【日記】のブログ記事

2007年11月28日  

スポーツジム46回目

 久しぶりに週2回。久しぶりに2日連続。久しぶりにマシントレーニング。慣れないことすると体壊しそうだな。

2007年11月24日  

旅の気分

 昼間は第二子のサッカーを見学。正直言って上手くはないが、成長していることは良く分かる。

 夕食はまたモツ鍋。冬の定番となりつつある。旅行に行けなくても旅は出来る。

2007年11月19日  

大黒屋光太夫

 吉村昭『大黒屋光太夫』を読了。土曜日に医者に行くときに読み始め、後半は面白くなって休憩することも出来なくなってしまい、風呂に持って行き中で一時間近く読んでようやく読み終わった。作法としては最悪だろうが体にはいいかもな。

 椎名誠の『シベリア追跡』で大黒屋光太夫を知り、その後井上靖『おろしや国酔夢譚』も確か読んだと思う。映画もビデオを借りてきて観た。江戸時代に船が嵐で難破しアリューシャン列島に流された日本人が、9年以上の歳月をかけて日本に戻ったという実話だ。その間、アリューシャン列島からロシア本土に行くはずの船が目の前で破船したためにロシア人とともに船を作って島を脱出したり、ロシア皇帝に帰国を願い出るために極寒のシベリアを横断するなどの壮大な実話である。

 昔、中学生に「ラクスマン根室に来航」などと教えたことがあったが、そのたった一行の裏の一部分にはこのような大きな話しが潜んでいたのだった。最近は「ゆとり教育」でペリーしか教えていないかもしれないな。ジョン万次郎は中学だったか高校だったかの教科書で載っているのを見た覚えがあるが、光太夫はどうだったろう。載っていないとしたらやはりアレのせいなのだろうか。

 『おろしや国酔夢譚』『シベリア追跡』の頃にはまだ分かっていなかったことが吉村昭の手によって明らかになり、そのお陰で特に帰国後のシーンはそれまでとはまったく違った解釈になっている。私も長いこと『おろしや国酔夢譚』を読んだからいいやと思っていたが、もっと早く読むべきだった。

 当初は十数人居た一行だが、病に倒れたり、絶望して改宗したためロシアに残留し生き別れになったして、根室に戻ったときは3人、しかし直後に1人が倒れ江戸に戻ったのは2人だけだった。残った2人とそれ以外の者たちの何が違ったのだろうとふと考える。年齢的なものもあったし運ももちろんあっただろう。しかし、決定的に光太夫が強いと思うのは「こうありたい」「こうしたい」という意思の強さと、それを実現する力だ。冷静に状況を判断しつつ、自分の望む方向を見失わずに動くこと。この力が光太夫には非常に強かったように感じる。これらの本が執筆されるときの基本資料になったのが、光太夫から聞き取りをした各書物が大半であるということを差し引いても、非常に強い力を感じる。

 「こうありたい」と最初に的確にイメージを持てるかどうか・・・なのかなと思うのであった。

2007年11月18日  

目出度い

 朝イチで駅まで送迎・・・のつもりだったが、手違いがあって横浜まで一気にドライブ。無事10分前に到着。帰ってから朝ご飯。食べてホッとしていたら今度は鎌倉までのタイムトライアル。70分以内という休日には厳しいタイムだったがこちらも無事10分前に到着。どちらも距離は大したことないが、精神的に非常に疲れた。

 鎌倉は鶴岡八幡宮で、第三子の去年担任だった先生の結婚式があり、式に出るわけではないがお祝いに出掛けてみた。昼からということで待つこと約15分。「来た」との声があがり参道を見ると人力車の上に白い角隠しが見える。やがて信号が変わりこちらにやってくる。20人ほど子どもたちがいて先生が感激している様子がわかる。こっちも嬉しいですな。

 太鼓橋の前で記念撮影。その後肉まんやみそ田楽を食べながら待っていると、なんと舞殿で結婚式が始まった。大勢の人々に見守られながらの結婚式。鶴岡八幡宮には何度も来ているが、まさかこの舞殿で式をやるとは思わなかった。

 やや離れて式を見ていると、通りかかる人々の反応が「いいわねえ」と「こんなところで・・・見世物だな」という二通りに分かれることに気が付いた。なぜ素直に「おめでとう」という気分になれないのだろうか。ビルの中の、作り物の教会・神社もどきの部屋で式をやるのが当たり前だと思っているのだろうか。本当に見世物と思ったなら、そこに観光に来ている自分自身は何なのかって疑問に思わないのかな。

 夕方早めに帰ってしばし休憩。買い物の後、今日も寒いので鍋でパーティ。ケーキ食べて就寝。おめでたい一日だった。

2007年11月14日  

人身事故

 電車通勤の日。余裕を持って出発したつもりだったが、人身事故で京浜東北線がストップし、振替輸送が行われたためにワシが乗る路線が大混雑してしまい、入場規制と混雑による電車遅延のため間に合わなくなってしまった。乗り降りの途中、押されてぶつかった人に「痛ぇなコノヤロー」などと当たるシーンが何度か見られたが、それ以外は皆冷静に混雑をガマンしている。みんな時間に余裕を持って行動しているのだろうか。ひょっとしたら、電車に飛び込む人の気持ちもどこかで分かるような気がして、一つ間違えば明日は我が身と思っているのかもしれないな。

 学生時代、電車の前の方に乗っていたら飛び込まれたことがある。急ブレーキがかかったと思ったら床下からカタカタカタ・・・と石がぶつかるような音と振動を感じた。だいぶ遅れて終着駅に着いた時にたまたま運転手さんを見かけたが、汗びっしょりで疲れ切っていたのが気の毒だった。

 夜は急遽荷物の出荷があって羽田空港へ。通常は立ち入り出来ない区域に入っていく。クルマのナンバーを控えられるのはもちろん、全員名簿に記入しなくてはならないし、行った先で書類に印を押して貰わないと出られない。フォークとコンテナが縦横無尽に飛び交い、まごまごしているとフォークで刺されてしまいそう。華やかな空港の裏側は厳しい仕事の世界だった。

 空港からリムジンバスで地元の近くまで移動。一駅前で電車を降り、早足で歩いてジム行きの代わりにする。長年住んで通い続けた道も歩いたが、だいぶ周りの景色が変わっていて懐かしい気持ちはほとんど湧いてこなかった。

2007年11月12日  

打ち合わせ

 外で打ち合わせ。最初の話しとだいぶ違ったがなんとか軌道修正して打ち合わせそのものが崩壊しない程度には回復。でも結果が出るかどうかは微妙だな。

 話しが違っちゃうことって何で起きるんでしょうな。聞き違い、勘違い、連絡もれ、思い込み、理解度の違い、だまし・・・あと何だろう。今日は別に嵌められた気分ではなかったが、最初はかなり冷や汗をかいた。まあなんとかなったし、上手く行ったことにしておこう。

2007年11月 6日  

スポーツジム42回目

 いつものように1000mのウォーキング。少し時間が余ったので泳ぎたくなり、ビート板を使って耳を水につけないようにバタ足やカエル足をやったらこれがきつかった。でも少々きつくないとトレーニングにならないんだよなあ。

 先週、家の脱衣場の電球が切れたので日曜日の夜に交換したときのこと。2球セットを買って来て取り替えてみたが・・・光らない。もしや不良品かと思いもう一つの方をいれても同じく光らない。テスターを持ってきて測ってみると・・・電気来てないじゃん。これはスイッチかなと思いドライバーを持ってくる(ついでにストックしてあった予備のスイッチも)。はずしてチェックしてみると・・・スイッチは問題なし。ならばスイッチから天井の配線かとソケットを天井から外し(ワンタッチではなく木ねじ止めだった)、裏でテスターを当ててみるとここには100Vが来ている。

 ここで子供たちに鉛筆を持ってくるよう命じ、接点を鉛筆の黒いところでごしごしと磨いた。念のために引っ込み気味だった板バネ状の接点も少し起こして、新しい電球をつけてみると無事点灯。もう一つのほうも点灯。古い電球は切れているようで点かなかった。ただの電球交換と思って始めたが、なかなか深い作業となってしまった。テスターが無かったら電気屋さんを呼んで数千円から1.5万円位かかるところだったかもしれない。

 鉛筆で接点を磨くのは幼少時に母親から教わった。当たり前の事なのかと思っていたが案外そうでもないらしい。「コンタクトZ」という名前で再デビュー(?)したのももう5年以上前か・・・

2007年11月 5日  

足が痛い

 第二子が「足が痛い」と言う。昨日のすり鉢で頑張りすぎたようだ。苦手なことには手を出さない第二子だが、昨日は珍しく何度もチャレンジしていたな。脱出自体は何度も成功していたけど、最後まで手を使わずに駆け上がるのはなかなかうまく行かず、そのうち疲れが出てしまったようだった。

 「手を使わずに脱出したら1000円」と金で釣ったワシも悪かったが、でもまあ何度も挑戦する姿を見られたのは嬉しかった。

 第三子も電信柱みたいな棒に登って上の方で鐘を鳴らしていた。奴もなかなか頑張っておる。

               
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