1階がピロティになっている建物、阪神大震災の時には地震に弱いって叩かれていたけど、今回の震災では津波に強いって言われている。
海辺では柱をしっかりとさせた上でピロティ型がいいってことなのかな。○とか×だけで表現出来る内容じゃないってことだね。
1階がピロティになっている建物、阪神大震災の時には地震に弱いって叩かれていたけど、今回の震災では津波に強いって言われている。
海辺では柱をしっかりとさせた上でピロティ型がいいってことなのかな。○とか×だけで表現出来る内容じゃないってことだね。
一気に暑くなった。冷房が入り始める頃かもしれない。電力供給は大丈夫かな。
地元の私鉄に冷房車が走り始めたときのことを覚えていて、あれはいつだったのかなと調べてみたら1971年登場だった。冷房率100%達成は1987年とのこと。
この間に冷房の普及率はどんどん上がっていったんだろう。昔は子供部屋にはクーラーはなかったよね。
「レントゲン1回分」なんて話しをよく聞くようになったので思い出話をしてみる。
15年ぐらい前だったかな、母親の介護をしていたときのこと。病院でレントゲン写真を撮ることになった。確か胸だったような。
車イスを押してレントゲン室まで行く。レントゲン技師に「手伝ってください」と言われて中に入る。野球のキャッチャーがつけるプロテクターがお腹側と背中側に両方あるような形状の防具を渡されて着るように言われた。鉛で出来ているらしく、ずしりと重い。
つかまって立つのが精一杯の母親を立たせて支える。撮影範囲に入らないように、あと防具の切れ目が撮影装置に向かないように気をつけながら立ち位置を決める。レントゲン技師が
「大丈夫ですか。じゃあ撮りますよ」
と言いながら小走りで部屋を出る。ドアが閉められる。不思議な気分というか、不安感が襲ってくる。幼少時からレントゲンは何枚も撮られたことがある。怖いなんて思ったことはなかったはずなのに。
「はい終わりました。大丈夫ですか」
明るく声を掛けてくれるレントゲン技師。この人たちは仕事でこの場所にずっといるからたくさん浴びている。これ以上浴びないように家族が手伝うんだな。
レントゲンっていうのは医療目的で、体を切って中をのぞくより何千倍もメリットがあるから気軽にうけられるもの。しかも完全にコントロールされた設備の中での出来事だ。そんな中でも、自分が被写体(患者)じゃない場合はこんな風に厳重に防護服を着て作業するんだよ。
テレビを見ていたら外国の有名な先生が世界各国の若者を集めて講義をしていた。すばらしい授業に参加できることが光栄なのか、生徒会長みたいな若者たちが輝かしい表情で発言していたけど、なんだか決められた筋書き通りに進められている人形劇を見ているようで見ているのが苦痛だったな。
意見を出し合ってまとめないのが国際交流だと思うよ。誰かがまとめたらそれはもう国際じゃない。
19時ごろにスーパーマーケットに行ったら納豆の在庫がいくつかあった。久しぶりに見る光景だ。買い占めるつもりはさらさらないが、普通に売られているので一つ買った。
家に帰ったら女房と第一子もそれぞれ別の店で買ってきていた。期せずして買い占めのようになってしまったが、これは買い占めじゃないよ。
(数年後に読み返した時用のメモ)
茨城も揺れが激しかったのだろうか、ずっと納豆が品切れのままだった。わずかに入ってきても午前中で売切れてしまうようだった。当然お一人様一つ限りの制限がかかっているのだが、なかなか食べられずにいた。
ないと生きていけない、というほどのものではないが、毎朝食べていたものが入手できなくなるのは寂しいものだ。土日に回転寿司に行って納豆巻や軍艦を食べることでしのいでいたが、ようやく復活してきたようだ。
「放射線やばいよなあ」
「ほうしゃせんってなに?」
「原子力発電所から漏れた危険なやつだよ」
「ああ、バクハツ!」
もう今の子供にとっては原子力発電所=バクハツなんです。
「原発ってなに?」
「原子力発電所」
「ああ、バクハツ!」
...原発は安全と刷り込まれて育ってきた我々とは正反対でびっくりする。でもこれからはこれがデフォルトなのかも。
葉山の砂浜をぶらついてみた。女房によるといつもの10倍以上の収穫とのこと。ひょっとしたら震災の影響なのだろうか...