職場で新システム稼働開始。初日からファイヤー。これはきっと駄目ナリよ。オレは2年以上前から分かっていたけどなー。
一応自宅待機。会社の携帯と自分の携帯をつねに身の回りに置いておく。朝、私物の携帯電話に大阪の同僚からの相談コール・・・相談というかぼやきというか決意というか。やり場のない怒り・悲しみは横のつながりで和らげるしかないナリよ。
夕方、会社携帯宛に通知コール。このままいくんだとか。破滅しきらないと目が覚めないらしいナリ。
自腹を切っての私物携帯への相談コールと、形だけの会社電話発会社携帯宛コール。どちらの内容が重く真実であるかは言うまでもないナリー。
午前中は片付けして午後は横浜で買い物。バイク乗るのは無理だなあ。せめて洗車だけでもしたいんだがそれも無理だなあ。
ファイヤーファイヤー。かなりやばいナリよ。
ファイヤー、ファイヤー、ファイヤー!。デスマーチになってきたナリよ。
ヒットマンが飛んだらどうしようかなというヤバい情勢ナリ。
中止決定。一週間もたなかったというか、あの状態で一週間も我慢したというか・・・
午後はヘヴィーな会議。データ復旧作業をすべて手作業でやる方向で決定しつつあったが、データ変換を名乗り出て今晩トライしてみることにする。ここ2年ほど目の前の作業を淡々とこなすだけの日々だったが、ようやくここでオレたちにしかできない大きな作業が舞い込んできたナリよ。
朝7時までを目標に頑張る・・・が、データ件数が多くて手こずる。2000件位までのデータ変更なら毎月やっているから実感が湧くが、8000件弱となるとさすがに疲れの度合いも違う。分担して手作業とプログラムでの修正を繰り返す。やや目標をオーバーしてしまった7時40分過ぎに無事退社。早出して荷下ろしをしている人に「お先に失礼します」と言って家へ。
家に着いたらすぐにシャワーを浴び、着替えてから第三子の幼稚園入園式。更に帰ってからしばらく横になる・・・と、腰から下が布団と一体化してしまった。このままだと体中が一体化するのも時間の問題と思われ、カバンに荷物を積めて寝不足のまま大阪へ出発。新大阪駅構内に出来ていたラーメンテーマパークもどきでちっとも美味くない博多ラーメンを食べてから出張先へ。夜は寝不足と飲み過ぎ+αでものすごいことになってしまった。
気が付いたら朝。ベッドの上でスーツ着たまま、ネクタイ締めたままで横たわっていた。ちょっとお馬鹿さんしてしまったナリ。いつもの吉野家やスタバには寄らず、フラフラと出張先へ。
これまでの疲れと、昨夜の飲み過ぎと、他にも長年積もった馬鹿らしさや虚しさが急に押し寄せてきてまったくやる気が起きなかった。昼ぐらいになってようやく「やってやるか」という気分になる。
あともう少しで終わりそうだな、軽くお好み焼き食べて最終の新幹線で帰るか・・・と思っていたところに本社から電話があり大阪滞在延長決定。明日の作業は不要ということになり、今日の作業を最後まで見守ることにする。
22時頃に京橋駅で散会。新幹線も飛行機ももう終わっている時刻。i-modeで検索すると急行銀河に乗れば明日朝6時頃に横浜に戻れることが分かったが、今晩は風呂に入ってゆっくりしたい。定宿に戻ると昨夜の気分を思い出し余計がっくり来そうなので、ホテルは梅田近辺で探すことにする。あてもなくさまよってみると天然温泉付きのカプセルホテルがあったのでそこに決定。荷物を置いてから改めて大阪の街をふらつき、一風堂で博多ラーメンを食べながら一人で乾杯。一風堂のラーメンも今日は美味しく感じる。ホテルは福岡の高級カプセルホテルとは異なり正真正銘のカプセルホテルという感じだったが、1時間もすると慣れてしまった。温泉は気持ちいいし、マッサージは少々痛かったが効いた。また経験値が上がった。
早起きしてチェックアウト。ちょっと遠回りして阪急電車で南茨木に行き、モノレールで伊丹空港に向かう。理由はただ一つ、太陽の塔を見るためだ。
今回はモノレールを降りるわけでもなく、車窓から眺めるだけで終わった。ちらっとでも見られればそれで十分。
伊丹空港に8時頃着。予約した便の出発には珍しくまだ1時間もある。早速スタバに行ってコーヒーと軽い朝食。手荷物検査を受けて中に入るとグリコショップにタイムスリップグリコがたくさんあった。久しぶりに大人買いをしたくなったが、我慢して4つにしておく。飛行機は久しぶりの747-400。2階の左窓側だったが、雲が多くて残念ながら太陽の塔は見えず。
家には昼頃着。のんびりしたり買い物したり友達と合流したり。もう1日遊びたいナリ。
疲れとれてませんよお願いしますよ本当に。
昨夜は大事な記念日だったような気がするんだけど、夜は一人でカレー喰ってたなあ。いいんだろうか、こんな生活で。
小さい頃、アルファベットのDのことを「デー」と言う人のことを軽蔑していた。「ディー」と言わないと母親に怒られたような記憶もある。「デー」は駄目な人の話し方だと思っていた。
今の職場で働くようになり、アルファベットの品名を電話でやりとりするときにも最初は「ディー」と発音していた。ところが周りはみな「デー」と言っている。あるとき、電話で注文を受けて「○○ディーですね」と復唱したところ、あとからその客の上司の人がわざわざ電話を掛けてきて「あんたさっき○○ディーって言ったらしいけど、○○デーのことだよね」と言われたときに、これはもう駄目だと思った。以来、仕事では積極的に「デー」を使っている。最初は抵抗があったものの、慣れてしまえば「イー」とか「ピー」とか「シー」とか「ティー」などとの聞き間違いの危険性も少なく便利である。逆に、他人が「ディー」などと言っているのを聞くと、この業界に入っていつまでもそんなお嬢様言葉遣ってンじゃねえよという気すらする。
プライベートでは「ディー」、仕事では「デー」と、うまく分けられればいいんだけど・・・残念ながらたまに間違う。で、けっこう後味が悪かったりする。
電話でPC操作を教えたり、遠隔で操作してもらったりするときにもやはりアルファベットでトラブることが多い。ネットワークトラブルの場合まずはpingを打ってもらうわけだが、「○○にピング打ってみて」では絶対通じず、「コマンドプロンプトを開いて、ピング、スペース、いちきゅーに・・・」と言ってもたいてい通じないわけで、ファイル名を指定して実行でシーオーエムエムエーエヌデーと打ってもらい、ピーアイエヌジースペースイチキューニー・・・とお願いすることになる。ところが、ピーと聞き取ってもらえることはまれ。そういう場合ムキになって「ピー」「ピー」と言ってもまず聞き取ってもらえないわけで・・・自分の発音の悪さも大きく影響しているのだろうが・・・、何か他の方法を考えなければならないと思っていた。一頃はいったん電話を切って、メールでやり方を送ったりしていたのだが、時間は掛かるわ分からなくて結局電話がかかってくることが多いわで今ひとつ。
で、最近飛行機への興味が再燃したのをきっかけに、フォネティックコードを覚えてみた。パイロットと管制官との間のやりとりなどにはよく使われている、万国共通のコミュニケーションツール(?)だ。先に挙げた「ping」の場合、「パパー、インディア、ノベンバー、ゴルフ」となる。
A(アルファ)からZ(ズールー)まで一応言えるようになったころ、会社の行き帰りに車を運転しているとき、英語が見えたらフォネティックコードを使って発音してみるという練習を数分ずつしてみた。道路標示で「横浜 YOKOHAMA」とあったら、「ヤンキー、オスカー、キロ、オスカー、ホテル、アルファ、マイク、アルファ」とつぶやいてみる。コレがなかなか効いた。3日目(練習開始後実質20分ぐらい)にはほぼスムーズに出てくるようになった。
で、仕事中にアルファベットの伝達で困った場合に使ってみたりするわけだが・・・まあ予想通りうまくいかない。「パパー」とか言っても「はぁ?」とか「なに?」と聞き返されたりする。「なにそれ。誰がそんなの決めたの」と言われたことも。
まあ確かにそうカモ〜。世の中そういうもんナリ。
職場の立体駐車場で、クルマの出し入れが大変そうなんで前のクルマをどけるのを手伝うことにした。ところがそのクルマがなんと現行プリウス。運転はできないこともないんだけど、運転に至るまでの手続きがまるで分からない。たぶんこんな感じだろうと思いながら各所のスイッチをいじってどうやら動く寸前までは持って行けたが、サイドブレーキの解除がどうしても出来ない。アクセルをバンバン踏んだらエンジンが唸ってズリズリ動いたので、そのまま引きずって動かしてしまった。
あとで聞いてわかったんだが、ごく普通にペダル式のサイドブレーキがあったらしい。あそこまで電気っぽいいろんなスイッチがあるんだから、サイドブレーキもどこかのスイッチでやるもんだとばかり思っていたよ。オレが悪かったよプリウス。お前、スカして見えるけど思ったより普通なんだな。
久しぶりにごく普通の土曜日。ずっと延期になっていた各種お祝いをいっぺんにやってみるかということで夜は焼肉屋へ。一通り喰って店を出たらカラオケ屋があった。酔ったついでに1時間だけ入ってみる。家族初カラオケ。カラオケってあまり好きじゃないんだけど、家族だとそれなりに楽しいな。
子供向けの歌ばかりセレクトしてピッピピッピやっていると、普段いかに自分がシブいフリをしたがっているのかがよく分かる。子供と一緒だと演歌の渋さは無駄でしかない。「私の人生辛かった」なんて歌っても、金と時間がもったいないだけナリ。
ようやくバイク洗えたよ。家の周りの草むしりもした。ラティスやウッドデッキにペンキも塗った。午後は原っぱに遊びに行った。夕方は七輪で鳥焼いて喰った。ようやく普通の日曜日を過ごせたよ。
長年のスランプをようやく脱し、ここんところ調子が上向いてきている。でも調子に乗りすぎてもいけないことは十分分かっているから程々にしているけどなー。
長年続いたスランプがいよいよ最佳境となり、このまま爆発してしまうのかと思っていた先月末、大阪出張のときにこっそり乗った飛行機から太陽の塔が見え、吸い寄せられるように万博公園駅に行った。やや離れたところからだったが、ガラス越しではなくようやく肉眼で太陽の塔をじっくりと見て、そして売店で太陽の塔ストラップを買った。あれがターニングポイントだったのだと思う。
35年前、未来をイメージしたお祭りの中で、独特の存在感を漂わす巨大なオブジェがあった。絵に描いたような未来の姿が溢れる中で一つだけ異なった雰囲気を漂わせていたそのオブジェは酷評を受けることすらあったらしい。しかし、見聞きした人々には強い印象を残した。月日は流れ、絵に描いたような未来都市はすっかり姿を消したが、そのオブジェだけはそこにそのまま残り、強烈な自己主張を続けている。
絵に描いたような未来図は、35年後の今となっては懐かしさや一種の恥ずかしさを感じるが、太陽の塔からはそんなものとはまったく別の、畏れのようなものを感じる。こうなることまで見越して作られたのだろうか。変に背伸びしたり、未来を分かったフリなどすることなく、どしっと構えている。他に比較する物がないその姿に勇気づけられたあの寄り道のおかげで、何かが変わったようだ。
以前の私は貧弱な肉体の持ち主だった。ある時のこと、出張中に寄り道をしたら太陽の塔が私に話しかけてきて、「これをつけてごらん」とストラップを紹介してくれた。こんなものが効くわけないと思いつつ、半信半疑で携帯にストラップをつけてみたところ・・・いつの間にか上半身や腕にたくましい筋肉がつき、見違えるほどの体になった。今では素敵な彼女も出来、夏が来て海に遊びに行くのが楽しみだ。
ボーイング747・・・ジャンボジェットって華があるよな。ジャンボって言葉だけで特別ななにかを感じる。飛行機のことを良く知らないお母さんでも、子供に「ほら、ジャンボだ」って教えたりしている。ジャンボを持っているかどうかで航空会社の格も変わるような気がする。全日空も最初トライスターだったけど後からジャンボに入れ替えた。
他の飛行機とは見た目がまるで違う。エンジンは4つついているし独特のこぶがある。主翼が他の飛行機に比べてグッと後退しているのもカッコイイ。他の飛行機がかなりのマニアでないと見分けがつかないのに対し、ジャンボだけは見た瞬間に「ジャンボ」の一言で片づいてしまう。
普通に考えればあの形は不格好でしかないはずで、空港で正面から見ると水族館のマンボウを思い出してしまう。マンボウを見てカッコイイと言う人はあまりいない(だろう)。でもジャンボジェットはなぜかカッコイイ。他の飛行機の円柱の機体が作り出す美しさとは正反対の、不思議な力を持っているように見える。もともとは輸送機として企画され、大きな荷物を先端から飲み込むことが出来るよう操縦席が2階に追いやられたと聞く。輸送機の中には似たような機体がほかにもあるし、もっととんでもない巨体の飛行機もあるのだが、それらの飛行機からは感じられない美しさ・力強さがジャンボにはある。
最近は747の発注はほぼ途絶えてしまっているようだ。777-300だと747に近い人数を運ぶことができ、燃費もよくて安上がりらしい。つまらないことだけど全長はジャンボよりも777-300の方が長い。でも、ツアーパンフレットを見るとジャンボジェットの写真が使われる。777の写真だと国内線を飛んでいる普通の飛行機と区別がつかず、「最新鋭機」などとわざわざ活字で説明をつけたりしている。
近々、エアバスからはジャンボよりも巨大なA380がデビューする。巨大なんだけどシルエットは割と普通なので、比較対象がないと巨大機であることがわかりにくいのは弱点かもしれない。飛行機に興味がない人にも巨大機=高級機=A380というイメージが売り込めるだろうか。
午前中は病院、午後から仕事。久しぶりの社内プレゼンに燃える。ここ何年か、概念と一般論とヒヤカシだけの打ち合わせが続いたので、今回は頑張ってある程度動くモノを見せてみる。一応OKが出て一安心。久しぶりの快感だけど本当はこれが当たり前なんだよな。
データベース作りに没頭する毎日。もう少し広くて散らからない机が欲しいなー。散らかるのは机のせいじゃないんだけどなー。
病院に呼び出される。ゴールデンウィーク明けに予定していた子供の検査入院を早めることになった。「今日か月曜日」と言われたのでとりあえず月曜日にしてもらう。薄々気付いてはいたが状況は厳しそうナリ。
家にいても落ち着かないので予定通りでかけてみる。久しぶりのオフ会。オフ会ももちろん楽しかったが、一番インパクトがあったのがミゼットの試乗会(というか勝手に乗り回させてもらった)だった。空冷2スト300ccの力強い排気音を聞きながら、このクルマがたくさん走っていた頃のことや、三輪であることの意味や背景をいろいろ考えた。三輪といえばマツダの三輪トラックもなつかしいが、もう四国でもほとんど見なくなったなあ。
検査入院。「病院にお泊まり」と言っておいたがどこまで理解しているだろうか。病室に行くともっと小さい子たちもたくさんいる。しばらく忘れていたけどこういう世界もあったなあと思い出す。
看護師さんが気を遣ってくれてテレビを近くに持ってきてくれた。「トーマスでも見る?」とスイッチを入れると、大阪での脱線事故の速報をやっていた。大阪出張の時に乗る電車だ(実際に乗るのは事故現場よりももっと先の方だけど)。親の方がしばらく見入ってしまった。
付き添いは不要とのことなので夜には帰らなければならず別れの場面が心配だったが、女房の話では検査の影響でずっと眠っていたため騒ぎにはならなかったとのこと。とりあえず一安心。
早めに職場を出て病院へ。思ったよりも道路が込んでいて手こずったが、なんとか面会時間に間に合う。帰るときはどさくさに紛れて出てきてしまった。あとで多分泣いたろうなあ。面会時間終了の19時はあちこちで泣き声が聞こえる。涙ぐんでいるお母さんもいてこちらもしんみりとしてしまう。必死に鉄仮面かぶってにっこりする。
今日も早めに出て病院へ。今日はようやく泣かれた。泣かれると困るなあと思いつつ、どこかで期待しているような気もする。
16時に医者の説明があるとのことで午後半休を取るが、いろいろ忙しくて会社を出られたのが15時近く。有料道路と裏道を激走して5分遅れで到着。厳しい言葉もいくつか出てきたが、要はもっと専門の病院にいかないと分からないとのことらしい。これ以上病院にいる必要もなく、細かな手続きは後日改めてということにして即退院となった。今後どうなるかはわからないが、とりあえず今一緒に帰れるということがうれしい。
親戚の結婚式に備えて爺ちゃんも来た。昨日までとはまったく変わった雰囲気となる。
爺ちゃんと一緒に横浜で軽く買い物。店では鉄道関係の催し物をやっていて、欲しくなるモノがたくさんあった。安いモノを2つ買っただけであとは我慢。
退院手続き。最初の入院説明の時と同じ事務員さんに手続きしてもらう。ビックリするぐらいにきれいな女性なんだけど、残念ながらボールペンの持ち方が独特で、手元を見てうっとりという訳にはいかなかった。昔怪我でもしたのだろうか。完全に余計なお世話だな。