2006年10月アーカイブ

2006年10月31日  

新潟

 久しぶりに新潟に出張。当初は電車で行くつもりだったが、ひょんなことから古いマーク2ワゴンを移動する予定があると知り、行きはそれに乗って行く事になった。7時ちょっと前に出発。東名→環八→関越道→北陸道ルートで巻潟東(まき・かたひがし)ICへと向かう。

 出発がやや遅れたので午前中の到着はいったんあきらめたが、環八が思ったよりもスムースに流れていたのと、マーク2ワゴンがボロボロの割にはよく走ってくれて、自宅前から目的地近くのコンビニまでノンストップ走行。目的地にも午前中に到着した。昼は背油醤油ラーメン。普段は背油ラーメンなんて食べないけど、新潟では別。

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 仕事は自家製システムへの機能追加。久しぶりにハードウェア設定ではない出張だ。緊張しながらの作業。1年半前はこの数倍の緊張をほぼ毎週味わいながらシステムを作ったのだが、もうすっかり遠い昔のことのように思える。

 夜はお気に入りの居酒屋に連れて行ってもらったが、あの頃の楽しさや盛り上がりはなし。さびしいような、ホッとしたような。

2006年10月29日  

いつものようにプール

 いつものようにプール。

 第三子が泳ぎに興味が出てきたようで、浮き輪を外したがる。以前から水をまったく怖がらず、目も口も開けてにっこり笑いながら陸上にいるのとまったく同じように水の中を歩いていたのだが、最近はだんだん泳ぎの真似っぽくなってきて、両手を合わせて頭の上に置き、足をバタバタするようになった。少しは前進するので見ていて頼もしいのだが、溺れるということを知らないので適当なところですくい上げないと大変なことになってしまう。いい加減に水の中では息が出来ないことに気づけよという気もしないでもないが、これが第三子の持ち味なのだから伸ばしてあげなくてはならない。

 ここのプールは幼児用(水深20cm位)と大人用(水深1.5m位)と流れるプール(水深1m位)があるんだけど、児童用がないのがちょっと残念。気を付けて見てあげればそのうち手すりにつかまったりジャンプしたりしながら泳げるようになるんだろうが、身長と水深で考えると目を離せるまでになるにはあと3年ぐらいはかかりそうだな。

2006年10月28日  

渋い

 一週間の疲れに出張疲れが重なったので、休息日として大きなことはやらないでおいた。第二子の友達二人がやってきて、第二子と三人で家の周りで鬼ごっこを始めた。第二子の自転車のブレーキケーブルを交換しながら鬼ごっこの様子を見ていると、二人の友達のうちの一人ヒロ君が鬼になったらしい。

 そのヒロ君が突然、

「風の中のすーばるー」
「砂の中のぎーんがー」

と、中島みゆきを歌いだした。最近の小学生は渋いなあと思いながら作業をしていると

「みんなどこへいーったー」

 あ、なるほど。それが言いたかったのね。

 夕方、「昨日kw行ったら美味くなってたよ」と言ったらみんな行きたがったので全員でkwへ。久しぶりに店長さんにも会えて挨拶。

 出てきたラーメンを前に女房が「また福岡行きたくなっちゃうなあ」とつぶやく。勝利を感じる一瞬である。

2006年10月27日  

名古屋出張

 名古屋に出張。他拠点で経験のあるIP電話ルーターの設置がメインなので割と気楽。

 ここではBフレッツで2セッション張り、www等と拠点間通信(Group-VPN)をやっているのだが、空いている帯域を使ってIP電話を使い拠点間の通話を無料にするのがねらい。今あるルーターはIP電話が1chしかとれないので2~4chとれるIP電話用のルーターに交換するのだ。Bフレッツは地域によっては3セッションもイケるらしいのだが、Group-VPNで使っている所にはお勧めしないとのことである。

 当初、www用に設置しているルーターを外してIP電話用のルーターに単純に交換するつもりだった。しかし、先週業者さんと一緒にやった本社の設定を参考にし、今まで使っていたルーターからはPPPoEの設定を抜いてルーティング専用として動かすようにし、IP電話用ルーターはその隣に置いてwwwへのアクセスのみを振るように設定した。

 今まではwww用のルーターにルーティングを設定し、クライアントPCからはそのルーターをデフォルトゲートウェイに指定して動かしていた。ところが、その手前に設置しているウィルスゲートウェイが低い確率ではあるがトラブることがある。するとクライアントPCからデフォルトゲートウェイにたどり着けなくなってしまい、wwwだけでなく本社へのアクセスが出来なくなり基幹業務がストップしてしまう。本来ならば信頼性の高い機械を使うところなんだろうが、そんなに高い機械をたくさん使えるわけでもないので、あり合わせの機器を使ってこんな運用で予防しておくことにする。7~8人の拠点でルーター3台という豪華(?)仕様になってしまった。

 18時頃まで作業して退散。ピザーラの711Dはまだ元気なのかなと考えながら歩いていたらちょうど近くまで行くバスが来たので飛び乗る。下りてちょっと歩いたら・・・同じ場所に停まっていた。まだまだ働けるようで嬉しくなる。

 なんとなく疲れていたのでビッグカメラの上の方でマッサージを受ける。「これだけ硬い人が来ると嬉しくなるんですよ」と言われる。褒められているのだかなんだか分からない・・・休みの日は十分リラックスしてくださいねと言われたが、そんなにカリカリとしているようなイメージだったのだろうか。それとも体が無茶苦茶に硬かったのかな。そういえば前に福岡でマッサージを受けたとき、マッサージ師が途中で音を上げそうになり、受付の人が「○○先生、次は休憩です」と励ましていたこともあったな。

 食べ物はあまり食べる気にならず、新幹線で戻る。地元の駅まで来てラーメン屋に行ってみるが営業時間に間に合わず。いったん家に帰って荷物を置き、クルマに乗って博多ラーメンkwへ。替玉をタレ付で頼めることが分かってから、ここの評価がだいぶ上がった。ただ、タレが多めにかけられて来るので、どんぶりに入れる時にはタレが全部入らないようにした方がよさそうだ。

 前回の続き。

 2006/10/19のアサヒコムによると、LS460の発売1カ月間の累計受注台数が1万2000台だったそうだ。前回(セルシオ)のモデルチェンジの時は2万5000台だったそうだから、半分以下ということになる。

 クルマとは直接関係が無いが、デザイン雑誌の2005/4/27付の記事でこんなものを見つけた。

http://nd.nikkeibp.co.jp/nd/news/contents/939.shtml

 「自分はレクサスに乗っているが、日本に来ると同じ自動車がトヨタのバッジを付けて走っている。こんなことはやめてほしい」

~ ショックを受けたのは ~ 各地域の販売担当が、独自の商品ブランド戦略を打ち立てるこれまでの手法の限界を、その言葉から実感したからだ。

 深いツボをついている記事のように見えるのだが、クルマ雑誌じゃなくてデザイン雑誌だからこんな内容になったのかな。

 前回も書いたけど、安くて故障の少ない実用車というイメージが強い地域で、新開発ではなく既存の車の別仕様版に高級感を持たせて売るビジネスモデルとしては大成功なのだろう。しかし、トヨタの本拠地日本では既存の車がよく知られてしまっているし、新聞記事では社会面だけでなく経済面でもかならず「トヨタのレクサス」として載ってしまうし、かかる費用の割には美味しいところが少ないんじゃないのかな。

 「サラリーマン奮闘記」みたいな読み物には、既存の店舗からレクサス店に異動した人の話しなども載っているが、これを読むと新しいレクサス店とは言っても経営は今までの店と同じことも分かってしまう(移籍じゃなくて異動なのだ)。メルセデスやBMWと闘うブランドを立ち上げたつもりが、値引きをしない販売チャンネルを増やしていただけだった・・・なんてことはないだろうか。マスコミも最近は「レクサス店」という言い方をよくしているし。

 LSそのものはきっと良いクルマなんだろうから、ペースはどうであれ今後もきっと売れていくことだろう。しかし、販売チャンネルが変わってしまったことにより、他の見えない部分に影響が出てくるかもしれない。元カーセールスマンだった同僚は、「既存トヨタ店でセルシオが売れなくなると、トヨタトラックの台数が減るだろう」と言っていた。

 あと何回かモデルチェンジを繰り返して、旧セルシオ、旧ソアラ、旧アルテッツァと言ったイメージが無くなってくればブランドとして確かなものになっていくのかもしれない。ハイブリッドなんかも搭載して、メルセデスやBMWにないものを強く前面に出していけばまた新たな闘いになるのかもしれない。でもハイブリッドはトヨタのイメージなんだよな・・・

2006年10月24日  

病院

 休暇を取ってこども医療センターに行く。最近の大病院はかなり手の込んだシステムを導入していて、お医者さんが自分の端末から検査予約とか入院予約を入れたりする。前に他の病院で見たときには、入院中の食事のメニューまで指示していた。すごいことのような気もするが、直接病気を治す以外のことに医師が時間と手間を取られてしまっているようにも感じる。ここの病院ではそういうことはなく、お医者さんの通常の手間の範囲内で次回の予約などがどんどん進んでいくような感じだ。それでも午前中と午後とで2箇所の科を受診するときはややイレギュラー的な運用になり、ややこしくなる。

 診察が終わって会計(マル乳なんで最終的には支払いはないのだが)を待っているとディスプレイに番号が表示されるのだが、あのディスプレイひとつにしてもきっと何十万か掛かっているわけで、全体ではいったいいくらぐらいになるのだろうか。自分にはセコい仕事のやり方がもうすっかり身についてしまっている。こういう風に最先端の技術で大胆に投資して元を取るなんてやり方は別世界のもののように思ってしまう。まあ、最先端だろうが末端だろうが、裏ではタコ部屋状態なんだろうが。

2006年10月23日  

打ち合わせ

 先週調べまくった資料を持って出かける。割とあっさりと片付いてやや拍子抜け。片付いたというよりは理解されていなくて、表の一番下の金額欄だけ見て話が進んでいるのかもしれない。

 打ち合わせの後は小雨の秋葉原を散策。ジャンク屋が増えているように感じる。見ている分には面白いが、まず売れないであろう部品ばかりあふれている。きっと2ヶ月もすると別の店に変わってしまっているのだろう。本気でジャンク屋をやっているのではなく、なにかの理由でつなぎでやっているんじゃないのだろうか。

 誘われて船に乗る。朝起きたらけっこう寒くて覚悟したが、ベイサイドマリーナに着く頃には暖かくなってきた。買い物では何度か来た事があるが、船に乗りに来たのはもちろん初めて。オーナー駐車場にクルマを停めさせてもらい開店前のショッピングゾーンを歩いていると、ここは本来は船に乗る人たちの施設なのだなあとしみじみ思う。福岡のマリノアシティの開店直前の様子とも似ているな。


 扉の向こうは別世界。

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 9時50分に出航。マリーナ内を微速前進。周りの船も何隻か出発していく。夫婦二人だけで出発する船が多い。

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 防波堤を出て、エンジン音が大きくなる。ちょっと緊張。

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 カーフェリーなどの商用船以外に乗ったのは30年ぶりぐらい、しかもそのときは漁船。プレジャーボートは初めての経験。行きは後部に寝転んでいたのだが、速さと居心地の悪くなさにびっくり。漁船のドンブラコ感や、カーフェリーのドンドコドンドコ感はまるでなし。

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 目的地が近づくにつれて海も空も青くなってくる。昔何度か行った観音崎やその先の公園や砂浜など、見覚えのある景色が見える。不思議な気分。

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 城ヶ島大橋が見えてきた。そろそろ目的地だ。

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 目的地は城ヶ島大橋をくぐったちょっと先、9日にも訪れた三崎港。このブログがきっかけになってのお誘いだった。ブログやってて初めて嬉しい思いをしたような気がする。

 いつも「入っちゃダメだよ」と言っている桟橋に着岸。上陸して第三子と一緒に「まーぐろー、まーぐろー」とまぐろのテーマソングを歌う(本当は“たらこ”)。

 何度も来ている三崎港だが、今日はさすがにいつもとは違った印象だ。地球の反対側からやってきたような感じである。ちょうど祭りが行われているようで、港周辺は大混雑、大渋滞していた。いつものように車だったら数時間コースで消耗しまくり間違いなしだったろう。なのに寝転んできれいな海と空を見ていたらあっという間に着いてしまった。

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 岸壁からちょっとだけ離れたお店に行ってみんなで昼食。さすが達人は安くて美味しい店をよくご存知だ。

 帰りはフライングブリッジ(というのかな?)に上がらせてもらい操船を見学。メーターが多いなと思っていたらエンジンが2機とのことで、右と左に同じ計器類が2セットあるのだった。

 中央にコンパス。砂漠を走るラリーマシンのことをふと思う。

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 やがてマリーナに到着。ちょうどお隣さんも帰ってきたところだった。

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 航海の後は後片付けと船洗いを手伝うつもりだったが、勝手が分からず役に立ちそうにないので買出し部隊を手伝うことにする。子供たちは船室でゲームをしたり昼寝をしたり。

 買出しはすぐ近くのコストコ。肉とパエリアとティラミスで豪華パーティー。船に戻って宴会。ちょっと雨が降ったがぴったりサイズの天幕をセットして問題なし。普通じゃ経験できないことばかりの豪華な一日だった。

2006年10月21日  

ホットカーペット購入

 近所の大型電器店でホットカーペットを購入。幼児がいると粗相をしたり嘔吐をしたりと傷みが激しく、今までも何度か買い換えてきた。そろそろそういったことも少なくなってきそうなので、エラストマーを使ったやや高級っぽいものを購入。以前テレビを買ったときにたまっていたポイントで支払い。

 この大型電器店は何年か前に横浜周辺のディスカウントストアDを買収し、そこを電器店に転換させて店舗数を一気に増やした。当初は全店電器店になるという発表だったが、しばらくするとディスカウントストアにも興味が出たようで、一部の店はディスカウントストア兼電器店になった。この店も南に数百メートルいくとDがあり、そこはディスカウントストア兼電器アウトレット店になっている。先週そこで品定めと寸法の最終確認をして、この一週間の間に意思が変わらなかったので購入した。今週は電器店の方に行ってみたのだが、値札の表示は先週のアウトレット店と同じで、逆に「土日お持ち帰り特価」で2000円引きの札が追加されていた。ほんのちょっとの運とタイミングで2000円儲かったわけであるが、逆のタイミングで損することのほうが多いんだろうな。電器アウトレット店が「大して安くなく、ディスカウントストアと併設されていることだけがメリット」であることが分かったのは収穫だった。

2006年10月20日  

更に調べまくり

 作った資料を更に裏打ちするべく作業。われわれの仕事にミスがなかったことを証明する資料をそろえてファイリングする。こういう状態の時は、情熱を込めた言葉でチラシや手紙を作っても役に立たない。客観的に証明する資料の厚みが唯一の武器となる。

 23時ごろまで同僚と二人で作業し、帰途につく。「ラーメン食べたいですね」とのことで、そういえば週末だしちょっと別の店に行こうかと自宅近くの博多ラーメン店Kwへ。墨田区のYとか鵜ノ木のTdなどでインパクト系の豚骨ラーメンに惹かれていた同僚であったが、Kwの非インパクト系の味にびっくりしていたようだ。もともとこの店も最初はインパクト系だったが、だんだん濃度が低くなり、しかし薄くなったのではなく深みが増していった(しばらくの間は迷走していたっぽいけど)。たまに外れもあるが、関東地方では貴重な店だと思う。チェーン店の博多ラーメンしか食べたことのない人や、濃厚なだけの有名店の味に疑問を感じてきた人に向いている。

 大田区の勤務先を出て横浜の奥地でラーメン食べて、第三京浜を走って旗の台まで行って同僚を送ってからまた横浜へ。戦いがほぼ終わった開放感でついやってしまったが、けっこうな距離だなこりゃ。

2006年10月19日  

調べまくり

 17日の打ち合わせで、ロスが20万円ほど出ているので3社で等分したいという話しが出た。こっちはほぼ完璧に処理しているのになぜ・・・と思いつつ皆意気消沈していたわけであるが、18日の朝届いたFAXを見てビックリ。20万じゃなくて80万だったのだ(あとでじっくり計算したら120万近かった)。10時半からこの作業にとりかかり、調査して対処の方向性をまとめ、さらにレポート作りにかかる。何度かやりなおしてようやく終わったのが19日の1時。自家製データベースのデータがほぼ完璧に揃っていたのと、書類もほぼ全部揃っていたためなんとか全件調査でき、我々のミスは2件(約6万円)だけということが判明。少し気が楽になる。

 あとは営業的に何十万円か負担することになりそうな気配。去年の今頃も違算処理でかなりの作業をしたが、あの経験が生きているようだ。嬉しいような嬉しくないような。

2006年10月17日  

飲み会、しかし・・・

 客先での打ち合わせの後、秋葉徘徊→渋谷で飲み会という豪華プランだったが、打ち合わせの内容が当初の話しとは違ってヘヴィーな内容になってしまい意気消沈。客先を出てから3人で「あれはねえよなあ」とつぶやきながら秋葉へ。

 あまり気分も盛り上がらず、まずはフィギアのショウルームを見てみる。ビルの1フロアの片隅にあったショウルームはだんだん大きくなってきて、フロアの半分ほどを占めるようになっていた。電器店を見かけると逆に違和感を感じる程になってしまっている。ショウルームだから直接の売上は面積とは単純には比例しないと思われるが、それでも着実に規模が大きくなってきている。この企業の実力の大きさと、オタク文化の深さを感じる。

 後半は一人で大手電器店のコンピューター館へ。十数年前は時代の最先端で、「パソコンでなにかをやるぞ」「できるかどうかわからないけどついていくぞ」という空気が充満していて、いろんな業界のいろんな人が客として集まっていた。各フロアには手書き領収書を発行する専用のパートタイマーがいる位に混雑していた。が、今では閑古鳥が鳴いている。このショップでしか見られない・買えないものというものはなく、書籍売り場で暇をつぶすだけだった。書籍売り場も以前は1階にあり、世の中のどの本屋よりも込んでいるような雰囲気だったが、今では最上階にあって客は数人しかいなかった。

 山手線で渋谷に移動して、飲み会。楽しいはずだったが、さっきの打ち合わせの内容のせいで今ひとつ盛り上がらない。レトロ調の飲み屋で楽しい雰囲気なのだが・・・ダメージが大きすぎたようだ。

 飲んだ後はたまたまみつけたHTという博多ラーメン屋に行ってみた。福岡で一番賑やかな繁華街の名前がついた店で、能書きには濃厚だのなんだのと書いてあるので試してみたが・・・あまりに不思議な出来でびっくり。手抜きで不味いというのではなく、丁寧につくってあるらしいことは分かるのだが、逆にそれが悲しみを感じさせる。替玉せずに退散。一緒に行った同僚は半分以上残していた。

2006年10月15日  

プールで目覚めたナリ

 夕方、いつものようにプールへ。今月からプール代が安くなっているのでワクワクして到着。切符を買って中に入ろうとしてふと不安になり、カバンの中を探ってみると・・・第三子の水着がない。あわてて出てきてしまったので忘れてしまったのだった。

 第三子はもうすっかり入る気になっているのでここで止めるわけにはいかず、仕方なく売店で水着を買うことにする。幸い、ちょうど良いサイズでわりと格好良い水着があったので購入。2500円は予定外の出費になってしまったが、秋~春に25回来れば元は取れる・・・ということにしておこう。

 25mプールで平泳ぎで泳いでいたら、60歳以上と思しき男性に同じ平泳ぎで追い抜かれた。スピードは求めていないので別にショックではなかったが、その後4往復以上休まずに泳ぎ続けているのはショックだった。ワシでも体力的にはやって出来ないことはないのだろうが、呼吸系があまり強くないので肺が熱くなってしまう。25m毎に休んで、熱くなった肺を冷ましてからでないと出発できない。

 やらなきゃいけないことが分かったような気がしたナリ。ネットなんかで現実逃避している場合じゃないナリよ。

2006年10月13日  

ワーキングハイ

 これまではエクセルを使って大部分を手作業でやっていたらしい作業を、アクセスを使って半分ぐらい自動化できればと思ってやり始めてみた。思っていたよりもうまくいき、100%に近いところまで自動化できそうなことが分かった。

 だいぶいい感じで出来てくると、残りを作ってしまいたくなる。翌日は別の予定もあるし・・・ということで、昨日は久しぶりに仕事が止まらなくなり、気が付いたら0時を過ぎていた。会社を出たのが1時過ぎ、家に着いたら2時過ぎ、夕食(というか夜食というか)を食べたら3時過ぎ、ちょっとホッとしたらもう4時。で、2時間ほど寝て今日が始まった。

 今日も午後から続きの作業。更にバージョンアップして運用開始が楽しみなところまで来た。夜遅くまで仕事するのは良くあるが、頼まれて仕方なく残ったり、機器やデータが壊れて夜間にリカバリしたりなどが多く、純粋に自分の興味で残って仕事をするのはそういえば久しぶりだったような気もする。なかなかイイ感じだが、独りよがりになっていないかどうか用心する必要もあるな。自分ひとりでうっとりしながら空回りっていうのは恐ろしいからなあ。

2006年10月 9日  

海・マグロ・はまぐり

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 海へ。天気が良かったので子供たち(下二人)は水着に着替えて遊んだ。最初は控えめに遊んでいたけど、他の子供たちと盛り上がっていくうちにだんだんエスカレートし、最後は泳いでいた。これもプール通いの成果なのだろうか。

 第三子は「震える」という言葉をまだ知らなかったようで、「か・ら・だ・が・ゆ・れ・るー」と叫んでいた。ワシは一昨日午後から風邪気味だったが、ポカポカと暖かい日差しの中で心地よい潮風を浴びていたらだいぶよくなった。黒いTシャツを着ていたら暑くなってきて脱いだぐらいにいい天気だった。

 砂浜のあとは三崎港によってマグロとはまぐりを購入。渋滞が心配だったが、他の車の流れと逆に動けたようで、思ったよりもスムーズに移動できた。帰ってご飯を炊いてさっそくマグロとはまぐりを食べる。ご飯は新潟から送ってもらった新米のこしいぶき。もう全部美味しくて、今日はダイエット休止。

2006年10月 8日  

1980年代のKTM広告

 ひそかにコレクションしていた、トシ・ニシヤマの広告の一部を公開。カタログデータ集をアップしたときは画像やデータの無断使用が多く、残念な気分になることが多かった。なので今回は画像に当サイトのロゴを入れさせてもらった。

 トシ・ニシヤマの雑誌広告が気になりだしたのは1984年頃からだ。当時仲が良かった友人とは写真や旅行やオートバイなど、いろんなことで行動を共にしていた。そんな彼が読んでいた本の中に、丸山健二氏の「私だけの安曇野」があった。やがて丸山健二氏がKTMに乗っていることを知り、そのつながりでトシ・ニシヤマ氏のことを知った。「メッセージ」とか「爆走、オデッセイ」とか「さらば、山のカモメよ」などで、トシ・ニシヤマ氏のことをたびたび読んだ。

 当時は弟と二人でバイク雑誌を手分けして買い、読んでいた。たしかライディングスポーツ誌が創刊間もない頃だったと思う。まだオフロード雑誌はなく、ロードレースが大部分でたまにモトクロスとトライアルの記事が載る程度。そんな中でハイパワーの大排気量オフロードバイクが静かに写っているだけの広告は、独特の存在感を漂わせていた。一見ただの外車専門店のようだが、しかし丸山健二氏の著作のおかげでどういうレースを走るバイクかは知っているつもりだった。当初は外国製オフロードバイク専門店だったが、やがてKTM中心の雰囲気を強くしていった。毎年外国で開催されるオフロードのオリンピック「ISDE」(国際6日間耐久レース)や、それを目指して苫小牧で開催された日本初の本格的エンデューロ「ITDE」(国際2日間耐久レース)、また南米ペルーで行われたインカラリーなどの記事は雑誌には載らなかったり、または載ったとしてもほんのわずかで、トシ・ニシヤマの広告の中の写真や文字は貴重な情報源だった。後にガルル誌やバックオフ誌が創刊され買うようになったが、表紙の次に見るのは特集記事ではなくトシ・ニシヤマの広告だった。

 自分用として保存しておいたものなので保存状態は良くないし、中には破りとったようなページもあるが、今こうして並べてみると自分用としてだけ保存しておくのはあまりにもったいないと思い、公開することにした。トシ・ニシヤマ氏には連絡を取り承諾をいただいた。「いろいろ好きに作っていたから、今見ると面白いかもしれないね」とのことだ。

 最近のKTMのコピーに「君の手で確かめてくれ」というのがあった。その20年以上前、トシ・ニシヤマは自分の手で"6日間"確かめて、日本のライダーに紹介していた。

1980年代のKTM広告コレクション

2006年10月 7日  

幼稚園の運動会

 昨日は豪雨だったのでダメかなと思っていたが、一転ものすごい秋晴れとなって、無事運動会が開かれた。遠く北海道では熱い戦いが繰り広げられているはずだが、それはあとでネットで結果を探すことにして、目の前の自分の子供の成長振りを喜ぶ父親であった。

 歳の離れた第三子の運動会なので、先生たちも周りの親たちもほとんど知らない顔になってしまっている。我が子の成長振りを見るのは嬉しいが、ほとんど知り合いと合わないのはやはり少々寂しいのであった。

 帰ったら思ったよりも疲れていてばったりと廊下に転がり寝てしまった。風邪気味。

2006年10月 6日  

仕事でストレス解消

 棚卸の作業がひと段落つき、目の前に締め切りがある仕事から解放されてホッとしていた。こんなときはやりたいことをやるかと、今まで構想は練っていても手をつけられなかった仕事をやってみる。調子がいいと仕事のストレス解消を別の仕事で出来ることがある。年に数回あるかないかだが、こんなときはなかなか気分がよろしい。イライラしないし、来週以降の仕事の準備にもなるし、一石二鳥、三鳥、四鳥なのである。

 夜、ラーメン仲間からの誘いで職場近くの本拠地「Td」へ。いつもと変わらぬ安定した味。今週は3回も博多ラーメンを食べた。痩せる気満々だったんだが、ちょっと休憩だな。

2006年10月 4日  

組織変更?

 どっかにラーメン食べに行くかと、夜会社を出発。先日行った千駄ヶ谷のGTが良かったというので、あそこ本当はもっとすごいんだよ・・・などと言いながら横浜市青葉区のGTに向かう。久しぶりで道を間違えたりもしたがなんとか到着。しかし、店は真っ暗で張り紙が一枚・・・「組織変更のためしばらくお休み」とのこと。残念ー。

 仕方なく家の近所の博多ラーメンKwへ。ここは最近味の基本路線が変わったような気がするが、新しい味もそれなりに美味しい。一度食べてガツンとくる味から、常連が通っても体に負担がかからない味になったような気がする(悪く言えば少し薄くなった)。以前連休のときに来たら薄すぎてがっくりきたが、今日はそこそこに美味しかった。替玉用のタレがないのが不満だったが、注文するときに「タレ付き」と言えばタレをかけてくれる。これならまあOKだが、ひとつ間違えるとタレではなくスープが付いてきてしまうのが不安でもある。

 すっかりラーメン友達となりつつある22歳OLも、替玉1回がデフォルトになってしまった。ごますり器を初めて使うようで感激している。ハンドルをまわす方向がわからないようで迷っていたが、「マシンガンキャスト」「電撃鬼合わせ」と言ったら分かったようだった。やるな。

2006年10月 3日  

お祝いラーメン

 家族の旗日だったのだが、仕事が忙しかったり本人も塾だったりで都合がつかず。全員まとまってのお祝いはまた別の日にすることにして、ワシと第一子・第二子の3人で近所の博多ラーメン店「KR」へと向かう。

 全員そろって白のしょうゆベース。これがいちばん基本の博多ラーメンに近いのだが、それでも若干の違和感を感じる。ボリビア岩塩を使っているらしいのだが、それが合わないのではないだろうか。普通の塩で地味なラーメンを作ってくれないものかなと思う。麺はなかなかイケるのに。

2006年10月 2日  

ローライズジーンズ

 先日、本屋で本を探していたら、20代と思しき女性がケータイで話しながらしゃがんで立ち読み(座り読み?)をしていたのだが、ジーンズとTシャツの間が大胆に開き、ピンクの下着がまる見えだった。ここまでなら最近はよくある話しなのだが、昨日はそこまででは収まらず、Tバックであることまで確認できてしまった。

 チラッと見えると正直嬉しいが、ここまで見えると逆に引く。もう10年ぐらいしたら陰部まで見せるようなファッションに進化してしまうのではないだろうかと心配である。「チラリ萌え萌え」を忘れないでいたいものである。

2006年10月 1日  

雨のダート

 久しぶりにダートへ。第一子と第二子が同行。二人とも走る気になっている。

 現地に着くが久しぶりのライディングなので準備に手間取る。特に第二子のXRはガソリンタンクを洗浄した後の初走行で、燃料コックの調子が悪く、直しているうちに雨がひどくなってしまい走れなかった。まあ長くやっているとこういうことも何度かある。「今回はごめんね。また次回かならず楽しめるようにするから」と話し、第一子とちょっとだけ走行。まだまだ先は長いのだ。無理に乗せる必要はないのである。

 雨の中を走るのは久しぶりだ。雨が大好きというわけではないのだが、雨の中がんばっていたあの頃を思い出せるのが嬉しい。ずぶ濡れになりながらも幸せな十数分であった。

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