管理・運営を手伝っているサーバーが突如通信不能に。サーバーを再起動してもダメでどうやら回線トラブルらしい。出来ることをやってしまえばあとはもう朝になるのを待つしかないんで気楽な物。晴天のリゾート地で急に帰りが一日延びてしまい電話連絡も不可・・・なんて状況に似ているカモ。サイトもメールもなんにも無いってのもいいもんだね。
結局回線管理者(オレじゃない)のBフレッツ代払い忘れが原因だった。普通だったら怒り出す人もいるんだろうが、関わっている3人がみな技術よりの人間なんで「大した問題じゃなくてよかった」と、深刻な回線・機器のトラブルでなかったことを喜んでおしまい。さっぱりしていて男らしくていいでしょ。
久しぶりの大阪出張。ここんところ忙しかったんで朝はゆっくり目に出発して11時発の777-200で伊丹着。バスで大阪に着いてからラーメン「D7」で昼食。博多ラーメン以外で替玉したのは初めて。ヨドバシでいくつか買い物してから作業。今回の作業はPC入れ替えを3台とあといくつか雑作業。
夜はいつものお好み焼き。ホテルに入ってから更に缶の焼酎。定宿横にはコンビニが2件あるが、どちらも酒が置いていないのでわざわざ遠くのコンビニで買ってからホテルに向かった。着いてみると2件とも酒を扱うようになっていた。
大阪2日目。今日は東京で大雪との予報だったのでいろいろ準備していた。防寒コートには更にフードを装着、靴はローファーではなくトラベラーズシューズ(というと大げさだがいつも履いているもの)、延泊になったときのための現金もちょっとだけ持ち、更に羽田空港へのバス券は往復を買わないでおいた。
昨日伊丹に着いたときに、GHさんに特割をクレジットカード決済したときの変更・キャンセルについて確認しておいた。欠航になった場合は手数料なしで返金(日数がちょっとかかる)または他の便への変更もやってくれるらしい。ただ空港なり予約センターに事前に連絡をして欲しいとのことだった。一応予約だけは入れておき、天気予報やニュースを見ながらギリギリまで悩んだが、どうやら昼ぐらいには止む気配が濃厚し、降ったら降ったで楽しそうなのでクレジット決済。手続き終了は0時4分・・・本来ならば昨日中に決済しなくてはならなかったのだがマージンがあるようだ。ちなみに0時過ぎて特割を決済したのは2回目である。
結局、東京=大阪線は朝の1往復が欠航しただけだった。いつものようにお好み焼きを食べ、集まってくれた仲間と飲み、そして一人で関空へ。閉店間際のスタバでコーヒーを買ってから機内へ。飛行機は乗るたびに「これが最後の搭乗か」と思うA321。そういえばオレも「これで最後か」と思いながらも何度も出張しているなあ。
昼頃に第二子の歯医者の付き添い。夕方に女房が腹痛を訴えたので内科に付き添い。夜になっても女房の腹痛がおさまらず、久しぶりに救急病院に電話を掛けてみるが救急患者が入っていて手が回らないとのこと。最近オープンしたらしい夜間診療所を紹介されたので行ってみる。
電話で聞いた住所をカーナビに入れて21時半頃出発。途中の道はガラガラ、20分弱で到着。駐車場がほぼ一杯だったので覚悟していたが、中に入ってみると高熱を出した子供が泣き叫び、中学生位の女の子は呼ばれた立ち上がった瞬間に貧血で倒れるなど、負のオーラが充満した野戦病院のような雰囲気。中で待っている人の数を数えてそろそろかなと思っていたら次から次へとマスクをした大人や子供を抱きかかえた親が入ってきて、そして呼ばれていく。待合室で待つのが辛いのでクルマの中で待っている人が多いようだ。今度建て替えをするときは、ドライブスルー方式とまではいかなくても駐車場と待合室との位置関係をもう少し工夫すると良いかなと思った。
腹痛の方は前にも何度か経験したやつで、もう一度注射を打ってもらい、夕方にもらった薬を分析してもらっていくつかはそのまま継続、いくつはか処方し直してもらった。親身になって一緒に考えてくれ、親切に説明してくれる先生でよかった。
昨夜のこともありまたまたのんびり過ごす。昔は日曜日ってバイク乗ったり外で遊んだりしていたなあなどと思い返すことも無いぐらいに静かな日曜日。
ヨドバシで買い物。19インチモニターを購入するが心震えず。他人のだから無関心ってわけでもなく、自分が使うんだとしても同じ気持ちだなたぶん。必要以上に豪華なPCとか周辺機器を買ってももったいないだけなんだよな。
そういえば昔、大人の話(笑)を読みたくて入会していたとあるフォーラムで、入ると出てくるメッセージが「U1でMS-DOSを使って、もっとクリエイティブなことを」だったな。
で、いつもの中古PC屋さんにPCと15インチTFTモニターのセットを13セット注文。これで総額50万以下。10年前だったら1セットも買えない額だ。消費者としては嬉しいが、世の中これでいいのだろうかと言う気も正直ある。
昔はパソコンを買ってもまったく使えずに置きっぱなしというパターンも良くあった。今はインターネットがあるから全く使えないということはなさそう。借りてきたCDをコピーなんかも出来るし、デジカメで撮った写真の保管・整理もできるからきっとそれなりに使われているんだろう。
パソコンが有意義に使われているかどうかの指針として「暇つぶし」と「非暇つぶし」に当てはめてみると面白い(ときに怖い)。パソコンやパーツに詳しく、ビデオカードやらチップセットの名がずらずらと出てきて、自作のPCを何台も並べて稼働させているPCマニアでも、やっていることは違法ソフトや著作権違反のファイル収集であとはアングラサイトと巨大掲示板を見ているだけだったりすると、結局やっていることは暇つぶし。他人のブログに適当に相槌打ってるだけなのも結局は暇つぶし。どこからが非暇つぶしかというと難しい。ちなみにオレは「時には非暇つぶし」。
新幹線の博多開業から30周年になるらしい。当時は鉄道少年(ただし模型派)だったのでなんとなく当時のことを覚えている。当時は今の第二子と同じぐらいの学年だった。30年後に博多にラーメンやおむすび食いに行くようになったり、福岡在住のOLや女子学生にネットでネタにしたりされたりするようになるとは思わなかったな。
最近、職場のワシの部屋が有志の憂さ晴らしルームになっている訳ですよ。で、そこでの話が異常に盛り上がって、もうこのまま飲みに行きますよ〜という雰囲気になる訳です。でも悲しいかなここはクルマでないと通えない土地。ほぼみんなクルマ通勤。明日にしますか〜ということになって手羽先屋に電話してみるが2軒とも満席。とても他の店など考えられず、とりあえず延期という事になるわけです。
弟のことを思い出す日・・・なんだが、冷静に考えてみると弟のことを思いだしている自分のことを思い返してしまう方が多かったような。未整理の写真が偶然出てきたりとか、強烈に覚えているにおいとか風景なんかと巡り会わないと、今まで以上の印象は戻らないかもしれない。10月で10年・・・10年も経てば仕方ないのか。
休みが一日しかないんであれこれ動かなくてはならない・・・が猛烈に頭痛がして午前中はダウン。午後は散髪と卒業式準備の買い物。
プリンタ納入の立ち会い。レーザープリンターが十何台か入ってきた。運送会社が2人とメーカー2人、商社2人の計6人。しかし実際に動いているのは運送会社とメーカーの計4人。商社の人は手伝っているつもりだったようだが逆に足を引っ張っていた。OA機器担当の営業なのにTCP/IPという言葉すら知らず、それでいてネットワーク設定をしようというのが間違っているわけだが、まあ今の世の中そんなもんなんだろう。知らない人が見たら「4人で設定してくれる親切丁寧な会社」なんて評価しちゃうんだろうな。
夜は第二子の友人の自転車の調整。サイドプルブレーキの取り付けがゆるんだのと若干さびていたので片効きになっていた。増し締めと注油で解決。最初電話で相談を受けたときはVブレーキとばかり思っていて、台座のグリスアップとかバネの調整とかを考えていたのだが、あっさり直ってよかった。
似たようはトラブルは第一子の友達の自転車でも見たことがある。後ろ側のナットがゆるんだのに前のナットを締めてしまっていて、ガタがあるうえに動きが渋くなり、ブレーキがほとんど効かない状態になってしまっていた。
「自転車を近所の自転車屋で買う」という行為はとっくに時代遅れとなっている。が、「よそで買った自転車なんか面倒見ないよ」という湿気た空気を漂わせている自転車屋さんはまだまだ多く、大手量販店やディスカウントストアの修理コーナーもまだまだ修理を頼みにくい感じが強い。地方の大型ショッピングセンターでは自転車置き場の前に自転車屋を配置しているところが増えてきているが、ディスカウントストアの自転車売り場はなぜかたいてい店の奥にある。自動車の世界では新車販売はまったくやらず用品と修理だけ扱う大型店がそこそこ繁盛しているようだが、自転車だと修理単価が安いから専門では商売にならないのかな。
輪切りの私〜
日曜日から頭痛が収まらず、会社の友人たちの勧めもあって脳の病院に行ってみる。このまま入院なんてことも覚悟(期待)し、昨晩は最低限の引継書も作って会社に置いてきた。
貫禄とやる気たっぷりの先生と何分間か話し、MRI検査を受ける。2時間ほど待って検査結果が出る。外科的には心配なし。ただし、心配事項として相談した内容は別の病院に早めに行って相談した方がいいとのこと。自分の頭の輪切りの写真をコピーしてもらい、診察終了。良かったような悪かったような。で、この頭痛はどうすればいいのだろう。
終わったのが14時過ぎ。病院の近くにあるラーメン屋で遅い昼を食べ終わったら14時半だった。まだ頭痛も続いているので会社に電話をして今日は休みにする。とたんに頭が少し楽になるので原因はたぶんこれだろう。
遅い昼ご飯を食べたのは、最近よくみかける創業昭和二十九年というラーメン屋だった。中に入ってみると、明朝体の看板から受ける落ち着いた雰囲気とは正反対のファミレス風のメニュー。創業当時の店とかラーメンとかの写真を店内に飾ったりメニューに載せたりすると風格が出てよろしいのではないかと思うが、あえてそうしていないのかもしれない。よく言えば昔懐かしいシンプルなラーメン。素ラーメンなら値段も安いが元祖の方がもっと安い。いちいち福岡と比較してはいけないことは分かっている。
相変わらず頭はクラクラしたままだが、ゆっくりとしたペースで仕事に戻る。どうやら血圧が原因であるらしいことは分かったので、食べ過ぎない・塩辛くしない・怒らないの3つを気をつけようと思う。最近は怒ることは少なくなって、あきれる方が多い。
明日で第一子が小学校卒業。明日は式だけだから、通常通りに「行ってらっしゃい」というのは今日で最後になる。「行ってらっしゃい」と声をかけてから、そういえばランドセル背負って行くのは今日で最後かなどと思ったが時すでに遅し。写真撮っておけばよかったなあ。
幼稚園を卒園するときは、大好きな幼稚園の中での自然な表情を残しておきたくて、見送りに行ったときに何枚か写真を撮った。第二子の時はアルバム委員になり、そちらに力を注いでいるうちにどうでもよくなってしまった。園舎も建て替わったばかりで、あとで写真を見ても懐かしさは感じないだろうと思った。
そういえば自分が小学生の時は、5年生ぐらいからはランドセルはほとんど使わず、ショルダーバッグを使っていた。周りのことを思い出しても、6年生時のランドセル使用率は半分以下だったような覚えがある。あれから30年、決して使い勝手がいいとは言えない革のランドセルはいまだ使われているし、6年間きっちり使う児童が昔より増えているようだ。ショルダーバッグは背骨が曲がる(かどうかは知らないがそういうイメージがある)から小学生には向かないのかもしれない。景気が悪いのも影響しているかもしれない。
カバンと言えば、自分が中学生の時はスポーツバッグに凝るのがブームだった。アディダスかプーマのエナメルのが一番格好いいと言われていた。学校指定のスポーツバッグや、マディソンスクエアガーデンのロゴのはダサいと後ろ指さされる雰囲気だったな。やがてペーパーバッグ(紙袋)が流行りだし、ペーパーバッグだけで通う生徒が多くなった。タバコの銘柄の紙袋で通うのが大人っぽくてかっこいい・おしゃれという感じだったな。ワシも父親が吸っていたショートピースとか、マルボロとかの紙袋を探して買ったりしたものだ。
PTAや先生たちの間では、2週間程度しか使えない紙袋は非経済的だという声もあがったようだが、1年の時の担任で部活の顧問だったN先生は「紙袋を年間に44週間(夏休み・冬休み・春休みで8週間として)使うとすると・・・」と計算し、スポーツバッグを3年間で2個使うより安いと生徒に説明した。「だから紙袋を使え」とまでは言っていなかったが、「先入観だけで判断せず、計算してみろ」と教えたかったのだろう。肝心の理科の授業の内容はよく覚えていないが、あの時の話しは4半世紀たった今でもよく覚えている。
N先生はワシらが入学の時に新卒でワシらの担任になり、ワシらが卒業するときに中学を辞めてどこかの高校の先生になり、間もなくだったか1年後だったか忘れたが急に亡くなったという連絡があった。葬式の時も特になんの話しもなく、後日中学校の職員室にお墓の場所を聞きに行った時も無理に話題を逸らされて終わってしまったので、なにか深い事情があったのかもしれない。当時の先生の年齢もとうに過ぎてしまった今改めて振り返ると、やっぱり何も分からないし、でもすべてが分かるような気もする。
第一子が小学校卒業。会社は休んだが卒業式には出ず、家で第三子と留守番。俺が卒業式でつけた母の手作りネクタイを締めて第一子も卒業式に行った。
午後はかかりつけの病院に行ってみる。血圧が高いことや脳のことなどを相談しにいったつもりだったが、先生はかなり険しい顔になり、明日の朝食を抜いて検査することに。とりあえず頭痛薬をもらって帰宅。少し楽になった。
朝イチで病院に行き、身長・体重測定から始まって血圧・肺機能・レントゲン・血液・尿・心電図と様々な検査を受ける。結果は3勝4敗1分(来週判明)。
墓参りに行こうと家を出る。バイパスに乗ったところでラジオから福岡で震度6弱の地震発生の一報が入った。「映像は・・・」などと聞こえてきたのでテレビ・ラジオ同時中継であることが分かり、テレビの映像とラジオの音声で状況を見守る。友達は大丈夫だろうか。ラーメン屋に被害はないだろうか。
来週は大阪・名古屋出張の予定が入っているのだが場合によっては火曜日に福岡に向かわなくてはならないかもしれない。状況を知りたいと思い福岡の友人の携帯(ドコモ)に電話をかけてみたがやはりつながらず。3人にiモードメールを送ってみたところうち1人(ドコモPDC)からは4分後に返事があった。どうやら無事らしい。
残りの2人のうち1人からは夕方返事があった。彼は地震発生時に脚立の上にいたらしい。「FOMA全然駄目です」とのこと。
昼に1時間ほど、蒲田のタイヤ公園に行ってみた。勤務先近くの公園で子供を遊ばせるのになんとなく抵抗があって、これまでは誘われても行かなかったのだが、今回は「第一子が小さいうちに遊ばせたい」とのことだったので行く気になった。女房はこの公園に思い出があるようで、ノスタルジーのようなものも感じているらしい。
行ってみると・・・なかなか楽しい訳ですよ。子供たちは大きな滑り台でタイヤに乗って滑ったり体だけで滑ったり。俺はというと昔懐かしいタイヤや珍しいタイヤを見つけては大喜び。ピレリMT40を見ては北海道や四国にツーリングに行ったことを思い出し、ピレリファントムを見ては初めてタイヤのパターンに萌えたことを思い出しと、子供と同じぐらいはしゃいでしまった。
ミシュランのラリーレプリカタイヤT63なんてのもあったし、見慣れないパターンだなと思ったら航空機用のタイヤだったり、ジープの下駄タイヤとか路上では見られなくなったスパイクタイヤなんかもたくさんあって、見る人が見ればタイヤ博物館のようだ。
3度目のバックオフ誌フリーライドミーティング。血圧高いまま・頭痛したままで本当だったら家で寝ていたい状態だったが、久しぶりに乗りたかったし、ひょっとしたら乗ったら治るかもと思い行ってみた。結局頭痛は治らなかったが、まあまあ楽しく乗れた。
会場には友人一家も来たので、新小学1年生のダート体験走行をやってみる。なかなか楽しそう。第一子が乗り始めた数年前を思い出す。
夜はいつものルートで首都高東京見物。東京の中心部やお台場を通り、たくさんの光やにぎやかな雰囲気の中をトランポで進むと、さっきまでオフロードで遊んでいたことがより鮮明に思い出され、また行きたいなという気分になる。
深夜1時18分まで作業。自分の範囲だけ念入りに片づけ、まだ残っている3人に「お先に失礼します」と言い捨てて帰宅。体調は相変わらずだが、気分は絶好調だったあの頃にすっかり戻った。
今度は君たちが病む番だよ。最後まで責任もってやり遂げてほしい。永久に完成しない仕事でも終わりは必ず来るからね。
久しぶりに2泊3日の出張。大阪2泊で最終日に名古屋立ち寄り。今朝は少しだけゆっくりして、9時に家を出る。例によって某交通機関で移動。ラスト1席だけ残っていた窓側席で14Rへの着陸を期待していたが、やはりいつものように32Lだった。
着陸態勢に入っているとき、遠くに太陽の塔が見えた。車やモノレールの中からは何度か見ているが、飛行機から気づいたのは初めてだ。通天閣とか大阪城とかいろいろあるが、俺の場合は太陽の塔がいちばんイメージが強い。
梅田で必要機材の買い出しをするべく、モノレール乗り場に向かう。蛍池への切符を買い中に入ると、「万博公園だより」というパンフレットが置いてあった。太陽の塔が表紙だ。行ってみたくなり携帯でシミュレーションをする。昼食を店に入らずに移動中に済ませればどうにかなりそうな予感。前回の出張で太陽の塔ストラップを探したのだが見つからず、川崎の美術館で売っているらしいのでそのうち買いに行こうかと思いつつ保留になってしまっていたが、情熱が再燃した。蛍池では降りずに万博記念公園まで行ってしまった。
駅の売店で売っていたら買ってそのまま行こうと思っていたが、駅には売店などなかった。仕方なく外に出る。最初に目に付いた売店ではストラップはなし。その後ろに立派な建物があったのでそこかと思って入ってみると、ただの住宅設備展示場だった。名古屋の30年後のことを思いすこし憂鬱になる。
展示場を出ると、さっき駅からは見えなかったところにもう1件売店があるのを発見。そこが求めていた「太陽の塔」グッズ売り場だった。無事ストラップを購入。千里中央で乗り換えるときにスタバを発見したのでコーヒーとキャラメルなんとか(甘いドーナッツ)で昼食。結局店でゆっくり飯食ってる。千里中央は初めて来たが、オープンな作りの建物にいろんな店があって楽しそう。20年前に出来たキャナルシティっていう感じ。
出張先に着き早速ストラップを自慢する。「みつけたんや〜どこで買ったん?」と聞かれ、川崎の岡本太郎美術館と答えておいたが、「万博公園の左側の売店でも売っているらしいよ」と言うと「それで今日遅かったんやろ」とバレてしまった。
梅田で乗り換えしているときに女房から電話。かなり厳しい内容だったがみんなで頑張るしかない。今までも出張先でいろいろあったが、今回ほど家に帰りたいと思ったことはなかった。携帯電話に感謝である。早く金曜の夜にならないかな。
大阪二日目。パッパと終わるつもりだったが予定外のことにハメられ、気がつけば深夜1時まで作業していた。素人が思いつきだけで進めるとこうなってしまうという典型的な例。血圧上げちゃいけないんでできるだけ平静にしていたが、下が5位は上がったかもな。
しかも、来週福岡に行く用事まで出来てしまった。福岡は設定変更の必要なしと聞いていたが、大阪の資料を見つつ福岡内のイメージを検討してみるとどうしても設定変更というか追加が必要だった。一応面倒くさそうなフリをして「え〜行かなくちゃだめなのかよ」という雰囲気作りをしてみたが、本心はうれしくてうれしくてたまらず、あふれる笑顔をかみ殺すのが大変だった。でも体調悪くてラーメン控えてるのに行ってもなあという気持ちもややある。
振り回されてようやくホテルに入る。10年前からずっと使っているこのホテル。作業が長引いて朝の7時にシャワーだけ浴びに入ったこともあったな。あのときは充実感に満ちあふれていたが今回はまるでなし。普段は自粛しているエビスビールを飲んで寝る。
名古屋へ移動。早く来てくれと言われていたが、いつもの吉野家での朝食とスタバでのコーヒーは欠かせない。9時に新大阪着。昨夜の作業にまつわるトラブルを2件電話で片づけてから名古屋へ。通路で立っていたが京都で席が空いたので座れた。
名古屋では昨夜の経験が生きてほぼ順調。夕方に来週の月〜火曜の福岡出張の手配をする。現地に電話したところ、仕事以外に楽しみにしていたことが駄目になったようでやる気が一気になくなる。人生うまくいかないものナリね。
入社当時に一緒の部屋だった同僚の送別会出席をねらっていつもより早めに出たが、結局間に合わず。初めて降りた品川駅から電話した話しただけで終了。一応会場がある駅まで行き、送別会帰りの別の同僚とお茶飲んで帰った。
やることたくさん。まずは子供会の廃品回収。リヤカーが3台あるはずなんだけど1台故障・1台空気が抜けていて1台しかまともに使えない。空気を入れようとしたらエアバルブがもげている。タイヤやリムも自転車用とは全然違ってオートバイ用に近い雰囲気。しかもなんとムースっぽい。でもバルブがあってウッズバルブだったりする。最初はチューブが回って中に潜ったのかと思い、タイヤをはずして探そうとしたがやめておいた。後で分かったがもう1台も似たような故障で片輪が使えないらしい。最初から分かっていればニコイチに出来たかもしれないのになあ。
次は子供のサッカー教室。第一子は今日でサッカー教室も卒業。セコセコせずにのびのびと楽しいサッカーを教えてもらったようだ。いい教室だった。
サッカーの途中でワシだけ病院に。血液検査の結果が出て、大方の予想通りコレステロール過多だった。あとはアレルギーの数値が激しすぎて通常の20倍以上とのこと。喘息の発作はもうほとんど起きていないので安心していたが、いつ起きても不思議ではないと言われ吸入治療(予防)を再開することになった。
午後は第二子が幼稚園の先生の結婚式に出席するのでオカーサンとお出かけ。残るメンバーで自動車工場に行き修理代の支払いを済ませ、その後川崎の大型カメラ店でゲームソフトを購入。第三子がマツケンサンバにハマッてしまい、ドンキーコングのなんたらかんたらいう太鼓ゲームを猛烈にほしがっているのだが、1曲だけのために4000円以上払うのももったいないような気がして、おまけDVD付きのCD(2000円)に変更した。おまけDVDには花火大会でのマツケンサンバの模様や、振り付け解説が収録されている。サビ以外の部分は初めて聞いたよ。
来月からゴミの出し方が変わるので、面倒なモノは今のうちに出してしまおうと思いいろいろと整理。ワシの部屋からだけで45リットルのビニール袋に2袋出したが、片づけ開始前よりさらに散らかった。
電車で一度出社し、ミーティングに出たり通常の業務を短めにこなしてから羽田空港へ。1便早く乗れるかなと思っていたがギリギリで間に合わず、羽田空港で2時間ほど過ごすことになった。大好きな街への移動が遅れイライラする気持ちも多少は生まれたが、ここのところスケジュールがつまっていたためぽっかり空いた2時間はやはりうれしい。コーヒーを飲みながらたまっていた日記をじっくりと書く。大手プロバイダの看板が出ていたので無料で無線LANが使えるのかと期待したが、残念ながら壁側にPCが置いてあるだけだった。
福岡の着陸はRWY34。最初慣れはじめた頃は海の中道ぐらいしか地形を判別出来なかったが、今日は百道や年末に泊まったホテルなどもよく分かり楽しかった。着陸後はまっすぐ博多駅へ。いつものように雑用をこなしつつ、ホテルにチェックインしてから営業所へ。軽く打ち合わせをしてから所長と二人で食事。体調が悪いままなので食事も酒も軽めにしておく。話の内容はややヘヴィーだったが、「本社から来た人」ではなく「半現地スタッフ」として飲めるのがうれしい。「半」ってのがミソだけど。
その後はいけないOLと内緒で合流し、軽く散歩というか徘徊してから自然食料理屋へ。更にその後おむすびも少々。調子が悪いことを思い出したのは元祖で生の玉を替玉した直後だった。替玉は半分にしておけばよかったな。
おむすび屋ではいけないOLのジーンズがビショビショになるトラブル発生。銀行員を泣かせるのが趣味の危ない人なんでブチ切れちゃうかなと思ったが、大人しくおみやげを要求しただけで解決。あと値段も若干安くなっていたような・・・今から思えば、びしょ濡れのジーンズの写真撮っておけばよかったなあ。その筋の人集めて一商売できたかもしれない。客の大半が中学生カモっていうリスクもあるけどなー。
あっさり終わる予定だったが結局設定の深みにはまり、解決したのは午後4時過ぎ。5時過ぎまで余韻を楽しみ、6時頃まで軽く話をしてからいつもの土産物コーナーの明太子売り場へ。店員さんにすっかり覚えられていて挨拶されるのは毎度のことなのだが、今日は明太子とはまったく関係のない万博(しかも大阪万博)の話で盛り上がってしまい、他のお客さんが「あの〜すみません。いいですか」と割り込む位に盛り上がった。このまま盛り上がると数年後には一緒に居酒屋で飲んだりするのだろうか。
いつもの料理屋で飲んだり食べたり。昨日の一件目も似たような店だったが今日の方がやはり美味しい。ボトルも割れていなかったようで一安心。飲み過ぎてギリギリ・・・を少し過ぎてしまい、なぜか予約していたANAではなくJALの飛行機になってしまったが無事帰京。飛行機はもう乗ることはないだろうと思っていたDC10だったが、残念ながらよく覚えていない。もったいないなー。
23時近くまで作業。疲れたナリ。眠いナリよ。
0時過ぎまで作業。疲れたナリ。眠いナリよ。