【日記】のブログ記事

2007年7月22日  

サマーキャンプ

 夕方から第三子がサマーキャンプへ。キャンプとは言っても幼稚園のホールに集まり教室で寝るんだそうで、アウトドアイベントではない。

 ずっとドラゴンボールのことをしゃべり続け、「うるさい」と言われてばかりの第三子がいない夜。家の中は妙に静かで、みんな早めに寝てしまった。

2007年7月18日  

 17時チョイ過ぎに職場を出て、まっすぐ家に帰り、かかりつけの医者に行って薬を出してもらう。終わってからシャワーを浴びて軽く食事をし、こんどは整骨院へ。今朝首筋を軽く痛めてしまい、これは長引かないうちにと思って行くことにした。先週の土曜日にも左肩の痛みを診てもらいに行ったばかりで、できればしばらく通ったほうがいいと言われていたので好都合だった。夜の混雑時間帯で忙しそうだったが、のんびりと待ちのんびりと電気をかけてもらい、さらにじっくり揉んでもらった。

 治療を終えてブラブラ歩いて帰る。風呂あがりのマッサージ後なのでとても気分がいい。しかも普段ならまだ会社にいるかもしれない時刻。これが普通の生活なんだよなあ。

2007年7月14日  

サッカーキャンプ

 朝6時集合で第二子がサッカーキャンプに出発。台風接近中だが、まあ頑張ってきてくれ。

 残るメンバーで回転寿司を食べに行く。第一子が部活や塾でいないのは慣れているが、第二子がいないのは違和感ありまくり。第三子は最近第二子とベッタリだったが、今日は第一子と楽しそうに食べている。たまにはこういう刺激もいいですな。しかし、子供2人だと楽だわ・・・

2007年7月13日  

スポーツジム29回目

 朝、裏道から大通りに出たところで、バスから下りて歩いているオジサンがニコニコしながらずっとこちらを見ていることに気が付いた。なんとなく顔見知りっぽくて挨拶をしたが、頭を振った瞬間に思い出した。結婚した後最初に住んだアパートの前にいたMさんじゃないか。走りながらだけどすぐにもう一度頭を下げる。Mさんもニコニコしながらずっとふり返って見てくれていた。覚えていてくれたんだな。目立つ車に長く乗っていて良かったな。

 Mさん一家はお年の割には(失礼)若々しいお父さんと田中裕子似のきれいな奥さん、元気なお兄さん二人と歳の離れた幼稚園児の弟一人という5人家族だった。お兄さん二人は車やバイクが大好きなようでよく整備したり洗車したりしていたな。ワシもよく一緒に話しをしたり、ケミカル用品を貸してあげたりした。集まってくる友だちとも一緒に遊んだりしたな。うちに歳が離れた第三子が登場したのもMさん一家の影響かもしれない。

 夜はまた水泳。台風が近づいていて調子がよくないので、スピードよりもリズム良く泳ぐことを心がけてのんびりと一時間。男二人組がベタベタ話しながら2レーンにまたがって休憩していて、手をつないだり足を絡ませあったりと見ていて気持ち悪かった。

2007年7月12日  

動画の保存

 某動画サイトの動画を保存したいという話しがあったので、やり方を調べてサポートしに行く。ほぼ順調に出来て無事保存&再生。いつでも見られるものだけどいつ消えてしまうかもしれず、やはりとっておきのものは自分の身近に保存しておくべきでアロー。

 関係ないけど、「ようつべ」って言い方はどうやら下火になったようだな。流行り始めの頃、「ユーチューブ」って言ったら「ようつべのこと?」って聞き返されたことがある。なんとも複雑な気分だった。

2007年7月11日  

スポーツジム28回目

 フツーに水泳。特記事項なし。フツーに疲れた。

 ブログに会社の出来事を書いている人は沢山いるが、会社の中に読者がいる人っているだろうか。ワシは基本的にはサイトの存在は教えないようにしていて、仲のいい数人にだけ教えている(読んでもらっているかどうかは別にして)。たいていはこんな感じだろう。愛媛の友人は上司まで読者だったりするようだがこれは別格だな。流石だな。

 職場の悪口って職場のことを知らない人の前ではいくらでも言うことが出来る。関係者が誰もいないところではいくらでも話しを作れるし、逆にどんなに公平公立を誓って話しをしていても誰にも分からない。誰か知っている人が一人でもいれば「それはちがうよ」とか「その通りだよ」と言ってくれるだろうから少しは違うだろうな。

2007年7月 9日  

おめでとう

 福岡の同僚と元祖長浜屋の件で情報交換していたら、そのメールの最後に

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追伸-7/7に子供産まれました。
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と。元祖情報の追伸で言うことじゃないだろうよ(笑)。ということで、おめでとう。

 しかし、良い日というか凄い日に生まれたもんだな。きっと一生ラッキーに過ごせるんだろうな。

2007年7月 6日  

HAS-YMO

 ジムに行くにはまだ早いのでいったん家に帰ると、女房が「今日テレビでYMOやるよ」と教えてくれた。まったく知らなかった。結婚していてよかったと久しぶりに思った。

 ビデオも録らずに一時間じっくり見た。自分も歳をとったしメンバーの3人も歳をとったな。3人一緒にインタビューを受けているのが奇跡のようにも見える。生きていて良かったと久しぶりに思った。

 「ONGAKU」が当時3歳の娘に向けての曲だったということを初めて知った。「地図帳」とか「電車ゴトゴト」の意味はなんとなく想像ついていたが、「ピアノにのぼって」「待ってる 一緒に歌うとき」はそういう意味だったのか・・・父親になって良かったと久しぶりに思った。

 歌詞の裏の意味と言えば、矢野顕子の名曲「ラーメンたべたい」を本気でラーメンの歌だと思っていたMくん、元気だろうか。何度かコンサートの誘いを受けていたけど、小遣いが足りなくて行けなかったよ。ごめんな。

 楽しい一時間だったけど、演奏のシーンでほとんど演奏してるフリっぽく見えたのが残念。人民服時代の手に汗握る演奏が大好きだったので、今でもどうしても比べて見てしまう。でも、教授が「CUE」でドラムを叩いている姿が楽しそうで見ていて嬉しくなった。昔テレビに出ていたときもやはりドラムを叩いていたが、どう見ても楽しそうでは無かったし、「こんな曲でシンセ弾きたくない」って思ってるんじゃないかなと勘ぐってしまう位だったからなあ。あとは昔のカバーだけじゃなくて、20年浸れる位の新曲が出てくれれば・・・

 若い頃は隅から隅まで聞いていたが、今は気に入った曲やたまにラジオで聞こえてくる分だけを聞いて思い出す位。約30年の間には途中何度もガッカリしたし、イメージと現実が違って愕然としたこともあったが、そんなこともすべて良い思い出として片づいてしまうような一時間だった。エンデューロバイクやエンデューロレースのことをふり返るときと似ているなとふと思ったのだった。

               
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