【クルマ・バイク】のブログ記事

2009年8月20日  

民間委託

 駐車違反の取締りが民間に委託され、緑の服を着たおじさんもすっかり町の風景として定着したような気がする。で、ふと思ったわけであるが、駐車違反の取り締まりが民間委託出来るなら、ひょっとして速度違反の取り締まりも同様に民間委託できてしまうのだろうか。

 訓練を受けた警察官じゃないと追尾は危険とか、警察官以外がレーダーを使って取り締まることの是非とかを思い浮かべる人もいるだろうが、グーグルのストリートビュー撮影車のようなビデオカメラ装備の車を制限速度で走らせ、追いついたり追い越した車は速度違反で後日呼び出し・・・なんて感じで「新型移動オービス」みたいなのが出てきてしまう可能性はあるのかな。2車線以上の道を普通に走ればいいだけだから特別な技能や訓練は不要だろうし、道路の流れの速さを確実に押さえる効果があるだろう。現状の「気付かない奴だけ捕まる」ネズミ捕り式よりフェアだし、速度超過が原因の事故は減るだろうな。

 ・・・と、首都高速を走っている時に思ったのだった。たまたま数台先にパトカーがいて、いつも制限速度+30km/h程で流れる道路がヌルヌルとコンボイ走行になっていた。当然のようにイライラするわけであるが、慣れて(あきらめて)くると楽だし、安全でいいなとすら思う。最近はスピード出さないしな・・・ワシも制限速度よりやや下で走ることが多くなってきた。

 速度制限が見直されて高速道路が今より+20km/h、一般道が+10km/hぐらいになるんだったら賛成する人も多いんじゃないかな。今のままで導入したら絶対に大混乱するわけで、速度制限を見直すきっかけになるかもしれないな。あと、モータースポーツを楽しむためのサーキットやコースを十分用意し、交通とスポーツをきちんと切り離してスポーツを保護した上でやるといいだろうな。

2009年8月15日  

夏の帰省6日目

20090815a.jpg たこフェリーで本州再上陸。どうせ高速は大渋滞、せっかくなのでこのまま関西の下道を流してみる。

 王将で餃子でもと思って何件か探してみたが残念ながら閉店の時刻。そのうち子供たちも寝てしまったのできちんとした夕食をとることは諦め、西宮で名神に上がったのが0時1分。

  東名は地震の復旧工事が続いていて、まだ通行止め区間がある。中央道に行くべきか、それとも東名で行くか・・・

 結局、通行止め区間は早朝に通過出来そうなタイミングだったので東名で行くことにした。中央道も嫌いではないのだが、降りてから家まで下手すると半日かかってしまう。

20090815b.jpg 5時過ぎに通行止め区間一つ手前の磐田ICで降り、一般道を進む。最初は順調だったがやがて混雑してきて、早朝なのに大渋滞になってしまった。カーナビもなく、数年前にSAでもらった地図を頼りに迂回路を探す。やがて地元の観光バスが空車ですっ飛んでいるのに遭遇。付いていったら絶妙な裏道で、ほぼ渋滞無しに焼津ICまでたどり着いた。1時間40分程の乗り継ぎで済んだ。まともに国道1号を進んでいたら倍以上かかりそうな雰囲気だった。

 学生時代にオートバイで一気走りをしていた頃に見た覚えのある風景がいくつかあった。どうってことのない風景だけど覚えているもんだな。

 あとは順調。9時40分に自宅に到着。今回の走行距離は1972km。まあ、いつも通りですな。

2009年8月11日  

夏の帰省2日目-2

20090811b.jpg せっかくだから尾道ラーメン食べてみようかと行ってみる。最初にチェックした朱華園は20人ほどの行列。港の方まで軽く流して街の様子を見て2軒ほどアタリをつけ、せっかく来たからと朱華園に並んでみる。

 まあ、たまには並ぶのも悪くはないな。子供たちも黙って待っている。成長を感じる。

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 瀬戸内海だから塩ラーメンを連想しがちであるが、鶏ガラの醤油ラーメンである。平麺がビロビロっとしていて、食べていて心地よい感じですな。店員さんの応対が非常に丁寧で、旅のモン(しかも子連れ)でも安心して食べられる。

 残念なのは、ワシが座った席は天井のクーラーから結露した水がたまにポタポタと落ちて来ることだった。身体にかかる分には冷たくて気持ちがいいのだが、もしラーメンに入ったら台無しになってしまう。まあ、あれだけ暑いと仕方ないかもしれないが・・・

 水を汲みに立ったら、女性一人客がラーメンの写真を撮っている姿を発見。撮影シーンはわりとよく見るようになったが、女性一人では初めて見たような。

20090811d.jpg 食後はわずかな時間だが街を流してみる。映画『転校生』を観てからもう25年以上経つのか・・・

 尾道は何度か通ったけど、ゆっくり市街地を流したのは初めてだ。


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 陸橋。説明不要ですな。

 原作『おれがあいつであいつがおれで』も本屋を何軒も回って探して読んだなあ。あとがきに書かれていたエピソードが良かった。

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 しまなみ海道を走って大三島に行き、大山祇神社に参拝。この辺はいつもの行動。

 夕方は「マーレ・グラッシア大三島」に行ってみた。カタカタで書くよりも「塩風呂」って言った方がいいんじゃないかと思うが・・・実際、看板も「マーレ・・・」と「塩風呂」の二種類があって、どっちかがホンモノでどっちかがニセモノなんじゃないかと思ったりもした。

 行ってみると・・・素晴らしい。塩風呂は気持ちいいし、露天風呂は眺めが最高。しかも安い。ウォーキングコースなんかもあって試してみたが、水着がない分プールとは違う開放感がある。裸で布団に潜り込んだときの開放感と似ているな。

 隣は「伯方の塩」の工場だ。温泉の隣が工場だとアレって思うが、塩風呂の隣が伯方の塩の工場ってのはよろしいと思った。

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 露天風呂からはこの景色が見える。夕暮れの瀬戸内海を眺めながら風呂に入り、潮風を浴びる。

 飛行機で松山に向かうと、松山空港に着陸する寸前に海に浮かぶ島がたくさん見えてワクワクする。ワシは今、あの海の中の島にいるんだなあ。

2009年8月11日  

夏の帰省2日目-1

 ロッテリアでポテトとコーヒーを買い、1時に出発。昔のスパイスが懐かしいんだが、復活しないかな。富士川まで20kmほど渋滞したが、自然渋滞なのである程度のスピードで流れている。

 5時18分、新名神を走行中に伊豆の友人から突然メールが入る。

title:無事なんもナイス
本文:大丈夫すか!?

朝5時過ぎにこんなメールが来ると言うことは何かあったなと思ってiモードを見てみると、安否情報がトップに来ているではないか。あわててラジオをつけたら地震のニュースが流れていた。慌てて土山SAに入って情報収集と連絡。友人宅は無事のようで一安心。しかし、東名は東京から名古屋の手前あたりまで全線通行止めになっているようだ。ついさっきまで走っていた道路が・・・ホッとすると同時に不安にもなった。

 旅行中止も考えたが、家の辺りの震度は大したことないようだし、東名が通行止めだから戻ることも出来ない。このまま様子を見ながら続行した方がいいと判断した。

 しかしこういう時に限ってラジオを消してしまっているもんだな。山の中で入りが悪く、明け方の番組は面白くないことが多いので気に入った音楽をかけて眠気を覚ましているつもりだったのだが・・・カーステレオ選びは、これからは地震のことも考えた方がいいのかもしれない。携帯電話もそうかもな。

 一気に緊張してややゆるんだため眠くなり、6時から7時過ぎまで草津PAで仮眠。大阪の渋滞が怖かったが幸い大したことはなくて9時に西宮名塩SAを通過。淡路島に行こうか、それとも思い切って福岡まで行こうかと走りながら家族会議。事前に提案すると却下される福岡行きだが、各地の天気やホテルの空きを調べたりしながら進むと有力な選択肢の一つとなる。今回は淡路島・高知・小豆島・鳥取・福岡などの候補地の中から検討した。大阪を通過してから検討が始まるのも妙な感じだが、その日の状況に合わせて「天気が良くて気持ちが良さそうな場所に行く」というのもいいものだ。

 淡路島はこの時点での天気が今ひとつだったので見送りとなり、帰りに期待をかけることになった。山陽道を進んで三木SAで給油。横浜の地元GSよりも安い101円/L。90km/h以下で落ち着いて移動してきたから12km/L以上の良好な燃費をマーク。エンジン絶好調。

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 本当は福岡まで行ってしまいたかったが、天気がイマイチだったのと翌日のスケジュールが厳しくなるので断念する。ここで残念という気持ちを持っておいて、次回の旅行のパワーに使うのもいいだろう。同じように鳥取も見送り。小豆島もどうせ行くならちゃんと1泊したいのでまた後日ということにした。

 結局大三島に行ってみることになり、しまなみ海道を目指す。12時57分に福山西ICで高速を降りる。今日は1000円均一の日じゃないが、緊急総合対策(深夜割引50%)が効いて7350円だった。

 携帯の保護シートがベロベロになってきたのでヤマダ電機に寄って調達。日本中同じ雰囲気だけど微妙に瀬戸内海ぽいというか郷里に近い安心感を覚えるのは気のせいではないだろう。そうこうしているうちに尾道をちょっとぶらついてから大三島に行こうということになった。

2009年8月10日  

夏の帰省1日目

20090810.jpg 普通に出勤して普通に軽く残業して普通に帰宅。家に帰ってすぐに旅行の支度・・・といってもクルマの準備(バイクを下ろしたりベッドを作ったり)は昨日のうちにやっておいたので、着替えを出してカバンに詰める程度だが。

 例年との違いと言えば、今年は雨が激しい雰囲気なので雨用の装備をやや追加したことかな。全員分のかさとワシ用の雨合羽、あとはサンダル以外に靴も用意した。あとはクルマが旧いので工具全般とニトリルラバーの手袋を積んでおいた。トラブル時に自分で直せるかどうかは不明だが、無いよりはマシだろう。

 22時に出発。しかしここのところ睡眠時間が不足気味で疲労が激しい。23時に足柄SAで仮眠。限界を超えて頑張っても誰も褒めてくれないし危ないだけなので、眠いときはさっさと寝るに限る。早めの休憩、早めの仮眠が結局は早い到着につながるんですな。

2009年8月 6日  

ログ

 お世話になっている自動車整備工場でコンピューター関係の作業。PCにメモリを追加したり、ソフトをインストールしたり、SUV-CAMのバージョンを上げてSDHCを読めるようにしたり・・・と約2時間ほど。

 ワシが作業している間、整備士さんとレーサーKさんは別のPCを使い、富士スピードウェイを走ったときのログを表示しながらラインやスピードの分析をしていた。GPSを使って位置情報を取得し、周回データを重ねて表示できるらしい。レース界ではこの辺はもうすっかり当たり前になっているそうで、レーシングスクールでは他のドライバーのデータと付け合わせて「もっとつっこめる」などと走りを盗めるらしい。ブレーキもタイミングだけでなく圧の強さまで見られるそうだし、ステアリングの動きもログがとられて、たとえばマイナス方向のログが残っていたらそれはカウンターが当たっている(=ロス)ということなんだそうだ。「あの看板まで突っ込め」なんてレベルの話じゃないんですな。

 ヒールアンドトゥなんかも、ブレーキの掛け具合、リリース具合、アクセルの合わせなどを細かく指摘されるらしい。ブレーキは早くリリースすればいいのかと思っていたがそうでもないそうで、不安定な挙動を与えてはいけないのだそうだ。全てが高次元で、スムースに行われなくてはならないんですな。

 昔は速く走ることに憧れていたが、今はだんだんと興味が別の方向に移ってきている。今回見聞きしたことも凄いなと思ったが、ますます「ワシには無理だな」という気持ちが強くなったのだった。

2009年8月 3日  

エンブレムチューン

 安いクルマに高いクルマのエンブレムを貼ることを「エンブレムチューン」と言う。軽自動車にベンツのマークを付けたりするのはわりとよく見かける。あとは1ランク上の排気量に見せかけたりするのもよくある手だった。ベンツのW140って実際にはS320の台数が一番多いはずなのに、街で見かけるのはS500ばかりなんて話を聞いたことがある。そういえばナンバープレートが「320」のS500を見たこともあったな。

 高いクルマや排気量の多いクルマがオーラを放っていた頃は、エンブレムチューンは実に有効な手段だった。数千円で数十万円分の満足感が得られるわけだから、かなりのコストパフォーマンスだ。

 でも、いつの間にか「高いクルマがカッコイイ」って時代が終わりつつある。もちろん高級車の魅力は今でも変わらないとは思うが、実際にそれに乗れる人はどんどん少なくなっているし、実用車ならプリウスかインサイトを買うのが一番って感じになっている。ベンツ乗用車のライバルはレクサスLSやISじゃなくて、プリウスっぽい。

 レクサスからもハイブリッド専用車が登場したようだが、プラットフォームがプリウスと共通なようですな。大きなエンジンと強いモーターが載り、全長・全幅・全高が15~240mm大きくなっているが、ホイールベース(前輪と後輪の間の長さ)は共通なので車内のゆったり感はあまり変わらないんじゃないかな。車重が330kg増えて燃費が30%以上悪くなっているが・・・これがプリウスよりも素敵なクルマとして受け入れられるのか、それともデブなプリウスと思われちゃうのか、ちょっと心配になる。

 せっかくのハイブリッドブームなのに、従来と同じ発想でエンジンをでかくしてハイパワー仕様にし豪華にしたら重くなっちゃったって感じで、残念ですな。でかいエンジンがカッコイイっていうエンブレムチューン全盛の時代の考え方はそろそろ切り替えてもいいような気がするのだ。

 本革シートなのにベースがカーボンだから重量が増えていないとか、チタン部品を多用して軽量化とか、そんな感じの方が説得力があってウケもいいように思うのだが・・・どうなんだろうね。

2009年7月28日  

変遷

 バイク雑誌の編集長さんに「とっても面白いので是非読んでください」と言われた『747-ジャンボをつくった男』を読み終わった。非常に面白かった。

 ワシはボーイングだと727と737が思い出の飛行機だ。727に憧れていたのだが、当時の東京-松山線は737が多くてなかなか乗るチャンスがなかったような覚えがある。たしか朝晩の2往復だったな・・・時刻表には大阪経由の時刻が併記されていた。747が松山線に就航するなんてその頃はまったく予想出来なかった。今は777が中心のようだな。ゴルフの大会などがあると747-400に機種変更されるようだ。

 当時はコンコルドとリニアモーターカーの時代が来ると言われていた。音速なんて言葉、今じゃあまり聞かないような気がするけど、当時はマッハって言葉は小学生の間でもよく使われていた。漫画のタイトルにもなってたしね。

 超音速旅客機が登場するまでのつなぎと言われていた747が、その後約40年にわたって空の主役になった。今もANAのコマーシャルでは人気若手プロゴルファーが747の機長になって他の飛行機を従えている。「747ジャンボジェットは旅客機の親分」というイメージは世界中に浸透していて、他の飛行機では代役が務まりにくいのだろう。幼稚園児に「ほら、ジャンボジェットよ」というお母さんは沢山いるだろうが、「あれはトリプルよ」っていうお母さんは少ないはずだ(マニアは除く)。

 スピードに憧れた時代から大量輸送でのメリットを享受した時代、そして今は燃費が良い小・中型機でのポイントtoポイントでの移動の時代と、旅客機の時代は移り変わってきた。自分の自動車選びもこんな感じだなあと思うことがある。速い車が偉いと思っていた頃、沢山積めるのが便利だと思っていた頃・・・そして今はカブでちょこまかと走ることに喜びを見いだしている。

               
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