【日記】のブログ記事

2006年11月14日  

通夜

 35年間お世話になってきた駅前のお医者さんが亡くなったとの報が入る。ワシ以外にも女房や子供たちもお世話になっていた。ワシの親もだ。色々お世話になったので通夜に行って来た。仕事帰りに家族と待ち合わせ、ワシはほとんど普段着のままで行った。周りはお医者さんとか高齢の方ばかりで場違いな気もしたが、家族でお別れをしてきた。看護士さんたち(うち一人は第二子の友だちのお母さん)や、数年前に廃業してしまったW薬局のおばさんにも会えたのが嬉しかった。

 土曜まで診察を続け、日曜も普通にお過ごしになり、月曜の朝になったら亡くなっていたとのことだった。生涯現役が信条だったのだろうか。先日もらった薬が切れるまでに新しい病院を探さなくてはならない。淋しいなあ。

 帰り際に受付の看護士さんの所に挨拶に行くと、子供たちに「ご病気なさらないでね」「面白い先生だったねえ」と声をかけて頂いた。それを聞きながら、先生はもう思い出の世界に行ってしまったんだなあと思った。

2006年11月13日  

フェラーリ

 ちょっとしたお手伝いで、フェラーリの助手席に乗って走ったり、外に出てエキゾーストノートを録音したりした。

 初めてのスーパーカー(死語?)の助手席で、しかも音を録るのにややふかし気味だったということもあるけど、フェラーリの助手席は疲れる。物凄く疲れる。

2006年11月12日  

休息日

 出張疲れのため本日は休息日とする。土曜日の出張はなるべく避けるようにしているのだが、忙しいときには仕方がない。プールは設備点検のため今日からしばらく休業。

 昔は木~金で出張し最終の新幹線で帰ってきて、土曜早朝から自転車のダウンヒルに行ったりしたものだが・・・今となっては昔のこととなってしまった。

 何もやらないのもつまらないので夕方に出かけ、久しぶりに大型玩具店をのぞいてみた・・・けど面白いものは無し。模型屋さんにでも行ったほうが良かったかな。

2006年11月 5日  

クロールは苦手

 プールで泳ぐ。今日は珍しくオカーサンがやる気になり、25mプールでクロールでバンバン飛ばしていた。子供たちと競争して勝って喜んでいる。ワシも競争したが僅差で敗退。スイミングクラブに通っていた第二子よりも差が少なかったんでまあいいことにしておこう。

 長年海で自己流で泳いできたので、クロールはほとんど出来ないし平泳ぎもルール違反の泳ぎ(潜水はするわ息継ぎはさぼるは)になってしまう。喘息には水泳がいいとは良く聞くが、どういう泳ぎ方が一番効くのだろうか。平泳ぎだと毎回息継ぎする方がかえって苦しいような気がする。

2006年11月 2日  

看板

 月末作業の後、ちょっとだけドライブ。

 コンビニ系ファミレス(笑)の看板がまた変わりつつあるようだ。コンビニ系なんて言うと怒られるかもしれないが、コンビニのロゴマークを手直ししたものを、自分たちで系列のスーパーマーケットやらファミレスやらに全採用して(させられて?)しまったんだから仕方がない。当日記(旧バージョン)でも2005年10月2005年12月にこの件について記載している。

 スーパーマーケットの方はまあ建物も大きいし、看板見て飛び込む客よりも固定客のほうが圧倒的に多いだろうから影響は少なかっただろうが、かわいそうだったのはこのコンビニ系ファミレスだった。コンビニと同じ看板にされてしまい、下のほうに小さくファミレスであることが書いてあるだけだった。

 家の近所では看板の下に店名の垂れ幕を掲げていた。普通だったら限定メニューとか食材の名前を書いて客にアピールするところなのだろうが、そこで「お客さん、ここはコンビニじゃありませんよ」と懸命に訴えているかのようで、でも上部にある電光式のグループ統一看板の方が良く目立ってしまうのが余計に悲しい。ファミレスと気付かずに素通りした人や、コンビニだと思って駐車場に入ってすぐに出た人は相当多かっただろうな。

 ロゴの統一というのはCIの中の一部分の話で、うまくやればイメージは相当上がるものだと思う。が、このファミレスのイメージはもともとそれほど悪いものではなかった。レストランのロゴをコンビニに合わせても何も生み出さないであろうことは簡単に予想できたはずなのに・・・客の食事のことよりも、株価のことばかり気にしてしまったのだろうか。

 調べてみると、2005年9月に持株会社が発足、私が異変に気付いたのが上記のように2005年10月~12月、その後2006年夏に小改良され、更に最近になって持株会社名が一番下にちょっとだけ表示されるバージョンが登場したようだ。看板は大部分が黄色になり、カタカナで「レストラン」とも書いてある。相当懲りたんだろうな。

2006年11月 1日  

新潟二日目

 8時半から作業。昼はK飯店の醤油ラーメン。体調を考えて他のものにしようかとも思ったが、こっちに来るとやはり食べたくなってしまう。「せっかく来たから」といろいろ無茶をしてしまうのだが、この「せっかく」っていうのが諸悪の根源なんだな。

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 隣で食べている工員さんの体型を見て、毎日食べてはいけないと思った。

 午後も作業。試行錯誤しつつもなんとか機能追加に成功。近くの駅まで送ってもらう。

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 いつもは車で帰るか、新幹線の駅まで送ってもらって帰るのだが、たまには別のパターンでこの辺の地元気分を味わってみたいと思った。巻駅のみどりの窓口で東京まで切符を買ったらボールペンをおまけしてくれた。駅前のコンビニでお茶とお菓子を買い、学校帰りの高校生たちと一緒に列車を待つ。郷里の駅と少しだけ雰囲気が似ている。

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 夕暮れの弥彦山と角田山を眺めながらの鈍行列車の旅。まわりは高校生ばかり。やがてだんだんと風景が街のものになり、大学駅を通過するころには学生が増え、新潟駅に近づく頃には会社帰りのサラリーマンでいっぱいになった。

 新潟駅周辺を少し歩いてみた。20年前のバイクツーリングの途中で立ち寄ったり、また8年ほど前にも出張で早朝に訪れたりしているのだが、どちらも大して時間がなく素通りに近かった。何を買うというわけでもないがにぎやかなところをブラブラ歩いてみたいなと思っていたのだが・・・駅の周辺には何も面白そうなものはなかった。みやげ物をいくつか買う程度で新幹線に乗る。どうやら新潟も、繁華街は駅から離れているところにあるらしい。

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 新幹線は長岡あたりまではやや込んでいたが、その先はガラガラのまま東京に到着。E電(ってもう言わないんだよな)とタクシーを乗りついて会社近くの駐車場まで行き、車に乗って帰宅。行きは車、帰りは新幹線での新潟出張。いつもとは違って新鮮な気分だった。

2006年10月31日  

新潟

 久しぶりに新潟に出張。当初は電車で行くつもりだったが、ひょんなことから古いマーク2ワゴンを移動する予定があると知り、行きはそれに乗って行く事になった。7時ちょっと前に出発。東名→環八→関越道→北陸道ルートで巻潟東(まき・かたひがし)ICへと向かう。

 出発がやや遅れたので午前中の到着はいったんあきらめたが、環八が思ったよりもスムースに流れていたのと、マーク2ワゴンがボロボロの割にはよく走ってくれて、自宅前から目的地近くのコンビニまでノンストップ走行。目的地にも午前中に到着した。昼は背油醤油ラーメン。普段は背油ラーメンなんて食べないけど、新潟では別。

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 仕事は自家製システムへの機能追加。久しぶりにハードウェア設定ではない出張だ。緊張しながらの作業。1年半前はこの数倍の緊張をほぼ毎週味わいながらシステムを作ったのだが、もうすっかり遠い昔のことのように思える。

 夜はお気に入りの居酒屋に連れて行ってもらったが、あの頃の楽しさや盛り上がりはなし。さびしいような、ホッとしたような。

2006年10月29日  

いつものようにプール

 いつものようにプール。

 第三子が泳ぎに興味が出てきたようで、浮き輪を外したがる。以前から水をまったく怖がらず、目も口も開けてにっこり笑いながら陸上にいるのとまったく同じように水の中を歩いていたのだが、最近はだんだん泳ぎの真似っぽくなってきて、両手を合わせて頭の上に置き、足をバタバタするようになった。少しは前進するので見ていて頼もしいのだが、溺れるということを知らないので適当なところですくい上げないと大変なことになってしまう。いい加減に水の中では息が出来ないことに気づけよという気もしないでもないが、これが第三子の持ち味なのだから伸ばしてあげなくてはならない。

 ここのプールは幼児用(水深20cm位)と大人用(水深1.5m位)と流れるプール(水深1m位)があるんだけど、児童用がないのがちょっと残念。気を付けて見てあげればそのうち手すりにつかまったりジャンプしたりしながら泳げるようになるんだろうが、身長と水深で考えると目を離せるまでになるにはあと3年ぐらいはかかりそうだな。

               
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