出発の15分前。ここでクルマを乗り捨ててチェックインすればギリギリ間に合うのだが・・・そんなことができるはずもなく駐車場へ。便利な4階は満車なので5階に駐車。渡り廊下をドカンドカンと轟音をたてて走り、カウンターに並ぶが時はすでに出発11分前。「空席待ちのお客様が入ってしまいました」と言われ9時出発を断念。事故渋滞とはいえ自分が悪いわけであり、カウンターの係員に悪態をついたり嫌みを言わないのはもちろん、「なんとかなりませんか」など駄目と分かっていての無理な注文も一切しないようにする。たまに地上係員や客室乗務員に文句を言ったり訳の分からないクレームを付けることを生き甲斐にしているような素敵な紳士(イヤミではなくマジで会社では悪くない立場にいそうな感じ)を見かけるが、ああはなりなくない。
無事に次の便の予約もとれ、係員に丁重にお詫びとお礼を言いつつカウンターを離れる。約50分の時間が出来た。第二ターミナルの内側(手荷物検査の向こう側)を巡ってみる。まずは朝から何も食べていなかったのでおにぎりとみそ汁で朝食。飛行機を見ながらのおにぎりは美味しいが値段が高すぎ。目の前で握ってくれる福岡の店よりも高い。次にコーヒーを飲むべくスタバを探す・・・がかなり端の方にある。行きは動く歩道もあるのでそれほどでもないが、帰りは歩く距離が相当ある。大阪行きはターミナルの中央部分が多いようなので、スタバと両立は時間に余裕がないと難しいかもしれない。
777-300での飛行は順調。14Rを期待したが今日も32Lだった。大阪の同僚と昼食の約束があるのでモノレール駅に急ぐ。とりあえず蛍池までの切符を買い、出発を待ちながらiモードでシミュレーション。門真市まで行ってタクシー利用も考えたが門真市着が12時ちょうどなので断念。阪急とJRを乗り継ぐことにするが目的駅到着が12時21分になる。先に店に行って注文しておいてもらえばいいかと思いつつ、出来るだけのことはやってみようと思い梅田からJR大阪駅に向かって走る。日頃の運動不足を痛感する数分間である。環状線ホームに行ってみるとちょうど電車が到着。だがここのホームはとても長くて、電車はかなり向こうに止まっている。駆け込み乗車にはならないよう、また他の人にぶつからないよう安全に気を配りながら小ダッシュ。乗ってみると環状線は3分遅れで運行しているとのこと。遅れが逆に幸いしたことになる。乗り換えた線は通常運行していて、結局当初予想よりも一本早い12時6分着となった。無事OL4人と合流できてピザとパスタで豪華な昼食。
午後の作業は非常に順調。17時30分過ぎにはいつものお好み焼き屋さんに移動して情報交換をしながら夕食。行きと同じルートで伊丹に行って最終便の747-400で帰京。左窓側でワクワクしながら外をみていたが、あっさりILS34Rだった。
DHで降りてきた乗務員さんも若干迷いつつ移動する真新しい第二ターミナルを到着ロビーに進む。出発とは別区画になっているので売店もなにもなく、ひたすら歩く。夜の送迎デッキにも行ってみたが、カップルばかりだし飛行機の動きもなさそうなので早々に退散。
観光・出発・到着と一応一通り第二ターミナルを使ってみたが、中(手荷物検査よりも飛行機側)が広くてゆったりとしている印象を受けた。早めに行って検査を受けて、中で一時間弱ブラブラするのがよさそう。買い物とか飛行機見物はもう少し時間が経って空いてきてからの方がいいと思う。
「A4一枚にまとめてくれ」って言う奴、駄目駄目なことが多いのはなぜナリか?
ベンちゃんの車検が一応終わる。13年20万kmの疲労が各所に出ているようで来週あたり再入院することに決定。いつまでも乗り続けたいという気持ちはもちろんあるが、それと同時に冷静な判断もできるようにしておかないといけない。まずはこの2年間を十分に楽しむことだな。
まる一週間Ventoに乗り続けていたので、久々にベンちゃんに乗ったら、13年前クルマ屋さんから家に帰る途中で感じたあの「デカさ」を思い出した。味とかにおいとか音なんかを急に思い出すことはあるが、「デカさ」を思い出すこともあるんだな。
車内に積もった泥やホコリを落としながら荷物を積む。子どもたちもよく手伝うようになってきて父親は楽である。昼から散髪。買い物もあるので小型車で行くつもりであったが第三子がベンちゃんで行くと言って聞かず、やむを得ずベンちゃんで出発。散髪後はヨドバシカメラでクリスマスプレゼント購入。父親は腕時計の電池交換をしたいと思い、東急ハンズで工具やOリングを探そうと店員さんに聞いてみたら、いつのまにか時計を預かられてしまい交換を頼むことになってしまった。別にいいんだけど・・・自分でやってみたかったなあ。
オカーサンは途中から別れて飲み会(といってもお隣の奥さんと)へ。残った男連中でまたまた炭火焼肉。いつもの激安肉ではなく普通に安いオーストラリア肉にしてみたらけっこう美味しかった。次回は粗挽コショウでやってみる。
外回り・ガレージ内の片づけ。昼からは家の中を少々。夕方から買い物。12月はバイク乗れそうにないが、まあそれも仕方なかろう。
長らくベンちゃんに貼っていた「BABY IN CAR」の札を外した。第一子が生まれてしばらくしてから取り付けたものだ。貼ってすぐはよく落ちていたが、ここ数年は一度も落ちなかった。12年の年月はゴム吸盤を粘着盤に変化させ、より強力にリア窓ガラスについていたようだ。はがそうかと思うたびに子供が生まれ、はがすタイミングを逸してきたがそろそろ潮時かと思う。12年間ご苦労さまでした。さっぱりと捨てるつもりだったが捨てられず吸盤だけ捨てた。ちなみに4人目の予定はない。
子供が生まれた喜びと、無骨なドイツの商用車に「赤ちゃんが乗っています」というアンバランスさがいいかなと思ったことで当時購入した。赤子を乗せ始めた頃は元々のクルマの遅さに加えておっかなびっくりの超慎重運転だったので、のんびり走行のお詫びにも役だったと思う。その後二号車も導入したが、そちらは普通に走れるし赤子搭乗にも慣れていたのでお札は導入しなかった。
何年かするとネット上では「あの札を下げる意味が分からない」などとバッシングが始まった。車に意味のない文字を書くなんてことは昔からよくあるわけで、赤ちゃんが乗っていることを書いてなにがいけないのかと思う。「DOHC 16VALVE」とか「TURBO」とか「INTERCOOLER」なんて後ろの車の人にはどうでもいいことなのに、メーカーが標準で書いていたりするじゃん。ホンダの車にわざわざ「POWERED BY HONDA」って貼る人もいたし。
ビルシュタインのショックに替えたらビルシュタインのステッカーを貼りたくなるじゃん。あれと同じで、子供が生まれたら貼りたくなるんだよ。といいつつオレも乗用車には貼らなかったけどな。微妙だな。
年賀状作成の打ち合わせでオフロードバイクショップに行く。十数年前のオレにもう少し勢いがあったらその後遭遇したであろう恐怖の出来事を聞く。あのときバイクだけにのめり込まなかったのは正解だったのだろうと思う。
知り合いの二輪ジャーナリストさんとファミレスで情報交換。ピザ半分ずつとジュースで3時間弱を楽しく過ごす。ここ10年ほどでまともに新しく作られたトレール車はY社のアレだけっていうのがものすごくショックだった。
片づけと掃除。すべてはラーメンとおむすびのために。
午後から出かける。年末の挨拶を兼ねた打ち合わせ。場所は東京駅近く。会社からクルマ二台で出発して一台はJR駅近くのコインPに止め、一台にしてから首都高で八重洲方面へ。ずいぶん贅沢なことにも思えるが、帰りにタクシーを使ってクルマを取りに戻るよりこの方が安い。だいぶ余裕を持って到着したのでカフェで前打ち合わせ。クリスマス気分なのでココアを飲む。体調が弱り気味だしどうせ打ち合わせでまたコーヒーが出るだろうし。
打ち合わせと挨拶は滞り無く終了。すばらしい開放感。同行した三人でなんとなく後の余韻を楽しみたい雰囲気となり、先ほどとは別のカフェに行ってみる。奥のソファーでは猛烈なラブシーン(って今時言わないな)が展開中。「東京の喫茶店はやっぱり違うなあ」などとつぶやいてみる。「ベッタリ、ベッタリ」はよく見るが、「グイン、グイン」しているのは初めて見たナリ。
同行者と別れてまずはATM探し。現金を下ろさないと駐車場からクルマが出せない。何の下調べもしていなかったが、東京駅ならなんでもあるだろうと歩いてみる。すぐにM銀行のATMが見つかったが残高不足。地下に降りてしばらく歩いてみるうちにふと博多駅の地下街を思い出す。東京駅の地下街を意識して歩くのは初めてだ。博多駅を基準に東京駅を見物しながらATMを探す。他行手数料を払うしかないかとあきらめつつ地下街の案内板を見るとすぐ後ろが郵便局だった。無事現金確保。
神戸もどきの電飾祭りが始まっているようで、人がいつもより多いのだろう。バス乗り場は渋滞情報を流し続けている。ケーキ売り場は長蛇の列。どこにも寄らず早く帰ることにする。駅構内にはあちこちにおにぎり屋さんがあった。先日の羽田空港よりは安い。一個だけ手渡しで買い、歩きながら食べる。握りたてで美味しい。
駐車料は1600円。自腹なので痛いが、日中に会社を離れそのまま帰宅できる嬉しさの方が大きい。世の中みんな頑張って帰宅しようとしているのか、激しい渋滞が続いている。渋滞部分を避けながら首都高とバイパスを乗り継ぎし、普段の倍以上の高速代を使って帰宅して鳥とケーキ。
サンタクロースについて上の二人はすでに大人の知識を持ってしまっているため、今年は冷静に買い物が出来た・・・のだが下にもう一人いた。今年は大丈夫だったが来年は細かく作戦を練る必要がありそうだ。
夜は納車13周年のベンちゃんで羽田空港に行き、「そらをとぶ」を覚えたピカチュウをダウンロード。羽田2タミももう4度目になるが、見学や出張ばかり。次は家族で楽しく飛行機乗りに来たいものナリ。
大掃除で大変なときに掃除機が壊れてしまい、大手電器店に買いに行く。「サイクロン方式はゴミが見えるのが許せない」とのことだったので普通の紙パック式を買う。今までのは4万円位するソコソコいいものを使っていたが、モーターが弱いようで一度交換している。あまり高い物も買いたくなかったので、とりあえず別メーカーの1万円ちょっとのものにしておく。将来余裕が出来たらもう一個いいのを買って、今回のは二階用とかクルマ用にするといいかなという感じになったが、たぶんこのままメイン機として使い倒すことになるんだろう。
近所で流行始めている食器洗い機も見てみた。水道代の節約になるし楽そうだしで河川とカーサンに対してローインパクトになるナリ。もう一モデル待ちたいところだが我慢出来ないかもしれない。N社から普通の洗剤タイプが出ないかな。
会社は明日までだが、明日は休みをとったのでワシは今日まで。朝からバリバリ仕事と掃除。途中例によってくだらない妨害工作があって少々手こずったが、怒るのももったいないぐらいの馬鹿らしさ。ワシの人生に彼らとかまっている時間はない。相手にせずさっさとクリアして掃除。
大掃除の残りをやったり病院に行ったり、年内の用事を片づけているうちに昼を過ぎて夕方になってしまった。荷物積んで鍵閉めて西へ。
小休止を繰り返しながら走り続け、岡山県に入ったところで力尽きて寝る。「起きていたいんだけどまあいいや寝る」ってのは人生最高の快楽なのカモ。30分だけといいつつたいてい3時間は享受してしまうナリ。
遅れを取り戻すべく、あとはひたすら前進。どうにか午前中に目的地到着。美味しくて安いバイキング料理を楽しんでから早めにホテルへ。広い部屋で皆大感激。けっこう寝たのでそれほど疲れていないと思っていたが、風呂に入ってみたらやはり体は冷え切っていたようだ。リラックスした後は学問の神様の地へ。ラーメン店Hにいくのが目的だがやや時間が早かったので時間調整のために天満宮に行ってみる。この地を訪れるのはかれこれ4回目になるが、天満宮に行くのは初めて。世間一般から見れば間違っているということになるでアロー。
寝起きの第三子の機嫌が悪くて少々駆け足になってしまったが、まあまあ楽しむことが出来た。でもやっぱり不完全燃焼っぽいのでホテルに車を置いてから再度繁華街に出ておむすびを食べる。1000km走って食べるおむすびのおいしさは文字では書き残せないナリ。
海の横にあるアウトレットモールへ。横浜にも似たような施設はあるけどこっちの方が雰囲気も売っているモノも数倍楽しい。気になるモノをいくつか買い、昼食はラーメンと替玉と替肉。家族向きとは言い難い店だがなぜかうちとは相性がいい。子供たちは別のテーブルで、地元の友人に食べ方をレクチャーしてもらいながら食べた。去年も来た店だがより印象が深くなったことでアロー。
午後も再び海の横のアウトレットモール。夜は運河に移動。何度も訪れている運河だがやはり今回が一番きれいに感じる。やはり風景には光とか影とか色彩とかだけでは言い表せない何かがあるナリ。
起きてみたら一面雪景色だった。チェーンなしでも走れそうな程度だったので全く心配せず「うわーきれいだなあ」などと脳天気に考えていた。
快適だった長期滞在型ホテルを出て、昨日食べたラーメン店の横を通り年末休暇に入っていることを確認してから都市高速に向かう・・・が、「全面通行止」の文字が。更に九州自動車道まで通行止めになっている。これはやばい。実家に戻るのをあきらめる案まで浮上したが、高速道路が両方向とも走れないので行くのも戻るのも不可能。ラジオで情報収集するとどうやら途中のジャンクションあたりまでは走れるらしいので行ってみる。このままこの場所にとどまるのも楽しいかもしれないが、あわてて探したホテルで年末年始料金だと楽しさも半減だろう。本来の目的は帰省で、その前にちょっと遊ぶから面白いのだ。
SAで調べるとジャンクションの一つ先までは走れるがそこから通行止め。しばらく待ってみるが状況変わらず。やむを得ず降りて一般道へ。年末の買い出しと高速道路通行止めの影響で込んでいる一般道をノロノロと前進。だんだん通行止め区間が短くなってきているが、開通した部分もチェーン規制になっているようだ。金属チェーンは持っているが高速道路ではあまり使いたくない。途中の街で自動車用品店を見つけて入ってみるがチェーン売り場だけ大混雑。ちょうどいいサイズの物がなくてあきらめる。あとで分かったが、この頃全面開通したもののこの先はチェーンが必要とのことで、チェーンなしのクルマが全部下ろされ、この店に殺到したようだ。
途中注意深く徐行する場面も何度かあったが、この後はほぼスムーズに移動でき、スーパーでの買い物も済ませて無事フェリーに乗った。去年は15時の船だったので今年は14時の船を目指していたのだが、結局18時の船になった。あれだけのトラブルで3〜4時間遅れならまあ運が良かった方だろう。
暗くなった実家に到着。去年は幸せの土地から遠ざかり寂しい気分だったが、今年はただただホッとした。途中で一般道を走ったこともあり徐々に慣れてきていたせいもあるのかもしれない。着いてすぐにどんどん荷物を下ろす。子供たちが手伝ってくれるようになり、子供たちにかける手間が少し減ったカーサンの手も使えるようになったため、作業がどんどん進んでいく。こいつらも成長しているんだなあと思いながら暮れていく2004年。