【日記】のブログ記事

2006年4月15日  

長崎ちゃんぽん

 午後から夜まで街に出て買い物。夕食は外食せざるを得なくなった。少しでも安く、でも楽しい食事をってことで、前から行きたいなと思っていた長崎ちゃんぽんのチェーン店Rに行ってみる。子供たちはラーメンを食べられるってことで大喜び。出来れば博多ラーメンにしたいようだったが、今日は安くて並ばなくて野菜がたくさん入っているものということでRにする。

 第三子は最近「○○って言って」という言い回しをする。「ゲームやっていい? うんって言って」「おやつたべていい? うんって言って」という感じ。ここんところ急にボキャブラリーというか言い回しのバリエーションが増えてきて、Rの駐車場では

「ラーメン屋でジュース飲むでしょって言って。言って。」

ときた。これは新しい。思わず言っちまったじゃねえか。

 とんこつラーメンは久留米が発祥だそうだが、長崎ちゃんぽんや鳥の水炊きの影響も受けているのではないかと思う。博多ラーメンにハマりはじめた数年前はひたすら刺激を求めるばかりであっさり系には見向きもしなかったが、経験と年齢を積み重ねるうちにこういったあっさり系の味のおいしさも分かるようになってきた。どうせ関東では最近好みの「あっさりなのに深い」豚骨ラーメンは食べられないので、ちゃんぽんの方が安く美味しく食べられていいのかもしれない。

2006年4月11日  

階段落ち

 代休取得。今日は朝イチと午後イチで第三子と病院に行くのだ。女房は起きて弁当を作っているようだが他のヤツらはまだ起きていない。いつもと同じ時間に起きるんだが会社休みってだけでやっぱり気分いいなーなどと思いながらフラリフラリと階段を下りる。あと3段ほどで下りきるというところで・・・

ズル
うわ    (と思った)
ズドド
あ、天井 (と思った)
ドドドーン
床     (と思った)
止まった (と思った)

一瞬でこうなった。ものすごい激痛で言葉を発することが出来ず、床をバンバン叩きながらのたうち回る。女房が

「だれ、とーさん?」

と怒ったように叫ぶが返事が出来ない。しばらくもがき苦しんでから

「落ちた・・・」

とようやく一言。うちの女房はこういう時になぜか怒る。

「何やってんのよ。やめてよー」

とか言ってるが今はそうじゃないだろう。怒ってないで心配する時だろうが。前にイスが壊れて床に落ちたときもそうだった。

 寝間着代わりにジャージのズボンを履いていたんだが、足首のところにあるジッパーが壊れていて、ズロズロっとしていた。で、デレンデレンと階段を下りているときにジャージの裾を踏んでしまい、一気に滑り落ちたようだ。太っているワシであるが腰とか背中は腹ほどは肉はついていない。そこを階段の角に体重をのせてたたきつけながら落ちたわけで、ものすごく痛かった。下から3段ぐらいだったからまだよかったが、上の方だったらかなりヤバかったと思う。背中を守るために、これからは階段を下りるときは物置にしまってあるバイク用の脊髄パッドをつけようかとか、背中にもぜい肉付けようかと思ったが、よく考えたら壊れたジャージを履かなければいいんだな。

 起きてきた子供たちに階段から落ちたことを言った。

第一子「聞こえた」

第二子「そういえば聞こえた」

第三子「カミナリの夢を見た」

だそうだ。

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※ 第三子については、一時言われていた危険などはどうやらないようで、半年~一年に一回検査を続けていくだけで当面は大丈夫そうです。心配してくださった方々、ありがとうございました。

2006年4月 6日  

新人A子ちゃん

 職場に新人が何人か入った。世代間ギャップが著しいのは十分存じているつもりであるが、うち一人はあまりに激しいのでここに記しておく。

1) うちの会社は新人にレポートというか簡単な日報を書かせたりするのだが、初日の日報に

  「建物が複雑で迷ってしまいました。笑」

と書いてあったとのこと。

  「笑」・・・

2) その2日ほど後の日報。

 「失敗してしまいました。」

 の後に


20060406.png


があったとのこと。ちなみに日報は手書きだ。

3) さらにその情報を聞いている最中、新人A子ちゃんの机を見ていたら・・・

手書きの50音表が机のクリアマットにはさんであった。









 伝票を50音順に並べてファイリングする作業の最中で、順番がわからなくなってしまったらしい。

  なぜ50音表・・・

  しかも左から・・・

  「を」と「ん」の場所も違うだろうが・・・

 そういえばワシが15年ほど前にこの会社の新人だったとき、大先輩の営業さんが「ぼくは『いろはにほへと』の世代だから50音順は分からないんですよ」と言っていたのを思い出すが、でもそれとはぜんぜん違うじゃーん!!!!

2006年4月 3日  

交通事故

 新年度の始まりということであわただしく仕事をしていた。途中で女房から電話が入り「おちついて聞いてね」とのことだったので「あ、なにかあったな」と思った。聞くと第一子と第三子が車にはねられたとのこと。第三子は無傷だったが第一子は肩の打撲と足の指の剥離骨折らしい。たいした怪我ではないのでよかったが、下手をすれば瞬時に家族が二人減ってしまうところだった。怖い怖い。

 事故が起きた場所は家の近所のT字路をちょっと入ったところで、進入禁止の標識はないのだがそれぞれ左折禁止・右折禁止の標識は立っている、前々から不思議な交差点だなと思っていた場所だ。しばらく様子を見てから強引に曲がっていく車も多く、危ないなあと思うこともたびたびあった。事故を起こした車も曲がってはいけないところを曲がって入ってきたらしい。第一子が安全確認不十分で交差点に差し掛かってしまったようであるが、「左からは車は来ない」という先入観もあったのだろう。

 たいした怪我じゃなかったから「どっちが悪い」などと分析できるのだが、どっちが良かろうが悪かろうが死んでしまったり、体や機能の一部分でも失われてしまったらもう取り返しがつかない。久しく忘れていたが「事故は怖いなあ」と改めて思った。月並みだけど、自分が運転するときももっと気をつけないと。

2006年4月 2日  

日曜日

 一日しかない休日。午前中は女房が美容院へ。昼から第一子が部活、残るメンバーで安ラーメン(非とんこつ)を食べに行き、夕方から散髪へ。夜は新学期準備で買い物。疲れ取れませんわー。

2006年3月29日  

お墓参りその後

 3/25に書いた大阪の同僚Yupyのお墓参りのその後。

 八幡浜に行くと聞いて、まず勧めたのがR378だった。瀬戸内海を見ながらずっと走っていられる。信号も少なく、今は道もきれいで、四国のすばらしさをよく味わえる道のひとつだと思う。高校生時代に自転車で走って以来、大好きな道だ。でもまあ、旅行じゃなくて家族でのお墓参りだし、運転するのはお父さんだから無理だろうなあと思っていた。本人もそう言っていた。

 ところが今日聞いてみたところによると、行きも帰りもR378を通ったらしい。愛媛に住んでいるお兄さんがそっちをとってくれたとのこと。お母さんと二人で「言ってみたいけど無理だね」とあきらめていたのに通れて、海もきれいだし山側の菜の花もきれいだしと大喜びしてくれたらしい。単に道を紹介しただけなんだけど嬉しくなる。

 うちはもうあの道は毎度毎度通っているんで、それなりにみんな喜んでくれているとは思うのだが「どっちでもいいから早く着きたい」という意見も多く聞かれるようになってきた。まあ頻度もちがうから仕方ないことナリよ。

 Yupyのお母さんは「四国にはもう何度も来ているのに、お父さんったらちっともこんな道のことは教えてくれなくて・・・」とずっとブツブツ小言を言っていたそうで、なんだかYupyのお母さんに会ってみたいなあと思った(笑)。

2006年3月28日  

ひたすら打ち合わせ

 朝10時半からひたすら打ち合わせ&作業。一部上場のコンピューター会社の人と共同で作業する場面もあったりして、いつの間にかオレ割と出来るようになってるじゃんと思った。でもどっちかっつーと出来てない方。

2006年3月27日  

千葉

 会社の上司(直属じゃないんだけど)のご自宅に光回線が入り、設定がにっちもさっちも行かないということでお邪魔する。ルーターの設定と無線LANの設定で、導入前からいろいろと質問を受けていた案件である。当初は「設定に行きますよ」と言っても「そんな馬鹿なこと(その人の家はワシの家とは会社を挟んで正反対なので)をしなくても業者に頼む」ということだったが、いざ業者に問い合わせてみると「出張・設定費一万円以上」とのことで、ワシが行くことになった。ワシとしても説明するよりは行った方が早いし、超金欠状態なので作業費をいただけるのはありがたい。

 ルーターのマニュアルやプロバイダの設定シートを会社に忘れてきてしまったそうで最初はあせったが、なんとかルーター・無線LANともども設定でき、Windowsアップデートも2台やってきた。

 自宅とは正反対の千葉の町であるが、大学時代の友達が住んでいたところであり、また自分の叔父・叔母が住んでいる街でもある。学生時代の馬鹿騒ぎがなつかしくて、帰り道の途中友達にメールしてみた。

               
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