田舎に帰って従兄弟と遊ぶときとか、大阪に出張し始めた頃は関西なまりが移ったりしたものだったけど、ある日「これは恥ずかしいことではないか」と思った。以後は出来るだけいつもと同じように話すことにしている。大阪の同僚・友人たちはもう今となっては敬語も丁寧語もまったく使わずに話しかけてくるが、それに対して横浜言葉丸出しで「〜じゃん」などとごく普通に返す。最近では相手の関西弁が少々おかしくなるぐらいになっている。これでいいのだ。
毎度の事ながら遅くまで作業。あまりやりすぎると翌日に響くから早く帰りたいんだけど・・・22時を過ぎるとなんとなく力つきるまでやってしまうことが多い。
ひたすら片づけ。少しモノを減らさないと、次のモノが置けない。
写真撮影・・・のはずだったんだが天気が悪くて中止。あっちこっち迷いつつ、前から一度行ってみたかった多摩方面のショッピングモールへ。どうもこういうところに来ると福岡の施設と比較してしまう。
12月に金がないのにも慣れてきちまったなあ。いいことなんだか、悪いことなんだか。
夜中に女房と第一子が交代でゲーゲー吐いていた。すさまじい光景だった。
新潟出張。昨夜の騒動でやや遅れてのスタート。大丈夫かなあと思っていたらやはり少し移っていたようで、だんだんしんどくなって20時過ぎにはもうクラクラになってしまった。お気に入りの居酒屋での食事も早めに切り上げてホテルへ。暖房を効かし、カイロを首にあて、部屋を真っ暗にして就寝。出張先で22時前に寝るなんて初めてカモ。
新潟二日目。昨日ぐっすり休んだので7割程回復。昼は身体への影響を心配して大油ラーメンではなく味噌ラーメンにしたがだいぶ残してしまった。
最近の若い奴はハクキンカイロを知らない。
首の痛みがだんだん取れてきている。まだまだ痛いし重い物を持つとガクッとくるのだが、明け方に痛みで目が覚めてしまうことは無くなった。それだけでもう幸せって感じナリ。
高校時代からの友人ボブ君から「ニュージーランド人がツーリングに来ていてバイクを梱包するので手伝って欲しい」とのメールが届いていた。今日がその作業日だったので行ってみる。中学生以下の片言英語でなんとかコミュニケーションしつつ梱包を手伝う。南京縛りを見せたところ縄師として認めてくれたようだった。
ロンドン〜ロシア〜日本と長距離を走り抜いたアフリカツインと、走り抜いたライダーからは独特のオーラが出ていた。単に梱包を手伝っただけだが、形には見えない元気を分けてもらえたような気がする。バイクと旅が好きで良かった。
ゴルフワゴンを車検に出した。もう7年経つのか・・・早いなあ。
代車がないということで、工場長さんのイタリア製スクーター「イタルジェット・ドラッグスター125」を借りて帰ってきた。セパハン風のハンドルがついていて前傾姿勢をとりたくなるので、ピリオンステップに足を載せて軽く伏せながら走ってみた。タイヤが小さいのと独特の前輪支持方法とで違和感有りまくりだったが、大通りだけでなく曲がりくねった旧道などを楽しみながら無事に家に到着。寒かったけどやっぱりバイクは楽しいなあ。
学習塾での刺殺事件。元学習塾で講師・準専任講師(準社員)をやったものとして興味深く報道を見守っている。
私が働いていた所では、1年に十数人の新人講師が入ってきていたが、使い物になるのはごくわずか。他のアルバイトよりは時給が高いというだけで入ってくるのもいた。授業とか成績向上以前に研修(挨拶をしたり他の先生の授業を見たり)がすでに成り立たない奴もいたな。そんな状態でも雇っている以上授業を担当することになるし、生徒から見れば立派な「先生」になってしまう。
20代前半、しかも学生時代と言えば、まだ自分の限界に気付かずに夢を見たり錯覚している時期。そんな頃に多少勉強が出来ると言うだけで採用され、他のアルバイトよりも高い時給が支払われ、大した研修もなしに「先生」になっていく・・・自分を含めて相当数の勘違い君がいた。自分より上の人たちの中には教職を目指していたり、実際に教員になった人も何人かいたが・・・自分よりも下の世代にはそんなのは一人もいなかったな。
アルバイト講師だけで終わるのがいやで、大学卒業後に準社員もやってみた。学生時代と比べて仕事に専念できるのでやりやすかったが、アルバイト講師と一緒に仕事をし、その尻拭いばかりになってしまうことに嫌気がさし、あの仕事から卒業した。4年半ほどやってみて良いところも悪いところもだいたい分かったし、コンピューターへの興味が大きくなっていたこともあった。子供への教育は自分の子供に対して出来るんじゃないかとも思った。
今回の犯人が一体なにを考えていたのかはよく分からない。塾はこうあるべきだなどと言うつもりもない。が、学生アルバイトの講師が小学生を刺殺したということを聞いて、少子化のこの時代になっても学生アルバイト講師はまだ居るんだなあと思った。社会人なら刺さないってわけでも無いんだろうが・・・勘違い中のバイト学生講師が子供相手のヌルイ状態の中で自分中心の世界を作るのは割と簡単だ。それがどんどん歪んでいってこういうことになってしまったのだろうか。殺された子供がかわいそうだ。子供は先生の言うことを聞くしかない。自分の世界を守るために子供を殺すような奴は「先生」じゃない。
車検上がり。会社にドラッグスターで行き、帰りに整備工場に寄って帰ってこようかと思っていたが、朝あまりに寒かったので断念。会社にはフツーに車で行き、いったん帰ってからドラッグスターで工場に向かった。
荷物の心配なしに、単に身体の移動だけを目的にバイクに乗るのってものすごく楽しい。いつかまた使うかなと思って買ってあった冬用グラブを装着したので寒さにやられることもなく、楽しく移動した。着いたら冷え切ってしまっていたけど。
新潟出張の時にお世話になっている同僚がこちらに来たので中華街にご案内した。出張で来た人を連れて行くのもこれで何回目になるだろうか・・・店の雰囲気も味もだいぶ変わってしまったが、まだまだ美味しいと喜ばれる。改装前のカウンター時代にみんなを連れてきたかったなあ。
いつもなら一番忙しいのが2日、二番目が22日あたりなんだが、年末進行のおかげで今日が二番目の日だった。長年の習慣で22日あたりは出張を避けたり予定を入れないようにしているのだが、今日がその日であることはうっかり忘れていて、当初は出張の予定を入れてしまったり、また他の細かい用事が今日に集まってしまったりと、なかなか辛い一日であった。
鍼治療を受けに行くが、マイルドな治療でかなり刺激不足。でも治療中はぐっすり寝ちまっていたから、身体には気持ちよかったってことなんだろうなあ。でももう少し強い刺激が欲しいな。
吸い玉もやってもらったのだが、真空ポンプを使う吸い玉だった。昔中国人の先生がやっている治療院で、アルコールでやる吸い玉治療を受けたことがあるが、そっちの方が効きが強かったような気がする。原理とか理論上の効き目は同じなんだろうが、やはりホンモノにはなにか違うものがあるのだろうか。吸い玉を置く前に針で血を出したりもしていたから、それの効き目もあったのかもな・・・今時はそんな治療(?)はまずいのかもしれない。あるいは単にワシの身体のガタがひどくなってきているだけなのかもしれない。
寒くて寒くて、思っていることの半分ぐらいしかできない。外に出かける気が起きませんな。
風邪を引いてしまい会社を休む。インフルエンザかもしれないから、明日予定していた名古屋出張も延期だなこれは。オレ一人なら動けないこともないけど、行った先で風邪をばらまいちゃうと大変なことになる。
薬がかなり強いようでクラクラする。今日も大事をとって休む。でもチョコチョコとリモート作業。会社にいるときの半分ぐらいは仕事しているかもしれない。
マークが変わったのはハト印のスーパーマーケットだけかと思ったら、ファミレスもコンビニも全部やるみたいだ。バイクで長距離を走っていて、ようやくコンビニの看板を見つけたときにホッとするあの感覚は、経験者にしか分からないのかもしれない。やっとコンビニがあった〜と思ったときにそれが実はファミレスだったなんてことになると相当ダメージを喰らうな。
そこまでして持ち株会社のPRをしたいのだろうか・・・というより、同じような構成のライバルがグループ内で統一感を出し切れていないのを見て、一気に差を付けようということなのかもしれないな。そうとでもとらないと、街道沿いでファミレスとコンビニに同じ看板を掲げるという行為に説明がつかん。
夜、お世話になっている自動車修理工場へ。今年新工場に引っ越したのだが、高台になったのと広くなったのとで寒さが倍増。新築の広い工場って夢の世界のように思っていたが、これだけ寒いと夢ばかりではないようだ。修理の相談に行ったのだが話しの半分ぐらいは廃油ストーブの話題だった。
クリスマスの買い物をしに街に出てみる。事実上総合デパートとなっている大手カメラ店が新店舗に移転したのでそこに行ってみた。
この建物は以前は百貨店があった。開店の頃のことをすこし覚えている。30年たってガラガラになり、ついに撤退してカメラ店(という名前の総合デパート)になった。
百貨店時代のガラガラを思い出すことが難しいぐらいに混雑している。ゲーム売場はレジ待ちの列が売場内を一周し、最後尾は売場の外にまではみ出している。列にならぶのに売場を出なくてはならず、万引き防止の警報装置をピーピー言わせながら売場の外に出て並び、列が進むとまたピーピー言わせながら売場の中に入っていくとるという凄まじい状態。ふだんはこんな所には絶対に来ないであろうと思われる雰囲気のお父さんも「サンタさんへ ぼくがほしいのは○○ゲームと○○ゲームの攻略本です」という手紙を握りしめて売場の中を右往左往している。
レジ待ちは20分位だっただろうか。なんとか無事に終えたが、小さい子供を連れた親などはレジに並ぶことが出来ず、諦めた人も多かったのではないだろうか。整理券方式を導入して欲しいと思ったが、その整理券を使って「早い券あるよ」と商売を始める奴も出てきそうだな。
手作り(といっても土台は買ってきたものだが)のケーキでメリークリスマス。第三子はケーキとなるとすぐにハッピーバースデーと歌い出すので、正しく教えなおしてから乾杯。
今年はスタバのクリスマスブレンドを飲む機会がなかった。
職場にたまっていたOA機器を処分するため、処理業者に取りに来てもらった。トラックは福岡ナンバーだった。
「もともと福岡なんで、この辺の道よく分からないんですよ」
と業者さんが言う。
「福岡なんですか。僕明日から福岡行くんですよ。ラーメン食べに」
「ラーメンですか・・・キヤマっていうところで食べたラーメンが美味しかったなあ」
「キヤマ?」
「ええ、キヤマです。キヤマのラーメンセンター」
聞いたことあるな・・・ひょっとしてあれかと思い
「丸幸ですか?」
と聞いてみる。すると・・・
「なんで知ってんですか〜」
バシッと叩かれてしまった。普段なら面倒臭い作業だが、心温まるひとときであった。
本当は今日から休むつもりだったんだが、午前中だけ出社。4月以降職場の環境がガラッと変わり、あまりに忙しかったので年末に二日休むつもりだった。普通だったらがっかりするところだが、今日の出社はその4月以降まだ一部でくすぶっていた火を消すためのことなので大変嬉しい。これでいい年が迎えられそうである。
13時半頃に出発して家に戻り、荷造りやら年賀状の追加印刷をやったりしてから出発。いつも出発するときは「大阪でお好み焼き」とか「名古屋でウナギ」などと期待するのだが、出発が遅れたり渋滞にあったりでなかなか思い通りにいかない。今回も夕食は高速道路に入ってすぐの海老名SAで吉野家だった。
関ヶ原あたりで交通集中による渋滞との表示だった。20kmで2〜3時間以上という不思議な状況だったのでおかしいなと思いつつとりあえず1時間ほど仮眠。起きてみたら12kmに減っていたが所要時間は大して変わっていない。大阪までだったらありとあらゆる迂回経路を考えながら進むところだが、今回は長距離なので出来るだけ高速道路の深夜割引を有効に効かせたい。眠気を覚ましてから渋滞に突入・・・結局は除雪渋滞で、ずっと40kmで流れていた。
大阪までは通常の倍近い時間がかかってしまった。真っ暗な中で太陽の塔を拝みつつ西へ。盆と正月ぐらいライトアップしてくれてもよさそうなものだが・・・
なんとか昼食時間帯に福岡到着。バイキングにラーメンにポケモンにおむすび。
午前中は海辺のアウトレットモール。昼にGでラーメンを食べてから午後は趣を変えて水族館へ。ラッコがイタチの仲間であることを知る。ハム君を思い出しつつしばらく眺める。二匹で仲良くじゃれ合っているなあと思ったら交尾中だった。その後大喧嘩に発展していた。
大水槽のショーでダイバーさんが格好良かった。ああいう仕事も楽しそうだな。
夜は5年ぶりに家族でお食事処「H」に行く。ホテルに戻ってからワシだけ外出させてもらい、マッサージを探して街を徘徊。更にジントニックとシングルモルトウイスキー2杯。せっかくだからと屋台のラーメン屋「N」にも行って昼間のGとの違いを検証。激しい夜だった。
朝10時過ぎにチェックアウトして運河型買い物施設へ。食べ過ぎ・飲み過ぎでつらかったのでまずは薬局に行きサクロンを買う。午前中を思い思いに過ごし、昼になっていよいよ福岡の街とお別れをする。どうせだから昼食を食べてから行こうということで、運河施設内になるラーメンテーマパークには目もくれずにHDへ。
太宰府から九州自動車道に上がり、大分を目指す。ギリギリで18時の船に間に合い乗船。九州を離れて四国へ。
去年までは大晦日に郷里に到着していたが、慌ただしいので一日早くしてみた。年末の慌ただしさを愛媛で感じることが出来るのはなかなか楽しい。
愛媛のスーパーマーケットで年末の買い物をしているときに電話が鳴った。福岡に帰省している同僚からで、ラーメン店Dの場所の確認だった。「うちは昨日行ったよ」というとビックリしていた。
実家で6人で鍋料理を食べ、紅白も見ず格闘技もほとんど見ずに酔っぱらって寝る。いろいろあって思い出に残る1年だった。