【ダートライディング】のブログ記事

2008年9月20日  

FIESTA MEXICANA

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 台風の影響で今日予定されていた第三子の運動会が延期に、友人のライブも中止になった(ちなみに昨日予定されていた第一子の体育大会も中止)。そこで明日行ければいいなと思っていたお台場へGo。ちなみにこのイベントのことはTwitterで知った。やっててよかった(笑)。

 以前はこの手のイベントには興味がなかったのだが、最近はお手軽に海外旅行の数百分の一の雰囲気が楽しめるチャンスだと感じるようになってきた。屋台で現地の美味しそうなもの食べて、うまく行けば「本場でホンモノを食いたい」って思うかもしれない、と。料理屋に入るのは覚悟がいるが、屋台なら料理を目の前で選べるし外してもダメージが少なくて済む。

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 このイベントを知るきっかけとなり、また一番訪れたかったFREERIDE magazineのコーナー。ホンダワークスの'07CRF450X BAJAも凄かったが、ワシは自分よりも年上のCL72にしびれましたな。そういえば20年以上KTMだ左キックだとこだわってきたけど、その前はホンダ好きだったんだよなあ。今でもファーストバイクのゴリラはしまってあるし、XL250Rにパリダカタンクつけて通勤していたこともあったな。

 なお、タイラップ止めのミラーの理由を聞いて更にしびれた(笑)。

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 もちろんタコスも食べる。いろんなお店のを食べてみたが、自分でたっぷりとサルサソースをかけられるこの店のが一番美味しかった。子供たちは肉がたっぷり入ったのが好みらしい。十人十色ですな。

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 名前は忘れたがこの豆入り・レタスのせスープも美味かった。帰りにもう一杯食べた。

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 そしてコロナ+ライム。ワシは運転手なので自粛した。来年は電車で来るかな。

 コカコーラのブースにさんぴん茶があったので買おうとしたら「まだ冷えてないんです」と言われたので「じゃあまた後で」と言った。広場に座って音楽を聴いていると、遠くで34Rを離陸した747が旋回しながら上昇しているのが見える。なかなか楽しい。台風が通り過ぎた夕方、光がいつもよりもきれいに感じる。このままもう少し明るいままでいて欲しいなと思いながら夕方を楽しむ。1時間ぐらいしてまたコカコーラのブースを通りかかったので「さんぴん茶冷えた?」と聞いたら覚えていてくれたようだった。「はいはい、冷えてます。ありがとうございます」とお店のお兄さん。なかなか幸せな一時でしたな。

2008年9月18日  

ウッズの気分

 ミゼット2はコックピット(あえてこう呼ぶ)が異常に狭く、適当にステアリングを回していると肘がガラス窓にガツンガツンぶつかる。なので肘を絞り気味にしてクルクルッと回し、クルクルッと戻すようにしている。

 先日の朝、雨が降っていて駅前の道は渋滞していた。普通のクルマだったら素直に渋滞にハマッて待たなければならないが、ミゼット2なので前のクルマがあと30cm動いてくれれば右の裏道に抜けられる、という状況。窓はやや曇り、いつもよりも情報量が減っている中で細心の注意を払いつつ、じわじわと間合いを取る。「イケる」と思った瞬間に素早く周囲を確認し、肘を絞ってクルクルッと右にステアリングを回す。路面もタイヤも車重もプアなのでステアリングを切っているうちはアクセルを踏み込まず、建物と他のクルマにぶつからないようチェックしながら向きが変わるのを待つ。前が開けた瞬間に左に戻し、タイヤが正面を向いたところでグッとアクセルオン。わずかなストレートを加速するがすぐにブレーキング。今度は狭い左90度カーブである。直進状態で減速を完了し、さっきと同じように肘を絞りながら左・右とステアリングを操作。再びトラクションをかけて前進。雨の中、クルマが前に進む感触が嬉しい。

 どこか懐かしい感じがして記憶を辿ってみる。どうやらエンデューロバイクで森の中を走っていた時の感触に近いようだ。

2008年8月25日  

KTM 2009

 KTMの2009年モデルをじっくり見たのだが、相変わらず毎年良くなってますな。ただシート高がかなり上がってしまったような感じで、激しいコースでは苦戦が予想される。リバルビングが必須になるのだろうか。

2008年8月 5日  

バイクで村おこし

 学生時代は都市とか地域のことをいろいろ調べるなんてことをやっていた。町づくり・村おこしなんてこともよく言われていた時代で、ちょうど「ふるさと創生金」1億円が配られた頃でしたな。郷里に向かう軽トラックの中でラジオの深夜放送を聞いていたら、淡路島津名町の町長さんが出ていた。この町は1億円で金塊を買ったようで、リスナーからこの金の使い途を募集して面白いアイディアには「牛肉○kg」とか「花100本」などと大量の名産品を賞品として気前よく配っていた。これは町の知名度を上げるいいアイディアだと思ったな。

(wikipediaのふるさと創生事業の欄に1億円の主な使われ方が載っている。面白いんで是非ご一読を。)

 ちょうどその頃にオフロードバイクに熱中し始め、北海道で行われる当時「オープンエリアエンデューロ」と呼ばれていたレースへの出場を目指していた。当時の北海道は村おこしエンデューロが非常に多かった。中断したり中止になったりして、今も行われているのは二つぐらいだろうか。オープンエリアエンデューロは、舗装路やダートなどの公道とイベント時だけ特別に走行できる山野や川などを使うので、レース期間外に人が集まるという期待はあまりできない。逆にレース期間外に人が集まってしまい、勝手な走行が繰り返されて問題になりイベントが開催できなくなったという例もあると聞く。

 雑誌で読んだり人の話しを聞くだけではなく、自分でも北海道のイベントに3回参加した。イベント自体は深く心に残り、いつか機会があればまたあの土地を訪れたいと思うし、オフロードのレースを本格的にやる人がいれば「あそこは良いよ~」と言っているつもりだ。私が参加出来なくなった後も数年間開催されていたし、一時消滅したが最近はまた復活した。ファンとしては村おこしは成功したのだと信じたい。

 ただ、現実にイベント参加者が地元に落とす金はエントリーフィーの他はレース中に使うガソリン代と2、3日分の宿泊費・飲食費程度でしかなく、レース開催中以外はその土地に行ってもあまりすることがないのでまず行かない。地元の経済に及ぶ影響は微々たるものではなかっただろうかと思っている。今になって思えば、エンデューロレースそのものを第一目標にし、村おこしに重きをおかなかったイベントだけが今も残り、結果として村おこしになっているのかもしれない(でも、年に一度のイベントだけで村の財政が好転するなんてことはないだろうな)。

 三宅島のイベントも当初は期待していたが、その後のゴタゴタを見ているうちにどんどん興味がなくなってしまった。オフィシャルサイトには実績の数字がまったく掲載されていない(か、ワシが見つけられないぐらい分かりにくいところにある?)が、調べたところ一般参加のオートバイはたった33台だったらしい(全体でも100台以下だったようだ)。島を訪れた人は約900人だったというが、バイクイベントとして約3億円の予算を使い参加100台程度、参加者と島外からの見物客よりスタッフの数が多いようでは失敗としか言えないであろう。将来への種まきと言いたい人もいるだろうけど、それには疑問が一つある。島への足の問題である。

 三宅島行きの船は「かめりあ丸」か「さるびあ丸」だな。ワシは神津島に5年連続で遊びに行ったことがあって、かめりあ丸は何回か乗った。さるびあ丸は今の型には乗ったことはないが先代には何度も乗った。伊豆七島行きの船は港湾設備の関係でフェリー(車やバイクが自走で乗り降りできる)ではなく貨客船(クレーンで上げ下げする)である。飛行機もDHC-8シリーズだからバイクは積めない。イベント時は車両はチャーター船で運んだようだ。本気でバイクの島にしたかったらこの辺をまず整備し、イベント以外でもたくさんのライダーが常時ツーリングに訪れる島にしないと。車での行き来が便利になれば釣り客やダイバーなんかも増えるかもな。それかレンタルバイク屋さんを充実させて飛行機との組み合わせのツアーを売り込むとか。でもこのイベントは今年は空港を閉鎖し定期便を運休させてドラッグレースをやるそうだ。

 大量の資金(税金なんだろうけど)を投入して芸能人や招待ライダー、それにサクラのライダーを呼べばイベントは華やかになるだろうが、本当にそれが村のためになるかどうかは一般参加のライダーたちがリピーターになるかどうか、イベント以外でも訪れたくなるかどうかにかかっているはずだ。フェリーかレンタバイクのどっちかは必要じゃないかな。

 まあ、バイクじゃなくても自転車でもよかったんじゃないかとか、燃費レースとかソーラーカーレースの方が良かったんじゃないかとか、お台場のプレイベントの方が豪華だったんじゃないかとか・・・思うことはいろいろあるんだけどな。

 昨夜は与野から首都高に上がった。通行止めが一箇所あって、しかも表示が合流・分流の激しい所でチラッと出ただけだったので焦ったが、無事ラインを変えることが出来て家まで戻ることが出来た。午後はリタイヤしていたとはいうものの、この二日間で4時間ちょっとしか寝ていない。眠気と闘いながらの運転。最初は気張ってキビキビと運転していたが、最後はマッタリと流しながらの移動となった。当初、深夜に出勤して職場のサーバー類の保守をする予定もあったが、金曜日のうちに別の方法で回避しておいた。面倒だったがやっておいて正解だった。

 家の前に到着。「なんとか無事に着いた」と思ってバックし始め、駐車場に半分入れたところでまさかのエンスト。慣れない車に疲れた身体、エンジンを切る前に「着いた」と思ってしまった油断のせいである。この車はバッテリーが弱っていることをすぐに思い出し、ヘッドライトを消してセルを回した・・・が、エンジンはかからなかった。駐車場は狭い上に微妙に上り坂になっていて、一人で押しながらハンドル操作をしてブレーキを掛けるのは不可能に近い。一応試してみたがやはり無理で、何度か試すうちに逆に前に出てしまい、隣の塀にぶつかりそうになってかなり焦った。

 駐車場に入れるのをあきらめ、自宅前の安全な場所まで押していって駐車。ワシのレース経験で倒れたり押したりが無いのは初めてだと喜んでいたが、ちゃんと最後に押しが入った。紙に「故障中」と書いてダッシュボードに置き、布がわりの赤いビニール袋を窓から垂らした。エンストから20分が経っていた。あと5秒気を張っていればこんなことにはならなかったなと反省しながらシャワーを浴びて寝た。

 朝。数時間の休憩でバッテリーは回復していて、なんとかエンジンがかかった。すかさず町内を一周して充電(になるのかどうか分からないが・・・)。荷物を下ろして用具の掃除と洗車。借りた軽トラックも洗車してすっきり。LC4も泥を落としてチェーンに注油。次回のライディングに備える。

 洗車・掃除中は海水パンツに着替えて行った。大変気持ちがよく、途中バス系ラーメンに味噌ラーメンを食べに行くときも子供をお祭りに連れて行くときも海パンのままで行った。ラーメン屋では女房がミスってコップの水が半分ほどワシにかかったが、海パンなのでかえって気持ちがよかった。夕方までそのままでいたが、買い物に行くときに怒られて着替えさせられてしまった。

 お祭りって普段見かけない人がたくさんいるけど、あの人たち普段はどこでなにやってるんだろう。

2008年8月 2日  

12時間エンデューロ

 ウエストポイントの夏祭り12時間エンデューロに仲間と出場。このレースに出るのは6回目になる(去年は出なかった)。オフロードを走るのはなんと1年10ヶ月ぶり。久しぶりに会った仲間から「忙しそうじゃん」と言われる。忙しくはないけど普段の生活に手一杯で、趣味に打ち込む余裕がないのだ。今回も仕事のスケジュールや他の様々な用事や金銭的な問題などがあってかなり悩んだが、友人の協力もありなんとか前日までに準備が出来たので行ってみることにした。考えているときはあれこれ悩むが、最後はやるかやめるかのどっちかだ。

 借りた軽トラックにLC4を積んでレース会場へと向かう。昔ハイゼットに乗っていた頃を思い出して嬉しい気分になる。出発は予定よりも遅れて3時半になってしまったが、なんとか集合時刻の5時に間にあった。

 朝の車検場でワシの後ろにFREERIDE Magazineの三上編集長がいらしたので挨拶。以前モンド・モト(エンデューロプロショップ・・・特にKTMなら首都圏ではここしか考えられない)でお会いしたことがある。ワシのLC4を見て「凄いの持ってきましたね」と言われ「ワシいつもこれなんです」とお返事。「某所の○○さんって・・・ですか?」とお互い実は雑談仲間(?)だったことを確認しあったりする。来て良かったと思いましたな。

 2年近くもダートを走っていなかった(ひょっとしたらバイクそのものもずっと乗っていなかったかもしれない)が、身体はなんとか覚えていてくれたようでまあまあ普通に走れる(遅いけど)。このレースの目的は頭を取ることよりも怪我しないで12時間頑張って花火を見ることだから、これでいいのだ。ガソリン高と生活苦と環境対策が叫ばれる世の中でオフロードバイクに乗ることの意味を忘れかけていたが、オフロードビークルに乗る技術は人間が受け継いでいくべき技術である、と改めて思った。舗装道路しか走れないようでは人間は駄目だ。温暖化や燃料問題は技術で克服すればいい。今のバイクメーカーにその気があるのかどうかは知らないが。

 朝の1回目のライディングはそんな調子でほぼ順調に終わった。ライダーチェンジの時に「タッチしないと」と意識しすぎて立ちゴケしそうになったが・・・少し休んだ後はチームメイトや顔見知りに水をかけたりしてレースを楽しむ。

 途中他チームのXR100のオジサンが脱水症状を起こして熱中症寸前になっているのを助けた。チームメイトらしき人も駆けつけてきたけど、バイクの心配ばかりしていて水を飲ませたり体温を下げたりというのはすべてワシら他人がやっていた・・・ちょっと可哀想だったな。人目につく場所だからよかったが、もしコースの奥の方だったら危ないことになっていたかもしれない。過去には意識が朦朧としたまま水を求めて草むらに這っていき行方不明となり、そこで息絶えてしまったなんていう事故もあった覚えがある(別の河原で行われたレースだが)。ワシらも参加2回目の時にチーム員が熱中症になった経験があり、その時は救急車を呼ぶ寸前までいった。ついさっきまで元気だった人間が坂道を転がっていくボールのようにどんどん向こう側に行ってしまうのは恐ろしいものだ。早めに手を打てば笑い話で済むが、油断すると二度と帰って来ることができない向こう側に行ってしまう。

 2回目のライディングも順調。一度エンストしてしまったがすぐに復帰。1回目よりリズム良く走れたような気がする。しかしその頃から体調の異変に気が付いた。もの凄く小便がしたいのだが数滴しか出ない。10分もするとまた行きたくなるが、そんなにすぐに出るわけもなくやはり真黄色なのが数滴だけ出てくる。これは辛い。以前日常生活で似たような経験(ここまでひどくなかったが)があり、トイレに行きたくならないようにと水を控えるようにしていたら医者から「身体がおしっこをしたがっているんだから、もっと沢山水を飲みなさい」と言われ改善したことがある。それを思い出して水やスポーツドリンクを多めに飲んでみるが、やはり数滴しか出てこない。「透明のおしっこを1リットルぐらいジョーッと出したい」と願いながら水分補給を続ける。

 小便以外は回復してきたので食事をする。美味しいカレーライスを食べてやや調子が戻ったような気がした。「ひょっとして塩分不足か」と思い「味付けとは別のことで、塩かけさせてください」と断って小さじ1杯半ほどの塩をかけて食べてみたら、身体に何かが染み込んでいくのが分かった。しばらくしたら透明の小便がたくさん出た。もの凄い気持ちよさ。スポーツドリンクの他に梅干しも多めに持って食べたりしていたのだが、足りなかったようだ。良い経験になった。

 それからはリタイヤさせてもらってマッタリと過ごす。なんとか走れそうなところまでは回復していたが後のことや帰りの事を考えるとやめておいた方がいいと思った。今回のチーム構成は最低限の人数なので、全員が家までトランポを運転する。万一運転出来なくなると大変な迷惑がかかる。後のことを考えずに全力を尽くすのも格好いいんだろうけど、今はそこまでしなくてもいいだろう。

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 少し涼しくなってきたピットで、ふと横を見るとLC4が静かに立っている。夜に見た花火もすばらしかったが、ワシはこの風景を見ることが出来たのがいちばん嬉しかった。

2008年2月 9日  

急に雪道

 土曜出勤。早めに帰るつもりがだんだんノッてきてしまい、気が付いたらけっこう遅い時間になっていた。職場は小雨程度だったが家の方では雪が降っているという情報もあった。

 いつものように高速道路を走ったがまったく雪の兆候はなく、家の最寄のバイパス出口まであっという間だった。下りながら分流し、直後に下りながらの180度ターンがあるというなかなかアグレッシブな出口である。左にウインカーを出して減速を始め、本線に別れを告げてそろそろアウトコースギリギリ・・・というところで急に積雪を発見。道の真ん中は何もないが路肩はかなり積もっている。とっさにややブレーキを強めて、アウトコースギリギリにならないよう修正してから左ターン。さっきまで本線の横には何もなかったので油断していた。危ないところだった。

 そういえばこのバイパスは走っているとコロコロ天気が変わることがある。クルマ通勤になってからはワイパーをオンにするだけだからあまり気にしなくなったが、バイク通勤時代はカッパを着るべきか否か、また他のルートを使えば雨を回避できるんじゃないかなどと考えながら走っていた。

 最寄り駅の近くまでくると積雪はいよいよ多くなり、坂道は思いっきり徐行しないといけないほどだった。1分前の道が大丈夫だからと言って今の道も大丈夫とは限らない。路面状況は刻々と、また場所によっても激しく変化する。最近は舗装道路の上ばかり走るのでそんな注意をする機会も減っているが、実は舗装とタイヤのグリップと良好な天候に助けられているだけですな。自然が一つ牙をむけば状況はエンデューロと全く同じだ。クラッシュしたときの自他のダメージや、レースと違い一方通行ではないことなどを考えると、街中の方が条件が厳しいと言えるだろうな。

2008年1月 8日  

ベストポリス賞

 日本で行われた初の本格的エンデューロレース「ITDE」(今はHTDEとなって受け継がれている)には「ベストポリス賞」(警察官ライダー)という賞があったらしい。他にも「ベストプレス賞」(新聞、雑誌社)とか「ベストフォーリナー賞」(日本国籍外)など、今のレースではあまり聞かれないような賞があったようだ(参考資料:ライダースクラブ1985-2 エイ(木へんに世)出版社)。

 この記事を読んだ当時、「面白い賞があるなあ」とか、「だったら『ベスト自衛官』とか『ベスト郵便局員』(中頓別のKさん、お元気だろうか)なんかも作ればいいじゃん」程度にしか思わなかったけど、今のこのご時世で思い返してみるといろいろと気付くことがある。

 当時はまだ浪人中だったり大学生だったりの頃で、まだバイクに乗り始めたばかりの、自分さえ楽しければよいと思っていた頃だった。まだまだバイクの人気が高かった時代だった。「レースなんだから速い奴が偉い」「職業が何だろうが順位はタイムで決めるのが一番公平」と考えるのが普通だろう。基本的には今でもそれは変わらないけど、「ベストポリス賞」や「ベストプレス賞」には、そういうタイムだけの世界とは別に、余裕とでもいうのだろうか、これからのオフロードシーンを盛り上げていくための遊び心のようなものがこめられていたように思うのだ。

 「ベストポリス賞」を受ける人はおそらく白バイ隊員である可能性が高いだろう。「○○部門で1位になった」という話しはどんなに些細なものでも後世まで残る。やがて白バイ隊員のトレーニングにエンデューロが取り入れられるようになったりするかもしれない。

 消防署にはトライアルバイクが配置され、他にもセローやTWなどが配置されている役所があるらしい。災害対策として素晴らしいことだと思うが、どこで練習しているのかと心配になる。広場に障害物を置いて乗り越えてみる・・・ぐらいしか出来ないのではないだろうか。

 関西の有名オフロードコースが閉鎖の危機に陥っているらしい。電車の駅の近くの場所で「自然破壊」が行われていることに憤りを感じている人がいるという噂を聞いたが、オフロードコースは自然破壊ではなく「自然と人間を守るためにある」とは言えないだろうか。世の中の人間すべてがオフロードライディングを知らなくなってしまうと、地球上すべてを舗装しなくてはならない。

 白バイ隊員と消防隊員と自衛隊員のオフロード競技会なんてどうだろう。速い遅いではなくオンタイム制にし、バイク(白バイ隊員はVF800P、消防隊員はTLR200、自衛隊員はKLXかな?)に合わせてタイムを設定する。メーカーの契約ライダーや一般の参加者も一緒に走ってもいいかもしれない。各都道府県から代表が出てきて、市町村長さんや議員さんが「わが○○市(町・村)のコースで腕を磨き、災害対策や日々の業務や交通安全に力を発揮してください」なんて挨拶するかもしれない。全国から集まった消防隊員や白バイ隊員、またその上司の署長さん達(ここ重要)と挨拶して名刺交換なんかもできるわけで。高校球児が「甲子園が目標ッス」と言うように、消防隊員が「○○○××大会での優勝が目標です」なんて言ったら効くだろうな。

 「そんなことできっこない」という意見がきっと出るだろう。実は私もそう思う。でも、これは親善野球大会とかサッカー大会ではなく、災害対策訓練の一環である。役所にすでに配備されている車両の運用技術の向上に役立つことである。これを否定するなら、そもそもそういう車両を配備する(税金を使う)のが間違っているということにならないだろうか。ヘリコプターを買ったらパイロットを養成しなくてはならないのと同様、オフロードビークルは日々訓練しないと上手く乗りこなせないのだ。なんとか乗る位なら年1回位でいいけど、仕事で他人を助けるために乗るなら最低でも月2回、出来れば週1回は乗らないと。

 そして本当にこんな大会(運動会でもいい)が年に一回でも実現できれば、オフロードライディングは「自然破壊ごっこ」ではないことが分かってもらえるのではないだろうか。人間に必要なものとして、文化として根付くきっかけになるのではないだろうか。

           
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