2007年8月アーカイブ

2007年8月29日  

スポーツジム32回目

 久しぶりにジムへ。最近は週に一回ペースになってしまっている。まあ仕方ないな。行かないよりは断然いいよな。

 出張準備で出遅れてしまい、23時にジム入り。体脂肪の測定キャンペーンをやっていたようで「測りませんか」と声を掛けられたが「時間ないよー、泳がせてー」と叫んでプールへ。のんびりと風呂だけ入りに来た中年親父と見られてしまったのかもしれない。

 25分程しかなかったがまあ一生懸命泳いで終了。そういえば歩かずにずっと泳いだのは初めてだな。

2007年8月28日  

デジカメ

 A550があまりに安くて調子がいいもので、周りにも機会があれば勧めている。今までコンパクトデジカメはQV-10A → PowerShot A5 → IXY200 → A550と使ってきた。QV-10AやA5の頃はフィルムカメラとの性能差は歴然としていて、それでも「撮らないフィルムよりも撮るデジタル」って感じで、気軽に持ち歩いてフィルム代やDPE代(そのうち死語になってしまうのか・・・)を気にせず撮影できることを喜んでいた。ただ、この頃まではフィルムカメラの代わりになるほどのものではなく、「海外旅行に行くときにデジカメだけだと後でガッカリするかもよ」などとアドバイスしていた覚えがある。

 その後画素数競争になり、100万から200万画素、そして300万画素とアッという間に移り変わっていった。この頃になると2LどころかA4に印刷しても素人には十分だし、だいたい普通はLと2Lしか使わない。プリンターも急激に安くキレイになり、縁なし印刷対応になった。印画紙とプリンター用紙の区別もつかなくなった。2001年6月からIXY200(211万画素)を使い、多少気になるところはあったもののほぼ満足して使っていた。ずっとカバンの中やポケットの中で揉まれていたのでボタンの名前などは全部削り取られてしまい、ボタンの機能を覚えていないと使えない状態になってしまっていたが、必要な機能はだいたい覚えていたので問題なかった。小さなネジがいくつか外れてしまったが、分解してしまうこともなく頑張ってくれた。

 最近はさすがにくたびれてきたなと思いつつ、メインの一眼デジカメを買ったのでサブ機にはまだまだ十分と思っていた。子供用にA550を買ったときに起動や動作が速いことにビックリしたが、自分の腕(大したことはないけど)や慣れでカバー出来ると思っていた。しかし、起動時のエラーが多発するようになり、撮りたいときに撮れなかったことが何度かあった。写真を撮り逃すのは痛い。長年使っていて愛着もあったが、代替を決意した。

 替えてみて思ったのは・・・「もっと早く替えれば良かった」矛盾しているようだけど、人間の気持ちなんてまあこんなもんだろう。思い切って夏の旅行の前に交換していれば、夏の旅行の写真がもう少したくさん、そしてキレイに撮れていたのかもしれない・・・IXY200には悪いけど。

 6年前にIXY200を買ったのはたぶん正解だったろう。良いカメラだった。でも、今回はIXYの後継機ではなくA550にした。6万円のカメラを6年間使うよりも、2万円のカメラを2年使い3回買った方が良さそうだと思ったのだ。特に、手動で調整せずにオートで撮りまくる人は、カメラがまだしばらくの間進歩し続けるのは間違いないだろうから後者の買い方の方がいいと思う。

 良い物を買って長く使うのが上手なやり方だと思っていたいが、そうではないものも増えてきているようだ。コンピューターにデジカメ・・・最近はクルマやバイクもそんな感じかもしれないな。

2007年8月27日  

マイナーチェンジ

 カブがマイナーチェンジを受け、インジェクションと触媒が搭載されたらしい。簡単に言うと、インジェクションってのは今までは燃料を霧吹きのような原理でエンジンに送っていたのを電子制御にしたってことで、触媒ってのは排気ガスを少しキレイにする装置だ。どちらもクルマでは30年位前(かな?)に一般化というかついてないといけない装置になったが、二輪はごく一部の大型バイクにしか搭載されていなかった。50ccは最後の最後かなと思っていたけど、先に来たか・・・凄いな。

 フルモデルチェンジを繰り返す日本のクルマ・バイクだが、カブはすっかり完成されちゃっていて、外観はほとんど変わらずマイナーチェンジを繰り返し熟成されていく。いつまでもこのままでマイナーチェンジが続いて欲しいなと思った。90ccモデルもそのうちインジェクションになるのだろうか。

ホンダ 二輪製品ニュース

2007年8月26日  

散歩

 まだちょっと暑かったが散歩してみる。このブログの影響が大きい。家にいるとゲームばかりやりたがる第二子と第三子も強引に連れて行く。あてもなくブラブラ歩いて隣の駅近くにあるショッピングセンターへ。行き先を決めずに歩いている時は「つかれた」だの「のどかわいた」だのとうるさいが、「マック行こうか」と言ったとたんに元気になった。分かりやすい。

 ワシと第二子は100円マックシェイク、第三子はファンタグレープを飲みつつ、冷房の効いた店内を少々さまよって帰途につく。公園などをブラブラめぐりつつ、次の目的は地元駅近くのショッピングセンター。データカードダスのドラゴンボールをやりたくて仕方がないらしい。まあ、今時の若者は餌でつらないと歩かないからなあ。

 でもまあ、暑い中文句言いつつも良く歩いた。子供用の帽子を忘れたのは失敗だったな。日なたでは第三子の頭にタオルを掛けようとしたが嫌がった。「グレートサイヤマンだ」と言ったらしばらく我慢して歩いていた。物は言い様だな。

2007年8月25日  

休息日

 午前中に第一子と女房を送っていった位で、あとは家でのんびりしていた。

 福岡ではやりたいこと(食いたいもの)がたくさんありすぎて身体がついていかない。性格は直せないから身体を鍛えるしかないなー。

 夜は町内会の盆踊り。近所の子供たちと一緒に焼き鳥食って、ワシはビール飲んで残り少ない夏を楽しむ。

2007年8月24日  

福岡3日目

 2時間ちょっとしか寝ていないが不思議と元気だ。今日も同じスタバでコーヒーとパンを買う。店員さんがワシの胸にぶら下がっている太陽の塔ストラップを見て「私も持ってますよ」と話しかけてくれた。岡本太郎のファンで東京の記念館にも行ったとか。「ワシは美術館の方に行きました」などとちょっとだけ盛り上がる。ほんのわずかな時間だったが嬉しいひとときであった。店員さん可愛かったなあ・・・

 午前中は昨日設置したネットワークディスクや、設定変更をしたグループウェアの様子見。少し早めに777ちゃんパパと昼食に出て、まずはふくちゃんラーメンへ。ラー博に入っている有名店だが是非本店で食べてみたかった。ギリギリのタイミングで並ばずに着席。店長さんと思しき男性の冷静沈着な動きに感激。替玉をしないでもう一軒行くつもりだったが、あまりの美味さに一回だけ替えてしまったよ。

 クーラーを強めに効かせながらしばし走行。連れて行かれた先は「悠翔樹」。店の名前を聞いてもピンとこなかったが、平麺と細麺の二種類があると聞いて「あ、それ読んだことある」と思い出した。昔はガイドブック片手の旅行が大嫌いで、行き当たりばったりに適当な店に入るのが信条だったが、今ではブログを複数読んでチェックするのは当たり前になりつつありますな。地元の長老にいつも案内されているような安心感と、地元の長老の生活を一瞬だけ真似でき共有できる嬉しさのようなものがある。もちろん、自分の感想をしっかりと持たなくてはならない。行ったこともないのに「あそこは~」と始まったらアウトですな。

 先客が頼んだチャンポン(?)の作り方からじっと見ていたが、タレの調合から気合いが入っていてなかなかの見応えだった。とりあえず初回なので平麺の悠翔樹ラーメンにしたが、二軒目(三玉目)でやや疲れていたものの美味しさは分かった。次回は是非一軒目に来たいな。というか、昼に二軒行くっておかしいな、普通。

 午後は出張本来の目的だった機器設定や印刷設定を少々。だいたい終わっていつものようにおみやげの明太子とラーメンを買い、やや遅くなったので駅の地下街でアッサリと夕食を食べて空港へ。RWY16から離陸。しばらくどこを飛んでいるか分からなかったが、淡路島上空で現在地を確認でき、兵庫・大阪・奈良あたりの景色を眺めながらの遊覧飛行となった。つい先日自動車で走ったばかりの場所を眺めながらの飛行。また家族であちこち旅行に行きたいものだと思った。セントレア上空では離陸する飛行機の光も見えたな。

 千葉あたりでだいぶ左右に迂回させられたようで(窓から外を見ている分には面白かったが)、やや遅れて34Lに着陸。モノレールとタクシーを乗り継いで会社の駐車場に行き、久しぶりにベンちゃんに乗って帰宅。

※ 777ちゃんパパから「ブログの伏せ字が分かりづらい」とご指摘を頂いたので、今回の出張からやや方針を変更してみた。

2007年8月24日  

福岡2日目

 明け方にさっと一風呂浴び、スタバで朝食をとってから出張先へ。サーバーのFANの音がうるさいとのことで早速見てみると、妙にディスクが熱い。一通り掃除して元通りに設置しスイッチを入れてみると・・・起動しない。限界近くで動いていたところでとどめを刺してしまったようだ。去年1~2月の悪夢を思い出す。あれからわずか1年半ちょっとで再びトラブった。他の拠点の同系機でも同じようなトラブルが一度あった。そういえば業者さんから他社での複数のトラブル例も聞いた覚えがある。これは見切りをつけたほうがいいだろう。

 さっそく行動。まずは大型カメラ店に行き外付けHDDケースを購入。東京から一番遠い拠点だが、すぐ近くに大型カメラ店があるので買出しには非常に便利が良い。サーバーから抜き出したディスクを外付けHDDケースに入れてデータが全部無事なのを確認。必要なディスク容量のあたりをつけて、本社に電話。代替機器の購入と申請書の事後提出を許可してもらう。

 昼ごはんを食べてから再び大型カメラ店に行きネットワークディスクを購入。他拠点でも稼動の経験があるテラステーション(1TB)にした。共有フォルダだけならこれで十分。グループウェアはネットワーク越しに本社や大阪に見に行く設定に変更。数百MBあったメールボックスも光回線なので十数分で移動できてしまう。凄い時代だ・・・と思うのはワシのような古い世代で、今の奴らにはこれが当たり前、そのうちさらに上を要求してくるのだろう。

 夕方までにはどうにか復旧し、強気な運転のタクシーに乗って国体道路沿いのおしゃれな店の集まるビルに行き、焼肉をご馳走になる。若乃花プロデュースのお店があるビルで、以前福岡に来たときにクルマから眺め「派手な場所だなあ」と思ったことがある。まさかこのビルでご馳走になるとは・・・まあ、一生懸命やっていればたまにはいいことがありますな。

 食事の後は国体道路を少し歩いてスタバのTSUTAYA福岡天神店へ。道路を挟んで向こう側にもスタバがある。スタバコーヒーで体を冷ましながら、道路の向こうの緑の看板を見ていると妙な感じがする。和牛を食べ疲れたのと、同僚(777ちゃんのパパ)の体調がイマイチとのことでタクシーで博多駅まで行き散会。いったん休んであとでまた出るか・・・と思ったらOL(元ネットアイドル)から呼び出しがありもう一軒行くことに。

 途中、キャナルシティを見るとネオンが一文字消えている。「消えたのがCじゃなくて良かったね」とつぶやいたらなぜか大ウケ。OL(元ネットアイドル)は写真を撮り自分の携帯日記に投稿していた。

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 二回目になるバーに行くと懐かしい「失恋レストラン」の文字が入ったちょうちんが。おー、面白いとしばらく女主人と話しをするが、どうも今ひとつかみ合わない。良く見てみると・・・どこにも「失恋レストラン」なんて書いてないじゃん(笑)。頼んだとき酔っ払っていたって話しだけど、職人も酔っ払っていたのだろうか・・・

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 OL(元ネットアイドル)を近所の交差点まで送って(キャナルシティ周辺はワシの方が詳しかったりする・・・東京タワーを東京人が知らないようなものか)いった後、ふと思い立って屋台街に行ってみる。ここはワシが初めて博多ラーメンを「とても美味しい」と思った場所だ。何度目かの福岡出張で何件目かにここを通りかかってお腹いっぱいだったのに食べることになった。当時それほどラーメンは好きではなく、誘われてつきあいで・・・という感じだったが食べてみるととても美味かった。それ以前にも博多でトンコツラーメンを食べたことはあったし、横浜でも博多ラーメンの店(今では全国区の有名店になっている)で食べたこともあったが・・・いかにも「中洲」という風景と楽しい雰囲気が最高の具・調味料になっているのだろうか。

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 たしかこの辺のこんな名前の店だったなと思いつつ、橋から数件目の店に一人で入りラーメンを頼んでみる。出てきたラーメンは・・・不味くはない。どちらかというと美味しい方だろうが、酔客相手にかなり塩味が強くなっているようだ。だがこれ以上は味の良し悪しは考えないでおこう。しみじみと味わって礼を言い屋台を後にする。あの頃の自分を別角度から思い出せたようで嬉しかった。

 嬉しかったのは間違いないが・・・非常にのどが渇く。自販機でウーロン茶でも買おうかと思ったが、ふと思い立って行きつけのおでん屋「ひらの」に顔を出してみる。もともと中洲で営業していたが数年前にいろいろあって祇園に移転、最近になって夜だけまた中洲に戻ってきたようだ。やや分かりづらいビルの2階にあり、2階に上がってから数秒間迷ったが無事入店。移転後の店に一人で入ってきたので店の人は驚いたようだが、いつものように飲んで話して楽しいひと時を過ごす。

「よくわかったね」
「2階に上がってから迷ったよ」
「知ってる人しかきんしゃらんもんね」

 歩きながら一人で5次会までフラフラしていたことに気付く。ここまでやれば悔いも残らない。ホテルに戻り、風呂のあとマッサージを受け、3時半ごろようやく活動終了。

2007年8月22日  

福岡出張

 通常通り出社し、夜に福岡に移動。一ヶ月の中で二番目に忙しい日であるが、今日頑張らないと福岡で二泊出来ない。年に2、3回程度しか出張できない福岡なので、じっくりと作業したり話しをしたい。あと、福岡の夜は1泊では回りきれないのだ。

 2000件弱のデータを必死に修正・加工し、なんとかなったと安心したのが15時ちょっと前。いつもこれぐらいの集中力でやれば俺の人生もっと違う物に・・・と思いつつ空港まで送ってもらい、予約していたよりも早い便で福岡へ。ポケモンジェットの二階席だった。幼少時にパンナムなどのジャンボジェットを絵本で見ているせいか、二階席に空席があるとつい選んでしまう。今の国内線だとただの狭い空間でしかないのだが、階段を上り下りするだけで特別席気分(?)を味わえるような気がして。

 34R→16、飛行は順調。積乱雲の元気がなくなってきている。夏が終わろうとしているんだな。

 ホテルに直行し荷物を置き、キャナルシティに少し寄って変わりがないことをチェックしつつ、元同僚と待ち合わせをしてまずは「祥茶ん」へ。年に1、2回来るか来ないかなのだが、お店のお姉さんはよく覚えてくれていていつも嬉しそうに挨拶してくれる。こっちも嬉しくなってまた来たくなる。それの繰り返しだ。定番・地鶏のネギソースなどを少々。若い板さんが作ったという肉じゃがが超美味。

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 ブラブラ歩いていたらやはりおむすびを食べたくなってしまい「おむすび村」へ。ややいつもよりも静かな気がしたが曜日と時刻のせいだろうか。準備もすっかり整ったのでタクシーで長浜に移動して「元祖」へ。休業騒ぎの時、支店の看板の照明が消えている写真を見て深い衝撃を受けたが、再び照明がともっているのをこの目で確かめて一安心。

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 ラーメンはいつものように本店で食べたが・・・現地の方々のブログを読み過ぎているのだろうか、麺が変わっているような気がした。久しぶりにベタカタを頼んだせいもあるだろうが、替玉には至らなかった。でもまあ、いつもと同じように開いているのが嬉しい。年中無休のマクドナルドと一緒で、閉まっていると大きな不幸を連想してしまうのだ。

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 コンパクトデジカメを購入。6年ちょっとの間IXY200を使ってきたが、起動・終了に失敗(たぶんレンズの伸び縮みでエラーが出る)することが多く、またこの夏になってシャッターボタンの反応が極端に悪くなった。先月第一子に同じキヤノンのA550を買ったところ、購入価格は約1/3なのに動作スピードが段違いに速く、子供用に一番安いのを買ったつもりだったのに子供どころか自分にも十ニ分の性能でびっくりしてしまった。

 数年に一度の買い物なのでどうせ買うなら・・・と、どんどんグレードを上げていってしまうのが常であるが、ワシはほぼ毎日持ち歩くので安くて頑丈なタイプがいい。ワシの人生では、今はカメラそのもので所有欲を満たす時期ではなさそうだ。今はA550がベストかなと思っている。電源は単三電池だから外出先でバッテリー切れになってもすぐに入手できるだろうし、液晶画面が今どきやや小さめの2インチということはそれだけ消費電力が少なく、電池の持ちがいいだろう。ワシは通常はファインダーを覗いて撮るので、液晶画面はたまにしか使わないからこれでいいのだ。高いカメラを買うよりは安いのをもう一台買って第二子にも写真を撮らせたいしな。

 それでも、会計を待っている間にG9のカタログを店員さんに見せてもらったときはグラグラっと来たナリー。

2007年8月21日  

スポーツジム31回目

 久しぶりにジムへ。こんな頻度では元がとれませんな。8月は仕方がないか・・・

 先日ラゾーナ内にあるホームセンターで、ピアス穴用のフロス(掃除用糸)を見かけた。パッケージにはピアス穴に糸を通す女性の写真が・・・ピアス穴には汚れがたまりやすく、臭いの原因になるんだとか。

 これ見て「あらいいわねこれ」と思う人の方が多いのかな。ワシだったら「ピアスやめよう」って思うがなあ(もともとその前に体に穴あけようとは思わないが)。鍼打たれるのは大好きだが穴は嫌よー。

 今日は日産ステージアのタクシーを目撃。旧型は車高が低くて「何のためのワゴンなの?」って感じだったが、新型はわりと普通のワゴンですな。

 ステーションワゴンタクシーに初めて乗ったのは20年ぐらい前、親父と一緒に愛媛に帰省した帰りの羽田空港からだった。案内の係の人が「これ普通のタクシーと同じ値段だから」と説明してくれた。大した荷物を持っている訳でもなかったので「二人でもいいんですか」と聞いた覚えがある。

 セダンとワゴンってもちろんワゴンの方が荷物は積めるけど、タクシーでその差が発揮されるようなケースはどれぐらいあるのだろう。パソコン黄金時代には秋葉原でパソコンを買い(当時はブラウン管モニターだったから巨大な箱が2つ)、店員に大通りまで運ばせてタクシーで帰っていく人をよく見かけたけど、あれはワゴンじゃないといろいろ厳しかっただろうな。箱を捨てて中身だけ座席に載せて帰った人もいたとか。でも都合良くステーションワゴンタクシーが通りかかってくれるわけでもないしな。車椅子をたたんで積むときはワゴンの方がいいかもな。

 自分で自分用に買うなら絶対ステーションワゴンなんだけど、会社で会社用に買うと安くて無難なセダンになってしまいそうだ(ワシはタクシー会社の購買責任者ではないけど)。きっと今走っているステーションワゴンのタクシーは、なにか強い信念というかポリシーのようなものを持って走っているんだろう。

2007年8月19日  

ラゾーナ川崎

 クルマで行けて家族がそれぞれバラバラに用事をこなせるところ・・・としばらく悩んで、ラゾーナ川崎に行ってみる。ワシは大型カメラ店で引き続きレンズの物色とホームセンターをブラブラ、子供たちは夏休みの宿題用の買い物をしたり。家の近所の店でもできるんだけど、そこはまあ夏休み最終日(実質)に華やかな気分を味わいたいということで。

 店の近くでお祭りをやっているようで駐車場に入るのに難儀し、いったん列を離れ別方面からアプローチ。フードコートで遅めの昼食にしたが、「すみれ」からは遠い場所だったので皆パスタやハンバーグなど非ラーメンメニューにした。

 食事の後は三手に別れ、思い思いに時間を過ごす。最後にスタバでアイスコーヒーを買い外のベンチに腰掛けてのんびり飲みながらメンバーの合流を待つ。すぐ後ろは川崎駅のはずなのにまったくそんなことを感じさせない広々とした作りで、みんな楽しそうに買い物したり歩いたりしているのが見える。なんだかいい感じですな。

2007年8月18日  

レンズ物色

 デジタル一眼の標準ズームレンズを壊してしまったので新しい物を物色しに行く。とりあえず近所のヤマダ電機に行ってみるが、カメラメーカー製のセットでついてくるようなレンズが数本あるのみ。レンズ専門メーカーの安い物はなかった。あたりまえか・・・

 カメラ屋さんで家電やPCを売ったり、家電屋さんでカメラを売ったりとボーダーレスな世の中である。デジカメも(元)カメラメーカー製のものもあれば家電メーカーのものもあるな。カメラメーカーが家電メーカーに身売りしたなんて話しもあったし。ワシはコンパクトデジカメはPCショップで買ったことがあるけど、あとはカメラ屋さんで買ってるな。そういえば最初に買ったCasioのQV-10A以外は全部(元)カメラメーカー製のものだ。中身は家電メーカー製なのかもしれないけど、ワシとしてはやはり(元)カメラメーカー製の方が安心できる。

 家電メーカーでも老舗カメラ・レンズのブランドを使って写りの良さをアピールしているブランドもあるから、こういう考えの人はまだまだ多いんだろうな。でも年寄り向けのようなイメージになってしまいがちなので、ピンク色のボディを用意したり、若い女の子を広告に使ったりといろいろ大変そうだ。

 不定期連載、珍しいタクシーシリーズ。今日はPTクルーザーのタクシーを目撃。うむ、乗ってみたい。

 聞いた話しだけどNISMOフルエアロをつけたタクシーもいるんだとか。凄いよね。

2007年1月
2005年1月
2003年4月

2007年8月16日  

夏の旅行6日目

 背中を背もたれにつけず、ハンドルは円周部分をもたずに支柱を水平に持ち、窓を開けて軽く前傾状態にすると眠気にも邪魔されず楽しく走ることが出来る。京都あたりから静岡あたりまでずっとそうやって走ってきた。元バイク乗り限定の運転方法かもしれない。

 6時11分に横浜町田ICを出て、近所のマクドナルドで朝食セットを買ってから帰宅。無事、夏の旅行が終わった。

 せっかく早く帰ったので午前中たっぷり寝て午後は普通に休日を過ごしたいなと思っていたが、予想以上に疲れていてほとんど一日中のんびりすることになった。腰や背中の疲労が激しい。最近はバイクに乗っていないから、あの乗り方は体にきつかったのかもしれないな。

2007年8月15日  

夏の旅行5日目

 10時ちょっと前にスタート。いつものようにスーパーマーケットでジャコ天などのお土産を買い、今回は大洲から高速へ。伊予で下りて三津まで行き昼食にうどん・・・と思ったが、この辺に話題の回転寿司屋さんがあることを思い出しそちらに行ってみる。人気店らしいが15分待ち程度で入ることができた。感激するほどではなかったがフツーに美味しかった。

20070815.jpg 食後はスタバで涼む。この夏は38度や40度を超えるところが続出する位に熱い。13~15時は走らずに涼んだほういいと思ったのだ(まだ帰りたくないなという気持ちもある)。今春オープンした愛媛2号店は駐車場完備で、旅行の帰りに寄るのにちょうどいい。1号店はたどり着くのも停めるのも大変だったから助かるのである。

 しっかり涼んで出発し、どこかショッピングセンターでもう一涼み・・・と思ったところでJJさんから電話が入り、衣山でお会いすることに。若干移動して美味しいお菓子屋さんを紹介してもらいアイスクリームを食べる。美味しさとガードマンのカチッとした動きが印象的。幼少時から何回も来ている松山の町であるが、地元の友人に案内されるとやはり新鮮で楽しい。

 夕方に高速道路に上がり、18時半に津田の松原SAでセルフうどんで夕食。ぶっかけがないのが残念。美味しいけれどやはりSAの食事だな。淡路SAでは神戸空港にアプローチし着陸する飛行機の光が見えた。関空も見えるし、伊丹だって空港こそは見えないだろうけどアプローチする飛行機はきっと見えるだろう。見ている分には楽しいが・・・飛んだり捌いたりする人は大変だろうな。

 淡路海峡大橋の先は渋滞はあったが表示では11kmとそれほどでもなく、中国→名神ルートを選択。実際に走ってみると確かに渋滞はしていたが、込みながらもなかなかのスピードで流れていた。大津SAで仮眠を取ろうとするがすぐに隣に観光バスが来てしまい眠れなくなり再出発。熟睡する前に目覚めたので結果的に最良の仮眠となり、このあとは快調に走り続けることができた。

2007年8月14日  

夏の旅行4日目,海水浴

 午前中はまた街に出て買い物。昼ごはんその他を買う。ついでにポイント会員カードも作成。貯まるかな。盆と正月にけっこう買うから、少しは戻りもあるだろうな。

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 午後は海水浴。実家近くの砂浜ではなく、クルマで約30分のK浜に行ってみる。ここに来るのは2年ぶりだ。風とか汐の関係もあるんだろうが、海がきれいだった。昨日見た四万十川の海版と言ってもいい感じ。もちろん地元の関係者が一生懸命ゴミを拾ったりしてくれているんだろう。駐車場も公衆トイレもシャワーも一応ある。リゾート気分になれるのがうれしい。波消ブロックに景観がさえぎられ沖が見えないのが残念だが、そのため少々波が荒くても安心して泳げる。今日もそうだった。

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2007年8月13日  

夏の旅行3日目

 朝の砂浜を軽く散歩してから出発。路面電車の行先掲示板に「ごめん」と書いてあるのを見て子どもたちが笑っている。女房も「あれどういうこと? 回送列車ってこと??」と不思議がっていた。

 やがて雨が降り出し、豪雨になる。最初は「今日こそ吉野家で朝食」などと言っていたが、あまりの雨の激しさに「ドライブスルーがいいなあ」などと意見が変わり、そんなに都合よくドライブスルーの店が見つかるわけもなくやがて郊外に出てしまった。結果的にはこれが大正解だった。雨が小降りになったところでたどり着いた須崎の道の駅で「朝食になりそうなものあるかなあ」と降りてみたら物凄くいいにおいが・・・魚を焼いている。しかもかつおのたたきの藁焼きだった。なんと500円。かつおもネギもにんにくも超新鮮。くせがまったくなくていくらでも食べられそう。家族で2皿食べたが足りずにもう1皿食べた。

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 野菜売り場の野菜もどれも安くて新鮮。買って行きたかったが・・・日程が合わず断念。次回の楽しみが増えたということにしておいて、次の目的地四万十川へと向かう。市町村合併で「四万十町」と「四万十市」が出来ているようで、どちらも良く分からない。道路の標示も「旧中村」とか「旧窪川」などと注意書きがある。大体の事情は想像付くが・・・分かりづらいな。「川崎市川崎区」のように川崎市の中に川崎区があるのならまだ分かりやすいが、四万十町と四万十市はまったく別の地方公共団体のようだ(しかも後から調べてたら「四万十市」の中に別の「四万十町」という地名があるらしい)。もう一頑張りして両方とも合併してしまったらどうだろうか。

 沈下橋を渡ったり、歩いて途中まで行ってみたりしてきれいな川を楽しんだが、雨が降ったり止んだりしているのであまりゆっくりも出来ず出発。山を越えて愛媛に入り宇和島は素通り、宇和で山田屋まんじゅうを買ってから実家へ。15時までに着きたいと思っていたがどうにか10分遅れで収まった。

 着いて一息ついてからすぐに食材の買出しで再び街まで。夜は刺身とビールとウィスキー。

2007年8月12日  

夏の旅行2日目

 PAは高台にあるせいか、後部の扉を少し開けておくだけで適度に空気の流れも出来、なんとかエンジンとクーラーをかけずに寝ることが出来た。起きてすぐスタート。徳島で降りて吉野家で朝食を取るべく行ってみるが、タッチの差で団体客が入ってしまい席がなくなってしまった。多少怒りながら駅の方に向かってみると駅前(やや横の方)に営業しているセルフうどん店を発見。駅前にありがちな安くて早いだけの店ではなさそうな雰囲気だったので入ってみることにした。これが大正解。うどんはもちろん天ぷらや唐揚げも美味しい。米油を使ってるそうな。わざわざ行く程のことではないが、通りかかったら是非また食べたい。

 朝食後はタリーズでアイスコーヒーを買って出発。スタバは徳島にはまだ無いようだ。阿波踊りの準備で忙しい市内を通り抜けて再び高速に乗り、高知を目指す。高知ICで降りて高知駅やはりまや橋を経由しながら桂浜へ。高知はよさこい祭りで賑わっていて、トラックを改造した車(地方車というらしい)とよくすれ違った。

 駐車場入り口で若干待ったが無事入場出来て、坂本龍馬の像と久しぶりに対面。18年ぶり位か。桂浜の波の激しさは昔と一緒だった。

 土産物屋の目立つ場所に「私はシックスナインが大好きです。私の肛門にキスしてください」という意味の英文が書いてあるTシャツが飾られていた(たぶん売っているんだろうな)が、あれは何の意味があるのだろうか。

 桂浜を後にして海水浴場探し。桂浜のすぐ横を見てみたがそれほど設備も充実していなさそうで、だったら3年前に訪れた夜須のヤ・シィパークが良いねと言うことで県道を東へ。高知龍馬空港の横も通り、夏の高知で翼を休める飛行機を眺めながらの走行。なかなか気分がよろしい。

 夜須に着き、いるはずもない友人の310Dを探したがやはりいない。3年前はユメのような旅行だったなあと思い出しながら家族で海水浴。途中ブラブラと抜け出してカレーライスや飲み物やたこ焼きを買いに行ったり。居酒屋風レストランでカレーライスを頼んだら「15分待ち」と言われてしまった。これはレトルトカレーだということですな。残念。

 夕方まで泳いでから近くの温泉へ。途中でコインランドリーを見つけたので洗濯ものを仕掛けて入浴し、上がってから乾燥機に移し替えてスーパーマーケットに買い出しに。時間が遅かったので惣菜は大した物がなく、仕方なく博多ラーメンYへ。不味くはないけどよくあるチェーン店の味。替玉が100円なのは良い。洗濯物を回収しつつ夜須に戻って就寝。

 東名のICに向かったが静岡あたりで渋滞しているとの表示。更にIC入り口もトラックや乗用車があふれていて動きが遅い。これは駄目だなと思い中央道に回る。八王子ICから高速へ。

 しばらくはじわじわと流れていたがやがて順調に巡航できた。諏訪湖で仮眠。涼しくて寝やすく、女房も喜んでいる。仮眠後に再び名神を目指すが、すでに30kmクラスの渋滞の表示があちこちに出ていたのであきらめ、東海環状道→伊勢湾岸道→東名阪→名阪→西名阪と進んでいく。所々込むこともあったが、びっしりと動かなくなるほどではなかった。

 なんとか午前中に通天閣を拝む。この先神戸まではどのルートを通っても大渋滞だ。ここで焦っても疲れるだけなので尼崎のコストコとカルフールで小休止することにした。今までのコストコ巡りを思い出し、尼崎のコストコに行けば第三子も全店制覇ということが判明、ここまで来たら行くしかないと思ったのだった。仕事や趣味で全国を回っている人はいるだろうが、6歳だと珍しいんじゃないかな。ちなみに本人はまったく分かっていない様子だった。

 コストコの後は隣にあるカルフールで昼食と休憩。子供たちをゲーセンで遊ばせている間にユニクロで足りない下着を買ったりスタバでコーヒーを飲んだり。戸建てのユニクロに行くと子供たちは暇をもてあましてしまうが、こういう大型店だと家族それぞれが自分の興味があることを出来る可能性が高くなる。もの凄い猛暑の中無理して前進するよりも疲れないし、見知らぬ土地で地元気分も味わえる。

 買い物の後は地元道をのんびりと進み、宝塚から再び高速道へ。買い物休憩をしつつ高速道の大渋滞部分をうまく回避出来たようだ。途中職場で電気トラブルがありSAで30分程電話待ちをしたが無事解決して再出発。ちなみにトラぶったのは大阪で、「いざとなったら旅行中断で駆けつけるか・・・それもまた一興」と思っていたがどうやら大丈夫だったようだ。こういうときは成り行きに任せてそれを楽しむのが一番。

 今年は淡路島では泳ぐつもりはなかったが、暑くてパンツの中が沸騰しそうだったので東浦花の湯に行ってみる。こんなに気持ちよくていいのかという位の快感。露天風呂からは関空にアプローチする外国の飛行機がチラチラ見える。ずっと見える訳じゃないけどなかなか楽しい。露天風呂と中の風呂がつながっていて、お湯に入ったまま外に行けるのが珍しい。寒い時期はいいかも。

 すっかりリフレッシュしたところで念願の回転寿司でも食べてみようかと行ってみたが、どうも合わなそうな雰囲気で20分程待ったが退散。いつものジャスコに行ってパックの寿司や好みの惣菜を買い、高速道に上がってPAで宴会やって就寝。いつもと同じ淡路島の夜となった。これが一番だな。

2007年8月10日  

夏休みだが・・・

 明日は出勤日だが休暇を取った。少しでも早く帰って今晩から出発だ・・・と意気込んだがいろいろあって鍵閉め当番となってしまった。

 家に帰ってすぐに準備にかかるが、暑くてなかなかはかどらない。やがて第三子がソファーで寝てしまったが、だんだん喘息の症状が出てきて苦しそうだ。放っておけばそのうち治るだろうとも思ったが、ずっとこのままだとそのうち酸欠になって死んでしまうなとも思い、夜間診療所に行くことにする。今年の旅行は大丈夫だろうか・・・

 幸い風邪のシーズンでもないようで夜間診療所は空いていた。ゼーゼーしていた第三子だが診察の時にはすっきりと起きて「あさっておじーちゃんちにいくんです」などと先生に説明している。出発を控えるように言われちゃうかなと思ったが、逆に薬を数日分出してくれたようだ(通常は1日分程度しか出してくれない)。

 診察を待っているうちに忘れ物にも気付き、いったん家に戻りちょうど0時に再出発。

2007年8月 9日  

テープバックアップ

 2003サーバーでのテープバックアップをセッティング。今までは手作業でのバックアップだったが、曜日毎のテープを入れかえるだけで上書き保存されるようにした。以前別の拠点でやった時はエラーで中断し、その後別のトラブルでサーバーそのものがダウンしリプレイスするハメになったため、完遂出来ていなかった。今回は割とあっさり参考資料が見つかり、前回なんであんなに悩んだのだろうと思う位だった。

 コツは「データを一度手作業で保管し、それで使いたいボリュームラベルを作成する」ということのようだ。なんだかなあ・・・

2007年8月 8日  

スポーツジム30回目

 首筋痛めたり忙しかったりでだいぶ間が空いてしまった。泳ぎ方覚えてるかなと心配だったが、やっぱり忘れていた。でも久々に適当に泳いだタイムと、あれこれ工夫していた頃のタイムは大して変わらない。まあ、そんなもんだなあ。

2007年8月 7日  

ザコン

 秋葉原のLAOXザ・コンピューター館が閉店するらしい。486の時代に100万円持ってPCを買いに行ったりした(もちろん仕事で)のが懐かしい。まだDOS/Vじゃなくてエプソンの98互換機だったっけな。

 去年の10月に行ったときにあまりに当時と雰囲気が違い寂れているのにビックリし、もう長くはないだろうなと思っていた。2002年にT-ZONEミナミが無くなった時(そういえばT-ZONEミナミで一日に数百万円の買い物をしたこともあったなあ)に、もうPC中心の超大型店は駄目なんだろうなと思っていたが、ザコンまで無くなってしまうといよいよ寂しいですな。寂しいだけでまったく困らないというのがまた残念なことであるが・・・

 あの頃の大型店には、品揃えと安さ以外にも「次はこれだ」と感じるような何かがあったような気がする。今も大型店はたくさんあるけれど、倉庫の在庫を眺めているような感じで、次はこれを勉強してみようかなと言う気にはならないもんな。業界全体が成長期だったし、私自身も勉強したり成長していた頃だったというのもあるのだろうが・・・

 あの頃は「50時間かかる仕事がPCを使うと2時間で出来るかもしれない」という期待感を持って人々はザコンに集まっていたんじゃないかな。今PCを欲しがる人に理由を聞くと、たいていは「mixiやりたい」だもんな。メールは携帯で済んじゃうし。

2007年8月 7日  

書店で入場料取ったら

 書店で入場料を取るなんてどうかなと思った。100円払って入場、立ち読みし放題。買うときは奥の倉庫から新品を出してくれる・・・なんてね。本屋と図書館を足して2で割らないような感じか。

 見本をそのまま販売するんじゃなくて在庫から出してくれるところがミソ・・・だと思ったんだけど、街の本屋さんと大手ネット通販の関係がすでにそんな感じになっているような気もしますな。違うところと言えば、街の本屋さんが入場料を取れないことか・・・

2007年8月 6日  

機械遺産

 機械遺産という制度が出来て、新幹線0系やYS-11なども認定を受けたようだ。他にも興味深いものがいくつかありますな。海中投棄されたブルドーザーを引き揚げて使っていたというのもなかなか凄い話しだ。

 せっかく素晴らしい制度が出来たのだから、是非0系やYS-11は動態保存して欲しい。今ならまだ十分間に合う。蒸気機関車だって現役末期はお荷物だったが、今では静態保存していたものを復活させる位だ。0系は出来れば12~16両編成でと思うがさすがにこれは無理かな。6両でいいから、オリジナルの塗装・210km/hで走れる状態で残して欲しい。YSも2年に1回でいいから飛んで欲しい。

 コストコ川崎店へ盆の土産物探しに行ってみる。建物もカートもみな新品で気持ちがいい。駐車場やエスカレーターの周りにいる案内役の店員さんもみな日本人で、良く行く金沢シーサイド店とはやや違う印象。今回の川崎店での買い物で一応コストコ全店制覇は継続中となったが、次のオープン予定は入間と札幌らしい。入間はともかく札幌は厳しいなあ・・・最近はコストコよりも、コストコかIKEAのカバンを持ってOKストアに行く方がイケてるような気がして。

 せっかく川崎まで来たのでラゾーナに行き味噌ラーメンSを食べる。フードコートなのに900円。美味しいけれど厳しい。食後は二手に分かれ、野郎どもは大型カメラ店をブラブラする。カメラ店なのに自転車売り場が充実しているのにビックリ。カメラ・ゲーム・パソコン・家電・・・次はスポーツ用品なのか。

 帰りに関西系のホームセンターに寄って子供用のプールや浮き輪、あとバラのネジをいくつか購入。バラのネジを買うのはとても楽しい。

 夜は地元の祭りを見て、ビールを飲んだり子供にラムネを飲ませたり。平和な日曜日の夜。

2007年8月 4日  

改善

 大型手芸店で部材の買い出し。飛行機にスムーズに乗れるよう工夫してみたくなったのだ。文句ばかり言っていてもストレスがたまるだけだから、自分の手で改善するのだ。仮組みはあっさりと完了。あとは仕上げだな。

 昼は大型手芸店の横にあったHうどん。何件か入ったことがあるがここが一番しっかり運営されている感じだ。「四国のうどん屋はどこがいい?」などと話しながら食べる。あ、一応ここも四国のうどん屋だったっけ。

 夜は久しぶりに家族全員で近所の博多ラーメンkwへ。替玉に時間がかかるのが難点だが家族で行けばいっぺんに2つ(更にそれを2セット)頼めるので多少はフォローされる。でも子供が一緒だと粉落としを食べにくいのが難点。「これ粉落としだから良く噛んで食べろよ」って第三子に言ったら、横の客が吹き出したことがあったっけ。

2007年8月 3日  

レクサスエースその2

 以前レクサスエース(ハイエースにレクサスのエンブレムをつけたもの)の話しを書いたが、その後3台ほど見かけた。3台ともトランポが集まる海岸とかモトクロス場ではなく道路上での目撃だ。そういう場所に行ったらもっとたくさんいることだろう。3台ともシルバーだったな。ホイールなどをドレスアップしていたせいもあるんだろうけど、みな格好良く見えた(自分が乗りたいかどうかは別にして)。一緒にいた同僚(男性・クルマにはあまり興味なし)も「あれ何ですか」って聞いてきた位に存在感があった。

 デリボーイやクイックデリバリーにベンツのエンブレムをつけるのはいまいちアレだったが、トヨタ車にレクサスのエンブレムをつけるのはトヨタ自身がやっていることだからなあ・・・レクサスが一般化してくると今度は逆にトヨタエンブレムをつけて意表をつくなんて技も出てくるかもしれないな。

 レクサスエンブレムをつけたハイエースが格好良く見える(単純な格好良さとはちょっと違う気もするけれど・・・)ってことは、レクサスのイメージ作りは成功して徐々に浸透してきているということなのだろう(最初の目論見とはだいぶずれてきているようだが)。日本ではSUVはレクサス印では出さない予定だったらしいが、最近は方針を変更してランクルとかハリアーを売り出すことにしたらしい。できればアルファードもやりたいんじゃないかな。でも全部やっちゃうとそれこそ最近のベンツみたいになってしまいそうだ。

レクサスエース

2007年8月 2日  

ontime

 夕張EDの結果や経過をあちこちのサイトで見たり、現地にいた人から直接話を聞いたりした。天候のせいだけじゃなくタイムがきつかったこともあってかなり混乱したようだ。

 私がISDEを知ったのが1980年代の中ごろだった。その後間もなくしてISDEを範にしたレースを日本でも開催したと知り、いつか出たいなと思った。それが第一回のITDE(後のHTDE)だった。1989年に初めて出場し、その興奮からKTMに乗りたいとますます思い始め、当時の輸入元が開いていたショップをちょくちょく訪れるようになった。1989年型の中古車を買ったのは1990年の春だったと思う。その頃から「オンタイム」という言葉はそのショップの中ではたまに聞いていた。ヨーイドンで朝から晩まで8時間のサバイバルレース、過酷過ぎるコースと完走率の低さを競い合うような設定についてたびたび語られていた。当時ISDEを走った日本人は一人だけで、そのショップはその人が経営していた。その人自身からは「ISDEはもっと複雑なルールだけど、日本じゃ無理」というような話しを聞いた覚えしかないが、マネージャー(店長)のNさんやセールスメカニックのYさん(二人ともISDEのサポートや撮影の経験があり、またYさんはITDEやHTDEでの入賞経験を多数持つライダーだった)からは何度かオンタイムの話しを聞いた。ただ、「そうなると競技性をどう高めていくかが問題だ」という話しだった。

 1990年だったか1991年だったかのHTDEを走っていたとき、森を抜け出て見晴らしのいい風景に出てきたら係員から停止を求められ「稲に泥かけないように走って」と言われた。そこから先はしばらく田んぼの横を通るルートだった。で、「はい」と返事しそれなりに徐行していたら後続のライダーにぶち抜かれたことがある。もしこれがオンタイム制のレースだったらここの区間はテストではなく移動区間となるだろうな・・・タイムは余裕たっぷりにして30km/h制限でもかければいいのかな、と後で思った。公道上を走ったり横切ったりするときも同じだろう。スピードガンで全車の速度を測り、10km/h以上オーバーは失格にするなんてルールも、バイクに理解の無い人を巻き込んでイベントを成立させるには必要なのかもしれない(個人的には嫌だけど)。

 朝から晩まで全部がクロスカントリーテストのような当時の状況ではいろんな場面で不公平になったり危険だったりする。私は残念ながらオンタイム制のレースは走ったことがないが、自分なりの経験からこの程度の想像はしていた。オンタイム制の本質からは少々離れるのかもしれないけれど。

 HTDEがオンタイム制に移行したのは1993年からだったと思う。前年までのサバイバルレース形式が懐かしくて減点覚悟(無視)で全部を全開で走った人もいたという。パソコン通信でも「去年までは最高だった」なんて意見を見たりしたな。今回も混乱はしたようだが、あれからもう14年も経っている。運営側にもライダー側にも周囲にも詳しい人がたくさんいて、バランスが取れた上での混乱なんだろうな。だからきっと来年はより良い方向でレースが開催されるだろう。

2007年8月 1日  

疲れてる・・・

 久しぶりに会社に顔を出す。おう、久しぶり~と言われてご無沙汰してます、と返したり。

 セルのメガネ掛けて急に方言を丸出しにして話し出した女の子は、きっとアンジェラ・アキのファンにちがいない。どうでもいいな。

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